メジロモンスニー

Last-modified: Wed, 30 Aug 2023 07:02:31 JST (241d)
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ミスターシービーのライバルとされたメジロ

メジロモンスニーは日本の競走馬・種牡馬である。

 

1983年にシンザン記念を制し、クラシック戦線に参戦。

後方待機からの追込み戦法を採り、同じく後方からのレースを得意としたミスターシービーと皐月賞、日本ダービーで接戦を繰り広げた。

 

降雨の重馬場となった皐月賞では、第1コーナーでミスターシービーが不利を受け最後方となる中メジロモンスニーは大外枠から後方集団につけて追走に入った。

ミスターシービーが向こう正面からポジションを挙げて捲りにかかる中でも作戦通り後方で構えたまま、最終直線でカツラギエースを捉えようとするミスターシービーの外から追い込んでいったが、半馬身差がどうしても詰め切れずにそのまま抑え込まれて2着に敗れた。

 

日本ダービーでは、今度は出遅れで最後方になったミスターシービーをよそに今回もきっちりスタートを決めて後方につけた。

ミスターシービーは皐月賞同様向こう正面から捲りに入っていくが、最終コーナーを回った所でメジロモンスニーの前を走っていたタケノヒエンが外側に斜行し、それをよけたミスターシービーが更に外を走るキクノフラッシュと衝突するアクシデントが発生。

メジロモンスニーはこのチャンスを見逃さず、タケノヒエンが走っていた内側へ鋭く切り込み、東京競馬場の長い直線を猛然と追い込み始めた。

しかしミスターシービーもすぐに立て直すと凄まじい末脚を繰り出して一気に先頭を奪ってしまった。

メジロモンスニーは内で粘る先行勢のビンゴカンタを半馬身差で交わして2着となったものの結局最後までミスターシービーを捉えることは出来なかった。

 

皐月賞、ダービーと2戦続けて2着となったメジロモンスニーは「ミスターシービーのライバル」と言われるようになり、長距離向きの血統であった事からクラシック三冠最終戦の菊花賞での逆転を期待する評論家もいた。

しかし、メジロモンスニーは菊花賞トライアルの神戸新聞杯に出走してスズカコバン、カツラギエースの3着になった後、指骨の骨折が判明し、菊花賞の出走を断念せざるを得なかった。

この年の菊花賞は周回2週目の第3コーナーから早めの進出を開始し、持ったまま他を突き放す破格のレースをしたミスターシービーが優勝、シンザン以来19年ぶりの三冠馬に輝いている。

 

1年の長期休養ののちに復帰したメジロモンスニーが久々の勝利を挙げたのは6歳になってからだった。

1985年4月、阪神競馬場で行われたオープン特別・大阪城ステークスでシンザン記念以来の勝利を飾ったメジロモンスニーは続く天皇賞(春)でミスターシービーに再び挑む事になった。

しかし、レースではメジロモンスニーは終始後方のまま、シンボリルドルフから3.0秒も離された9着に敗れた。ミスターシービーは5着だったため、このレースでもメジロモンスニーミスターシービーに先着できず、結局メジロモンスニーは一度もミスターシービーに勝つことはできなかった。

 

天皇賞後、メジロモンスニーは高松宮杯(当時GII)で久しぶりの重賞制覇を飾ったが、その後故障がちとなり、翌年6月の高松宮杯で14着に敗れたのを最後に引退した。

 

引退後は1987年から種牡馬となったが、高崎オークスを制したティラミスなど地方競馬の重賞勝ち馬を出したにとどまり、1995年6月に用途変更され種牡馬を引退。

以降は引退名馬繋養展示事業の助成対象馬になることもなく、消息不明となった。

 

ウマ娘として・・・

カツラギエースの育成シナリオにて「シイナフレジュス」という名で登場。

「メジロ」とは異なるが、「シイナ」という名家の出であり、家名に懸けて勝利を宣言。カツラギエースの前に立ちはだかり、ミスターシービーに挑みかかる。

 

血統関係

リマンド(Remand 牡 1965 父:アルサイド(Alcide))

├アグネスレディー(牝 1976 母:イコマエイカン)

│└アグネスフローラ(牝 1987 父:ロイヤルスキー(Royal Ski))

├タマモアサヒ(牡 1976 母:ソワドレーヌ)

├オペックホース(牡 1977 母:ホースジョー)

├テンモン(牝 1978 母:レデースポート)

├メジロオーロラ(牝 1978 母:メジロアイリス)

│├メジロデュレン(牡 1983 父:フィディオン(Fidion))

│└メジロマックイーン(牡 1987 父:メジロティターン)

メジロモンスニー(牡 1980 母:ドウヤアマミ)

└タレンテイドガール(牝 1984 母:チヨダマサコ)