ロイヤルタッチ

Last-modified: Thu, 27 Oct 2022 02:33:13 JST (545d)
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ウイニングチケットの半弟

ロイヤルタッチは日本の競走馬・種牡馬である。

サンデーサイレンスの2世代目産駒としてバブルガムフェロー、ダンスインザダーク、イシノサンデーとともに「サンデー四天王」と呼ばれた。

 

デビュー戦は1995年12月3日、1番人気に推され武豊騎乗で勝利した。

鞍上にオリビエ・ペリエを迎えた2戦目のラジオたんぱ杯3歳ステークスでは、イシノサンデー(1番人気)、ダンスインザダーク(2番人気)を抑え勝利した。

このレースではサンデーサイレンス産駒が1着から3着までを占め、朝日杯3歳ステークスを優勝したバブルガムフェローとともに翌年のクラシックもサンデーサイレンス一色の雰囲気を作り出した。

 

4歳初戦のきさらぎ賞でもペリエが騎乗、ダンスインザダークとの一騎討ちを制し、重賞2連勝となった。

次走の若葉ステークスでは短期免許が切れたペリエが帰国したため、蛯名正義が騎乗。無敗のままクラシックロードを進むかに見えたが、重馬場の影響もありミナモトマリノスに2馬身半の差を付けられた2着と完敗、初黒星を喫した。

 

皐月賞では騎乗予定だった蛯名が騎乗停止中で騎乗できず、南井克巳が騎乗。

弥生賞を勝利したダンスインザダークが熱発で、スプリングステークスを勝利したバブルガムフェローが骨折でともに出走を回避したため、押し出される形で1番人気になったが、イシノサンデーを捕らえ切れず2着に惜敗した。

日本ダービーでも南井が騎乗して兄弟制覇を狙ったが、フサイチコンコルドの末脚になす術もなく4着に敗れ、デビュー以来初めて連対を逃した。

 

秋は鞍上に岡部幸雄を迎え、ライバルたちに先んじて函館記念から始動したが、古馬の壁に跳ね返されて6着に敗れ、当時菊花賞のステップレースであった京都新聞杯でもダンスインザダークに完敗。

そして、菊花賞でもダンスインザダークの鬼脚に屈し2着に敗れ、結局クラシックを1つも勝つ事ができなかった。

 

年末の有馬記念では、この年の三冠を走った馬として唯一出走。2歳上のサクラローレル、1歳上のマーベラスサンデー、マイネルブリッジに次ぐ4着と健闘した。

 

5歳初戦の京都記念では約1年ぶりの勝利を期待されて、久々に1番人気に推されたが、ユウトウセイに敗れた。

続く産経大阪杯でもマーベラスサンデー、ユウトウセイの3着に敗れ、天皇賞(春)ではレース中に跛行を発症して競走中止となり、勝利から見放されてしまった。

 

故障明けで6か月ぶりの実戦となった天皇賞(秋)では、岡部がバブルガムフェローに騎乗するため、蛯名正義を鞍上に迎えたが、同厩のエアグルーヴと同期のバブルガムフェローの壮絶な叩き合いに加われず、4着に敗れた。

そして、次走のジャパンカップでは11着と初めて二桁着順を喫した。

 

その後、脚部不安で1年間休養ののち引退した。

 

引退後は1999年から北海道日高郡新ひだか町にあるアロースタッドで種牡馬生活を送っていた。

最初の数年間は良血を買われて年間100頭以上に種付けしていたが、1世代上のフジキセキ、同期のダンスインザダークが早々に種牡馬となった事や、その後も数多くのサンデーサイレンス産駒が種牡馬になり、後継種牡馬が飽和気味となる中で、これといった代表産駒を出す事ができず、種牡馬成績は低迷していた。

そのため、2003年を境に種付け数が激減し、種牡馬引退も危惧されていた矢先にアサヒライジングが2006年の牝馬クラシック戦線、アメリカ合衆国のGIで活躍したため、種牡馬生活が数年伸びたといわれている。

 

2013年に種牡馬を引退。種牡馬引退後は新ひだか町内にあるローリングエッグスクラブステーブルで功労馬として余生を送っていた。

2018年12月にローリングエッグスクラブステーブルが閉鎖されたため、畠山牧場豊畑トレーニングセンターに移動して余生を送っていたが、2019年2月2日に老衰のため死亡した。26歳没。

 

血統関係

パワフルレディ(牝 1981 父:マルゼンスキー)

ウイニングチケット(牡 1990 父:トニービン)

ロイヤルタッチ(牡 1993 父:サンデーサイレンス)