ディクタス

Last-modified: Sun, 07 May 2023 07:18:13 JST (356d)
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イクノディクタスの父

ディクタス(Dictus)は、フランス生産の競走馬、種牡馬である。

 

父・サンクタス(Sanctus)は競走馬としてジョッケクルブ賞やパリ大賞典など15戦6勝、何れのレースでも掲示板を外したことがなく優秀な馬であり、種牡馬としても1972年にフランスリーディングサイアーに輝く実績を収めた。

ディクタスのほか、ハギノトップレディの父サンシーも彼の産駒である。

 

現役時代

1969年、2歳でデビューしたディクタスはダリア賞で3着になり、フォンテーヌブロー競馬場のブーケデュロワ賞(Prix du Bouquet du Roi、1700メートル)に勝って2戦1勝でシーズンを終えた。

翌年は春にジュドランジュ賞(Prix Jus d'Orange、2000メートル)、ラク賞(Prix du Lac、2400メートル)に勝ち、3100メートルのパリ大賞典に挑み大敗した。

このあと、中距離に戻ってG2コートノルマン賞2着、続くラロシェト賞(Prix La Rochette、1850メートル)に勝利。

ニジンスキーに挑戦

夏を休養して秋初戦のG2アンリデラマール賞で4着のあと、イギリスに遠征してニューマーケット競馬場のチャンピオンステークスに挑戦した。

この競走には、この年のイギリスの三冠馬ニジンスキーが出走した。ニジンスキーは三冠達成のあとフランスへわたって凱旋門賞に出て、ササフラに不覚を取った後だったが、適距離の2000メートルに戻って勝利は間違いないと考えられていた。イギリス人の中にはニジンスキーの単勝に200万ポンドも賭けた不動産屋もいた。

 

ところが、ニジンスキーの引退レースを一目見ようと集まった2万人の観衆は出走前のニジンスキーを追いかけまわしてスターティングゲートのところまで取り囲み、ニジンスキーはすっかり興奮して消耗してしまった。

ニジンスキーは動きが悪く、早めに抜けだしたローレンザッチョを捕まえられずに3馬身差で敗れた。3着にはホットフット(Hotfoot)が入り、ディクタスは4着だった。

 

1971年、古馬になったディクタスは、春初戦のエヴリ賞(G3、1600メートル)でファラウェイサン(Faraway Sun)をクビ差おさえて1分36秒5のレコードタイムで勝ち、グループレース初勝利を挙げた。

続くガネー賞(G1、2100メートル)ではカロ(Caro)の前に9着に敗れ、次走モーリスドラクソン賞でも4着に終わった。

夏はメシドール賞(G3、1600メートル)で首差の2着に敗れたのち、ドーヴィル競馬場のジャックルマロワ賞(G1、1600メートル)に出走。

ディクタスはイギリスの3歳馬スパークラー(Sparkler)をゴール前で半馬身捉え、G1初優勝を遂げた。

ブリガディアジェラードに挑戦

1マイルのG1競走に勝ったとはいえ、ディクタスの真価が問われるのは次走、イギリスのアスコット競馬場のG2戦、クイーンエリザベス2世ステークスになった。

この年のヨーロッパのマイル路線には1頭の傑出馬がいた。春に2000ギニーで本命のミルリーフに3馬身差をつけて切って捨てたブリガディアジェラードである。

ブリガディアジェラードはデビュー以来無傷の8連勝でこの競走に出てきた。

 

ディクタスがこれまで戦ってきた相手を尺度にすると、ディクタスがエヴリ賞でクビ差を争ったファラウェイサンは、その後イギリスへ渡ってサセックスステークスに挑み、ブリガディアジェラードの2着になっていた。とはいえ、着差は大差だった。

しかし、ジャックルマロワ賞で半馬身差だったスパークラーは、セントジェームズパレスステークスでブリガディアジェラードとアタマ差の勝負をしていた。これはブリガディアジェラードに最も僅差まで迫ったもので、これ以外の7戦で、ブリガディアジェラードは常に2着に最低でも2馬身以上、合計で27馬身+大差をつけて勝ってきている。

 

