アグネスフライト

Last-modified: Mon, 17 Oct 2022 16:36:22 JST (529d)
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アグネスタキオンの全兄

アグネスフライトは、サンデーサイレンスを父に、アグネスフローラを母に持つアグネスタキオンの全兄である。

2000年2月の4歳新馬戦で遅めのデビューを果たし、同年3月の若葉ステークスでは12着と敗退し、皐月賞への出走を逃す。

4月の若草ステークス、5月の京都新聞杯を制し、東京優駿に出走。

同競走三連覇の懸かった武豊騎乗の皐月賞優勝馬エアシャカールを直線で猛然と追い上げハナ差(7cm)で勝利した。

9月には神戸新聞杯に出走。フサイチソニックの2着に敗れるが、エアシャカールには先着する。

しかし、1番人気で迎えた10月菊花賞では2番人気エアシャカールの5着に敗れた。

11月にはエアシャカールら同世代とともにジャパンカップに挑むも13 - 16着とテイエムオペラオー世代に揃って惨敗し、「最弱クラシック世代」と揶揄された。その中でもアグネスフライトは13着と健闘はしている。

古馬となった翌年は2月の京都記念を2着とまずまずの滑り出しを見せるが、次走の4月産経大阪杯で10着と敗退。

さらに屈腱炎を発症、1年7ヶ月の長期休養を余儀なくされる。

2002年の天皇賞(秋)で復帰するも15着、ジャパンカップでは16着と最下位に敗れてしまう。

その後、6歳まで現役を続けたが、結局東京優駿以降1度も勝ち星を上げることができず、2003年の阪神大賞典を最後に現役を引退した。

 

種牡馬としての能力

2003年5月に引退し日高スタリオンステーションで種牡馬入りしたアグネスフライトは2004年より62頭に種付けを行い、その後ファーストクロップとなる産駒は27頭が血統登録された。

2006年には種付け数が92頭にまで増加したが、種牡馬成績は全弟アグネスタキオンに及ばないどころか、成績自体が全く振るわず、年々種付け頭数は減少していった。

アグネスタキオンは2008年JRA総合リーディングサイアーとなり、2009年に死亡したが、その後も血統構成は同じながらアグネスフライトの種牡馬としての需要は伸びず、2010年の種付け数はわずか2頭となっていた。

2011年6月24日をもって日高スタリオンステーションを退厩。種牡馬を引退し、生まれ故郷の社台ファームで余生を過ごすこととなった。

 

血統関係

アグネスフローラ

アグネスフライト(牡 1997 父:サンデーサイレンス)

アグネスタキオン(牡 1998 父:同上) - ダイワスカーレット(牝 2004 母:スカーレットブーケ)