サクラホクトオー

Last-modified: Wed, 19 Oct 2022 22:16:18 JST (526d)
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サクラチヨノオーの半弟

サクラホクトオーは父にトウショウボーイ、母にサクラセダンを持つサクラチヨノオーの半弟(父親違いの兄弟)である。

1988年10月、東京競馬場での新馬戦でデビューし1着。続くオープン特別の府中3歳ステークスも1分48秒6のレコードタイムで勝利し、12月中山競馬場での朝日杯3歳ステークスでは単枠指定を受けて、それに応えて3連勝を飾る。JRA賞選考でも、1988年度のJRA賞最優秀3歳牡馬に選ばれた。

 

明けて4歳、初戦は3月の弥生賞であり2戦連続で単枠指定されたものの、レースでは不良馬場に難渋し12着。クラシック第1戦皐月賞でも単枠指定を受けたものの、レースでは弥生賞に続いての不良馬場となり、20頭立てで競走中止の1頭を除く事実上の最下位に終わった。

クラシック第2戦の東京優駿では人気も5番人気に落ち、ウィナーズサークルの9着に終わる。

秋はセントライト記念を制したのち西下して菊花賞を狙ったが、レースでは管理していた境勝太郎が「自分の馬を見失ったのはこの時だけ」と形容するほどの大外へのコース取りの末に5着。

暮れの有馬記念ではオグリキャップスーパークリークに続く3番人気に支持され、レースでは後方からの競馬をしてイナリワンの3着に入った。

 

古馬となった1990年、緒戦のアメリカジョッキークラブカップで単枠指定に応えて1着。再度西下して産経大阪杯はスーパークリークとともに5度目の単枠指定を受けたが7着と振るわず、天皇賞(春)では3番人気で迎えられるも14着に終わり、こののち長期休養に入って1991年春に復帰して京王杯スプリングカップと安田記念に出走したが2戦とも掲示板外に終わって引退した。

 

兄・サクラチヨノオーに続いたが…

朝日杯の兄弟制覇から続き、クラシック三冠にも果敢に挑んでいったサクラホクトオーだが、結果はご覧のとおりで、馬場不良やフルゲート競走での抜き差しが不得手だったとされる。

また菊花賞での超大外・スタンドギリギリに膨らんでの追い上げは中継カメラからもスタンドの陰で見切れるほどで、頭立てが多ければ多いほど外へヨレてしまう癖が見受けられた。

 

血統関係

サクラセダン(牝 1972 父:セダン)

サクラチヨノオー(牡 1985 父:マルゼンスキー)

サクラホクトオー(牡 1986 父:トウショウボーイ)