9月末のアスコット競馬場のクイーンエリザベス2世ステークス(G2、1マイル=約1609メートル)には、たったの3頭しか出走しなかった。ほかはみなブリガディアジェラードを恐れて回避した。

結局ディクタスはブリガディアジェラードに8馬身の差をつけられて2着になった。これがディクタスの最後の競走となった。

引退後

1972年よりフランスのマレ牧場で種牡馬となる。

1978年に種牡馬ランキングで5位となったのを皮切りに毎年10位以内の成績を保ち、1980年には日本の社台グループに購入された。

翌1981年には自己最高のランキング2位(フランス)を記録し、さらに1983年にはザラテアがオークツリー招待ステークス、パリカラキがアーリントンハンデキャップと、産駒がそれぞれアメリカのG1競走に優勝した。

日本でも供用初年度産駒から朝日杯3歳ステークス勝ち馬のスクラムダイナを出し、その後もGI競走2勝のサッカーボーイなど数々の重賞勝利馬を輩出した。

1989年に23歳で死亡。サッカーボーイが後継種牡馬として3頭のGI競走優勝馬を輩出しているほか、ザラテアの産駒にフレイズ(ブリーダーズカップ・ターフなどG1競走3勝)、サッカーボーイの全妹・ゴールデンサッシュの産駒にステイゴールドがいる。

 

”変顔”の血筋?

社台グループの白老ファーム場長・服巻滋之によると、ディクタス産駒は機嫌は損ねると「耳を後ろに寝かせ、白目を剥いて睨み付ける」という独特の表情をするものが多く、放牧地でそうした表情を見せる馬を見つけ「父系か母系にディクタスの血が入っていないか」と確認すると、その通りであることが多かったという。

ナリタトップロードのヒミツで語られている「怒った顔は父親にそっくり」の逸話は、ディクタスの産駒である父・サッカーボーイが上述の”変顔”の癖を持っていたことが由来していると考えられる。

 

血統関係

ドロニック(Doronic 牝 1960 父:ウォーデン(Worden))

ディクタス(Dictus 牡 1967 父:サンクタス(Sanctus))

 ├パリカラキ(Palikaraki 牡 1978 母:ペナコヴァ(Penacova))

 ├ザラテア(Zalataia 牝 1979 母:タピオキュリー(Tapioquerie))

 │└フレイズ(Fraise 牡 1988 父:ストロベリーロード(Strawberry Road))

 ├スクラムダイナ(牡 1982 母:シャダイギャラント)

 ├サッカーボーイ(牡 1985 母:ダイナサッシュ)

 │├ツルマルガール(牝 1991 母:エプソムガール)

 ││└ツルマルボーイ(牡 1998 父:ダンスインザダーク)

 │├タカラカンナ(牝 1993 母:クリムゾンラトラー(Crimson Rattler))

 ││└マイネルキッツ(牡 2003 父:チーフベアハート(Chief Bearhart))

 │├ナリタトップロード(牡 1996 母:フローラルマジック(Floral Magic))

 │├ティコティコタック(牝 1997 母:ワンアイドバンブー)

 │├ヒシミラクル(牡 1999 母:シュンサクヨシコ)

 │└テンノベニバラ(牝 2000 母:フェートグリン)

 │ └ヴァケーション(牡 2017 父:エスポワールシチー)

 ├イクノディクタス(牝 1987 母:ダイナランディング)

 └ゴールデンサッシュ(牝 1988 母:ダイナサッシュ)

  └ステイゴールド(牡 1994 父:サンデーサイレンス(Sunday Silence))

   └※ステイゴールドのページを参照。

 

サンクタス(Sanctus 牡 1960 父:ファイントップ(Fine Top))

ディクタス(Dictus 牡 1967 母:ドロニック(Doronic))

├ストラテージ(Stratege 牡 1968 母:サインダイ(Sine Die))

└サンシー(牡 1969 母:ワーディース(Wordys))

 ├ハギノトップレディ(牝 1977 母:イットー)

 │└※ハギノトップレディのページを参照。

 └レーシングジイーン(牝 1982 母:マウタジヨウオー)

  └ツインターボ(牡 1988 父:ライラリッジ(Lyra Ridge))