ヴィクトワールピサ

Last-modified: Thu, 11 Apr 2024 07:30:23 JST (8d)
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ネオユニヴァースの仔

ヴィクトワールピサは、父ネオユニヴァース、母ホワイトウォーターアフェア(Whitewater Affair)の競走馬・種牡馬である。

2010年の皐月賞、有馬記念に勝利したほか、2011年のドバイワールドカップに日本馬としては初めて勝利した。

 

2歳(2009年)

2009年10月25日、ヴィクトワールピサは京都の新馬戦で競走馬としてデビュー。

レースでは1番人気に支持されるがローズキングダムを差し切れず2着に敗れ、中1週で同競馬場の未勝利戦に出走して初勝利を挙げた。

続く11月28日の京都2歳ステークスは直線で先頭に立ってそのまま押し切り、2勝目を挙げる。

そして12月26日のラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは後方から徐々に順位を上げ、逃げるコスモファントムをクビ差で差し切り、3連勝で重賞制覇を果たした。

 

3歳(2010年)

3歳となったヴィクトワールピサの初戦には、2010年3月7日の弥生賞が選ばれた。

レースでは馬群の中ほどに控え、直線詰まり気味になりながらも残り100メートルほどでエイシンアポロンを捉えて優勝した。

 

しかし、デビューから騎乗していた武豊が3月27日の毎日杯での落馬事故で負傷したため、4月18日の皐月賞では岩田康誠に乗り替わりとなった。

その皐月賞では、前年度JRA賞最優秀2歳牡馬のローズキングダムを抑えて1番人気に推される。

レースでは後方の内に控え、直線もそのまま最内から抜け出して優勝した。この勝利は父・ネオユニヴァースとの父子2代の皐月賞優勝、また異母兄でもあるアンライバルドとの兄弟連覇でもあった。

 

管理調教師の角居勝彦は、この勝利から前年まで厩舎の看板であったウオッカの後継馬へと期待を膨らませ、凱旋門賞への一次登録を行った。

しかし、5月30日の第77回東京優駿も1番人気に支持されるが、先に抜け出したエイシンフラッシュ、ローズキングダムを交わすことができず3着に敗れた。

 

6月26日、角居からヴィクトワールピサの凱旋門賞挑戦が発表された。

この遠征は日本調教馬が3歳で凱旋門賞に挑戦する初めてのケースである。

8月19日(日本時間)、ヴィクトワールピサは帯同馬のピサノヴァロンとともにアムステルダム経由でフランス入りした。

フランス入り後はシャンティイ調教場で調教を重ね、まずプレップレースとして9月12日のニエル賞 (G2) に出走した。

レースでは中団のやや後ろを追走し、直線で懸命に追い上げてくるも残り200メートル付近で脚が止まり4着に敗れた。

続く凱旋門賞では直線入り口での位置取りが絶望的だったため、確かな脚を見せたが、勝ったワークフォースから8馬身以上離れた7着に終わった。

 

帰国後の初戦は11月28日のジャパンカップを選択した。

主戦騎手の武豊がローズキングダムに騎乗することが決まっていたため、鞍上はマキシム・ギュイヨンに乗り替わった。

当初、騎手はミルコ・デムーロに乗り替わることが発表されていたが、デムーロがオーナーと騎乗契約を結んでいるヴォワライシに騎乗するため直前に変更された。

レースは2番手グループで流れに乗ると直線ではローズキングダムとの激しい争いとなり、ハナ差でローズキングダムに交わされて3着となった。

騎手がミルコ・デムーロに交代した12月26日の有馬記念では、4、5番手追走から早めに先頭へ立ち、追い込んできた1番人気のブエナビスタをハナ差振り切って優勝した。

写真判定の結果が出るとデムーロは感極まって涙を流した。

なお、同年にGI競走を制していたため、報奨金3000万円も獲得した。

そして、有馬記念でこの年の3歳馬唯一のG1競走2勝を挙げたことにより、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。

 

4歳(2011年)

2月4日(日本時間)、ブエナビスタ、トランセンドとともにドバイワールドカップに選出され、招待を受諾したと発表した。

そのドバイワールドカップに向けた前哨戦として、中山記念に出走。

道中はやや後方を追走するも、4コーナー近くから一気に大外を回って進出。直線では他馬を突き放し、4歳初戦を勝利した。

 

そして迎えたドバイワールドカップ。

スタートでは行き脚がつかず、最後方からの競馬となるが、向正面で一気に進出し、逃げるトランセンドの外側の2番手につけた。

そして直線残り300メートル付近で先頭に立つとそのまま押し切り、日本馬では初めてドバイワールドカップに優勝した。

鞍上のデムーロは初参戦にして初勝利。勝利後はインタビューの途中、馬上で涙を見せる場面もあった。

レース後の会見で、オーナーの市川は次走を香港のクイーンエリザベス2世カップにすることを明言した。また、秋は前年に引き続き凱旋門賞へ向かうことをデムーロが強く促した。

 

その後ドバイから香港へ移動し、クイーンエリザベス2世カップ出走に向けて調整されていたが、右後肢に軽度の跛行が生じたため、同レースを回避した。

4月27日にいったん日本に帰国。秋のローテーションについては、アイリッシュチャンピオンステークスから凱旋門賞に出走するプランとなっていたが、のちにフォワ賞から凱旋門賞に出走するプランに変更。

さらに、その凱旋門賞で勝利した場合は引退して種牡馬入りし、敗れた場合はジャパンカップに出走する予定であるとオーナーの市川が発表した。

しかしレースに向け、8月10日に現地に到着し調整を行っていたが、13日に行った調教後に左後肢の跛行が生じ、また左飛節に炎症があることがわかり、5週間程度の安静が必要との診断を受けたことからフォワ賞と凱旋門賞への出走を取りやめた。

 
 

その後11月27日のジャパンカップで復帰したが終始後方のまま13着に敗れ、連覇をかけて挑んだ有馬記念は2番手追走も、直線で一杯になり8着に敗れた。

結局この年のGI勝利はドバイワールドカップの1勝のみに終わったが、天皇賞(秋)に優勝しジャパンカップでも好走したトーセンジョーダンとの接戦を制し、JRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出された。

有馬記念直後の2011年12月27日に引退が決まり、2012年1月15日に京都競馬場で引退式を行って同日付で競走馬登録を抹消した。

 

血統関係

ホワイトウォーターアフェア(Whitewater Affair 牝 1993 父:マキャヴェリアン(Machiavellian))

├アサクサデンエン(Asakusa Den'en 牡 1999 父:シングスピール(Singspiel))

ヴィクトワールピサ(牡 2007 父:ネオユニヴァース)

 └ジュエラー(牝 2013 母:バルドウィナ(Baldwina))

 

ネオユニヴァース(牡 2000 父:サンデーサイレンス(Sunday Silence))

ロジユニヴァース(牡 2006 母:アコースティクス)

├アンライバルド(牡 2006 母:バレークイーン(Ballet Queen))

ヴィクトワールピサ(牡 2007 母:ホワイトウォーターアフェア(Whitewater Affair))