ディクタス
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イクノディクタスの父
ディクタス(Dictus)は、フランス生産の競走馬、種牡馬である。
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父・サンクタス(Sanctus)は競走馬としてジョッケクルブ賞やパリ大賞典など15戦6勝、何れのレースでも掲示板を外したことがなく優秀な馬であり、種牡馬としても1972年にフランスリーディングサイアーに輝く実績を収めた。
ディクタスのほか、ハギノトップレディの父サンシーも彼の産駒である。
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現役時代
1969年、2歳でデビューしたディクタスはダリア賞で3着になり、フォンテーヌブロー競馬場のブーケデュロワ賞(Prix du Bouquet du Roi、1700メートル)に勝って2戦1勝でシーズンを終えた。
翌年は春にジュドランジュ賞(Prix Jus d'Orange、2000メートル)、ラク賞(Prix du Lac、2400メートル)に勝ち、3100メートルのパリ大賞典に挑み大敗した。
このあと、中距離に戻ってG2コートノルマン賞2着、続くラロシェト賞(Prix La Rochette、1850メートル)に勝利。
ニジンスキーに挑戦
夏を休養して秋初戦のG2アンリデラマール賞で4着のあと、イギリスに遠征してニューマーケット競馬場のチャンピオンステークスに挑戦した。
この競走には、この年のイギリスの三冠馬ニジンスキーが出走した。ニジンスキーは三冠達成のあとフランスへわたって凱旋門賞に出て、ササフラに不覚を取った後だったが、適距離の2000メートルに戻って勝利は間違いないと考えられていた。イギリス人の中にはニジンスキーの単勝に200万ポンドも賭けた不動産屋もいた。
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ところが、ニジンスキーの引退レースを一目見ようと集まった2万人の観衆は出走前のニジンスキーを追いかけまわしてスターティングゲートのところまで取り囲み、ニジンスキーはすっかり興奮して消耗してしまった。
ニジンスキーは動きが悪く、早めに抜けだしたローレンザッチョを捕まえられずに3馬身差で敗れた。3着にはホットフット(Hotfoot)が入り、ディクタスは4着だった。
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1971年、古馬になったディクタスは、春初戦のエヴリ賞(G3、1600メートル)でファラウェイサン(Faraway Sun)をクビ差おさえて1分36秒5のレコードタイムで勝ち、グループレース初勝利を挙げた。
続くガネー賞(G1、2100メートル)ではカロ(Caro)の前に9着に敗れ、次走モーリスドラクソン賞でも4着に終わった。
夏はメシドール賞(G3、1600メートル)で首差の2着に敗れたのち、ドーヴィル競馬場のジャックルマロワ賞(G1、1600メートル)に出走。
ディクタスはイギリスの3歳馬スパークラー(Sparkler)をゴール前で半馬身捉え、G1初優勝を遂げた。
ブリガディアジェラードに挑戦
1マイルのG1競走に勝ったとはいえ、ディクタスの真価が問われるのは次走、イギリスのアスコット競馬場のG2戦、クイーンエリザベス2世ステークスになった。
この年のヨーロッパのマイル路線には1頭の傑出馬がいた。春に2000ギニーで本命のミルリーフに3馬身差をつけて切って捨てたブリガディアジェラードである。
ブリガディアジェラードはデビュー以来無傷の8連勝でこの競走に出てきた。
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ディクタスがこれまで戦ってきた相手を尺度にすると、ディクタスがエヴリ賞でクビ差を争ったファラウェイサンは、その後イギリスへ渡ってサセックスステークスに挑み、ブリガディアジェラードの2着になっていた。とはいえ、着差は大差だった。
しかし、ジャックルマロワ賞で半馬身差だったスパークラーは、セントジェームズパレスステークスでブリガディアジェラードとアタマ差の勝負をしていた。これはブリガディアジェラードに最も僅差まで迫ったもので、これ以外の7戦で、ブリガディアジェラードは常に2着に最低でも2馬身以上、合計で27馬身+大差をつけて勝ってきている。
