ピルサドスキー の変更点

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**ファインモーションの半兄 [#nac6758d]

ピルサドスキー(Pilsudski)は、アイルランド生まれの競走馬、および種牡馬である。

1997年カルティエ賞最優秀古馬受賞。日本では1997年のジャパンカップ優勝馬として著名。
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イギリス、アイルランド、ドイツ、フランス、カナダ、日本と世界中を渡って走り、ブリーダーズカップ・ターフ、ジャパンカップ、バーデン大賞、エクリプスステークス、チャンピオンステークス、アイリッシュチャンピオンステークスに勝ち、日本で種牡馬となったが、日本での産駒の成績は不振で、2003年にアイルランドへ再輸出された。
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**馬名に関する問題 [#k10d0127]

ピルサドスキーの英名は「Pilsudski」で、20世紀初頭のポーランドの指導者であるユゼフ・ピウスツキの名に由来し、父Polish Precedent(和訳すると「ポーランドの先人」)からの連想である。

ピウスツキ将軍はロシアからのポーランド独立のため、日露戦争の際に来日するなど、外交史や東欧史で知られた人物であり、国内の出版物や在ポーランド日本大使館のウェブサイトでも「ピウスツキ」と表記されている。
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JRAは当初「ピルスドゥスキー」という表記を採用していたが、やがて「ピルサドスキー」に変更した。

「ピルスツキ」にすべきという批判があったとされるが、JRAは当時の馬主のウェインストック卿に発音を確認した上で「ピルサドスキー」という表記が妥当と判断したという。

これに対してJRA賞馬事文化賞受賞者の山野浩一は、英語でないものを英語読みしたことに起因する「変な表記」「大きな間違い」であり、文部省の定める規則にも反するカナ転記だとした上で、「下手をすると外交問題に発展しかねない」「抗議がなければどのような失礼なことも許されるというものではない」とJRAとJBBAを批判したが、特にそういった問題には発展しなかった。

これは後述の”放送事故”の影響で「ピルサドスキー」のサジェストが一時「馬のイチモツ」で埋まってしまったことに関して、「むしろ表記を正さなくてよかった(苦笑)」という結果論も噴出した。

**ジャパンカップの放送事故 [#f1312f50]

1997年末、ピルサドスキーは日本での種牡馬入りが決まり、現役最後のレースとしてジャパンカップに参戦。

レースでは先頭に立ったエアグルーヴを内から並ぶ間もなく鮮やかに差し切って優勝したが、出走前のパドックで激しく「馬っ気」(発情し生殖器が勃起する状態の俗語)を出していた様子が様々なメディアで大きく報道され、一躍「馬並みのモノを観客に見せつける馬」として話題となった。
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このレースに出走していた牝馬はエアグルーヴ一頭だけだったため、ピルサドスキーの「馬っ気」はエアグルーヴに向けられたものでは?という論が競馬ファンの間では未だに囁かれているが、競馬評論家の大川慶次郎は自身の著書で、ピルサドスキーが馬っ気を出したのは発情ではなく「俺が一番強い!王様だ!」というアピールを他の出走馬に対して誇示するための、動物行動学的見地に沿った行動であったと推察しており、また陣営も「ピルサドスキーがパドックで馬っ気を出すのはいつものことだ」としている。
このレースに出走していた牝馬はエアグルーヴ一頭だけだったため、ピルサドスキーの「馬っ気」はエアグルーヴに向けられたものでは?という論が競馬ファンの間では未だに囁かれているが、競馬評論家の大川慶次郎は自身の著書で、ピルサドスキーが馬っ気を出したのは発情ではなく「俺が一番強い!王様だ!」というアピールを他の出走馬に対して誇示するための、動物行動学的見地に沿った行動であったと推察しており、また陣営も「ピルサドスキーがパドックで馬っ気を出すのはいつものことだ」として、エアグルーヴに対し特別な感情を抱いたわけではないとしている。
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「ウマ娘」においてはピルサドスキーの名こそ出てこないものの、遠く海外で活躍している「ファインモーションの姉」としてセリフだけ登場し、度々居合わせるエアグルーヴに対して情熱的かつ一方的に愛を説いており、キャラクターの濃さを表わしている。
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***血統関係 [#o6f654b2]

ココット(Cocotte 牝 1983 父:トロイ(Troy))

├ピルサドスキー(Pilsudski 牡 1992 父:ポーリッシュプレシデント(Polish Precedent))

└ファインモーション(牝 1999 父:デインヒル(Danehill))