ダーレーアラビアン

Last-modified: Fri, 24 Feb 2023 08:20:15 JST (420d)
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“勇敢”を司る三女神の一柱

ダーレーアラビアン(Darley Arabian)は、サラブレッド三大始祖の一頭。

シリアの遊牧民・アラゼー族によって1700年ごろに生産された純血アラブ種であったとされるが、2017年に発表されたY染色体ハプロタイプの系統解析によりターク種であったとも考えられている。

 

ダーレーアラビアンがイギリスに渡った経緯については諸説あり、そのうちのひとつは、アレッポでイギリス領事をしていたトーマス・ダーレーが、最初の所有者であったシェイク・ミルザから略奪したというものである。

当初は「マンニカ」と呼ばれていた当馬を奪われたシェイクはこれに激昂し、管理していた牧場長と牧夫を処刑、さらにアン女王に抗議文を送りつけたとされる。また後にダーレー家の者が殺害されるという事件が起こったが、これはシェイクの報復ではないかとする説もある。

 

1704年イギリスのヨークシャーに渡った本馬はダーレー家の所有となり、名を「ダーレーアラビアン」と改められた。

1706-1719年に種牡馬として供用され、この間交配された牝馬の数は数十頭。バイアリータークよりはかなり多いが、ゴドルフィンバルブよりは少ない。

 

エクリプスの祖

ダーレーアラビアンの子孫で最大の成功を収めたのは、玄孫に当たるエクリプス(Eclipse)である。

トレセン学園の標語ともなっている「Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶ者なし:直訳すると「最初にエクリプスがあり、後には何もなかった」となる。これはエクリプスの突出したレースぶりを示した言葉とされる)」の語源ともなった名馬で、生涯無敗を貫いた伝説的な名馬と言われている。

今日のサラブレッドの父系を遡っていくと、そのほとんど全てがエクリプスにたどり着くとされており、エクリプスを「三大始祖の一角」とする説もある。

近代競馬の祖とされるノーザンダンサー(Northern Dancer)やミスタープロスペクター(Mr. Prospector)なども、父系を辿っていくとエクリプスに到る。

 

血統関係

不明

ダーレーアラビアン(Darley Arabian 牡 1700 父:不明)

 ├フライングチルダース(Flying Childers 牡 1715 母:ベティリーズ(Betty Leedes))

 │└ブレイズ(Blaze 牡 1733 母:コンフィデレートフィリー(Confederate Filly))

 │ └サイプロン(Cypron 牝 1750 母:セリマ(Selima))

 │  └ヘロド(Herod 牡 1758 父:ターター(Tartar))

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 └バートレットチルダース(Bartlett's Childers 牡 1716 母:ベティリーズ(Betty Leedes))

  └スクアート(Squirt 牡 1732 母:スネークマーレ(Snake Mare))

   └マースク(Marske 牡 1750 母:ブラックレッグス(ハットンズ)マーレ(Blacklegs[Hutton's] Mare))

    └エクリプス(Eclipse 牡 1764 母:スピレッタ(Spilletta))

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