ダーレーアラビアン の変更点
Top > ダーレーアラビアン
- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
- ダーレーアラビアン へ行く。
**“勇敢”を司る三女神の一柱 [#udfb4c69] ダーレーアラビアン(Darley Arabian)は、サラブレッド三大始祖の一頭。 シリアの遊牧民・アラゼー族によって1700年ごろに生産された純血アラブ種であったとされるが、2017年に発表されたY染色体ハプロタイプの系統解析によりターク種であったとも考えられている。 #br ダーレーアラビアンがイギリスに渡った経緯については諸説あり、そのうちのひとつは、アレッポでイギリス領事をしていたトーマス・ダーレーが、最初の所有者であったシェイク・ミルザから略奪したというものである。 当初は「マンニカ」と呼ばれていた当馬を奪われたシェイクはこれに激昂し、管理していた牧場長と牧夫を処刑、さらにアン女王に抗議文を送りつけたとされる。また後にダーレー家の者が殺害されるという事件が起こったが、これはシェイクの報復ではないかとする説もある。 #br 1704年イギリスのヨークシャーに渡った本馬はダーレー家の所有となり、名を「ダーレーアラビアン」と改められた。 1706-1719年に種牡馬として供用され、この間交配された牝馬の数は数十頭。バイアリータークよりはかなり多いが、ゴドルフィンバルブよりは少ない。 #br **エクリプスの祖 [#i96aa576] ダーレーアラビアンの子孫で最大の成功を収めたのは、玄孫に当たるエクリプス(Eclipse)である。 トレセン学園の標語ともなっている「'''''Eclipse first, the rest nowhere.'''''(唯一抜きん出て並ぶ者なし:直訳すると「最初にエクリプスがあり、後には何もなかった」となる。これはエクリプスの突出したレースぶりを示した言葉とされる)」の語源ともなった名馬で、生涯無敗を貫いた伝説的な名馬と言われている。 今日のサラブレッドの父系を遡っていくと、そのほとんど全てがエクリプスにたどり着くとされており、エクリプスを「三大始祖の一角」とする説もある。 近代競馬の祖とされるノーザンダンサー(Northern Dancer)やミスタープロスペクター(Mr. Prospector)なども、父系を辿っていくとエクリプスに到る。 #br ***血統関係 [#m26865ce] 不明 └ダーレーアラビアン(Darley Arabian 牡 1700 父:不明) ├フライングチルダース(Flying Childers 牡 1715 母:ベティリーズ(Betty Leedes)) │└ブレイズ(Blaze 牡 1733 母:コンフィデレートフィリー(Confederate Filly)) │ └サイプロン(Cypron 牝 1750 母:セリマ(Selima)) │ └ヘロド(Herod 牡 1758 父:ターター(Tartar)) │ ┊ └バートレットチルダース(Bartlett's Childers 牡 1716 母:ベティリーズ(Betty Leedes)) └スクアート(Squirt 牡 1732 母:スネークマーレ(Snake Mare)) └マースク(Marske 牡 1750 母:ブラックレッグス(ハットンズ)マーレ(Blacklegs[Hutton's] Mare)) └エクリプス(Eclipse 牡 1764 母:スピレッタ(Spilletta)) ┊