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9月末のアスコット競馬場のクイーンエリザベス2世ステークス(G2、1マイル=約1609メートル)には、たったの3頭しか出走しなかった。ほかはみなブリガディアジェラードを恐れて回避した。
結局ディクタスはブリガディアジェラードに8馬身の差をつけられて2着になった。これがディクタスの最後の競走となった。
引退後
1972年よりフランスのマレ牧場で種牡馬となる。
1978年に種牡馬ランキングで5位となったのを皮切りに毎年10位以内の成績を保ち、1980年には日本の社台グループに購入された。
翌1981年には自己最高のランキング2位(フランス)を記録し、さらに1983年にはザラテアがオークツリー招待ステークス、パリカラキがアーリントンハンデキャップと、産駒がそれぞれアメリカのG1競走に優勝した。
日本でも供用初年度産駒から朝日杯3歳ステークス勝ち馬のスクラムダイナを出し、その後もGI競走2勝のサッカーボーイなど数々の重賞勝利馬を輩出した。
1989年に23歳で死亡。サッカーボーイが後継種牡馬として3頭のGI競走優勝馬を輩出しているほか、ザラテアの産駒にフレイズ(ブリーダーズカップ・ターフなどG1競走3勝)、サッカーボーイの全妹・ゴールデンサッシュの産駒にステイゴールドがいる。
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”変顔”の血筋?
社台グループの白老ファーム場長・服巻滋之によると、ディクタス産駒は機嫌は損ねると「耳を後ろに寝かせ、白目を剥いて睨み付ける」という独特の表情をするものが多く、放牧地でそうした表情を見せる馬を見つけ「父系か母系にディクタスの血が入っていないか」と確認すると、その通りであることが多かったという。
ナリタトップロードのヒミツで語られている「怒った顔は父親にそっくり」の逸話は、ディクタスの産駒である父・サッカーボーイが上述の”変顔”の癖を持っていたことが由来していると考えられる。
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血統関係
ドロニック(Doronic 牝 1960 父:ウォーデン(Worden))
└ディクタス(Dictus 牡 1967 父:サンクタス(Sanctus))
├パリカラキ(Palikaraki 牡 1978 母:ペナコヴァ(Penacova))
├ザラテア(Zalataia 牝 1979 母:タピオキュリー(Tapioquerie))
│└フレイズ(Fraise 牡 1988 父:ストロベリーロード(Strawberry Road))
├スクラムダイナ(牡 1982 母:シャダイギャラント)
├サッカーボーイ(牡 1985 母:ダイナサッシュ)
│├ツルマルガール(牝 1991 母:エプソムガール)
││└ツルマルボーイ(牡 1998 父:ダンスインザダーク)
│├タカラカンナ(牝 1993 母:クリムゾンラトラー(Crimson Rattler))
││└マイネルキッツ(牡 2003 父:チーフベアハート(Chief Bearhart))
│├ナリタトップロード(牡 1996 母:フローラルマジック(Floral Magic))
│├ティコティコタック(牝 1997 母:ワンアイドバンブー)
│├ヒシミラクル(牡 1999 母:シュンサクヨシコ)
│└テンノベニバラ(牝 2000 母:フェートグリン)
│ └ヴァケーション(牡 2017 父:エスポワールシチー)
├イクノディクタス(牝 1987 母:ダイナランディング)
└ゴールデンサッシュ(牝 1988 母:ダイナサッシュ)
└ステイゴールド(牡 1994 父:サンデーサイレンス(Sunday Silence))
└※ステイゴールドのページを参照。
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サンクタス(Sanctus 牡 1960 父:ファイントップ(Fine Top))
├ディクタス(Dictus 牡 1967 母:ドロニック(Doronic))
├ストラテージ(Stratege 牡 1968 母:サインダイ(Sine Die))
└サンシー(牡 1969 母:ワーディース(Wordys))
├ハギノトップレディ(牝 1977 母:イットー)
│└※ハギノトップレディのページを参照。
└レーシングジイーン(牝 1982 母:マウタジヨウオー)
└ツインターボ(牡 1988 父:ライラリッジ(Lyra Ridge))