サクラユタカオー の変更点

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**サクラバクシンオー、ユキノビジンの父 [#p03af744]

サクラユタカオーは父にテスコボーイ、母にアンジェリカを持つサクラバクシンオー、ユキノビジンの父である。

1984年12月中山の新馬戦をレコード勝ちすると、万両賞、共同通信杯と連勝。

クラシック路線の有力候補に挙げられたが、皐月賞前に右前脚を骨折し春シーズンを全休する。

10月の京都新聞杯から復帰するも、皐月賞優勝馬ミホシンザンの前に4着、続いて出走したクラシック最後の一冠・菊花賞もふたたび同馬の4着と敗れた。

次走のダービー卿チャレンジトロフィーでスズパレードの2着に入り復活の兆しを見せたが、その後脚部不安を生じ再び休養に入る。

5歳になり大阪杯で復帰すると、重賞2連勝中のスダホークを退け約1年2か月振りの勝利を挙げた。しかし次走の天皇賞(春)では14着と大敗、競走後に再び脚部不安を生じ、三度休養に入った。

秋は得意距離に戻った毎日王冠から復帰すると、ここではミホシンザンのみならず、後に安田記念などG1を3勝する事になる1歳年下のニッポーテイオーを破りレコードタイムで優勝、天皇賞(秋)に進んだ。

天皇賞では「前走のレコード勝利で余力が残っていない」などと見られ、さらに圧倒的不利とされる大外枠(16番枠)に入ったこともあり、単勝オッズはミホシンザンに次ぐ2番人気だった。

しかし鞍上・小島太のスムーズな騎乗によって好位置を確保すると、最後の直線半ばでウインザーノットを捉え、同馬に2馬身半差を付けて優勝。会心のレースでGI初制覇を果たした。優勝タイム1分58秒3は芝2000メートルの日本レコードタイムであった。

続くジャパンカップ、有馬記念ではともに6着と敗れ、これを最後に競走馬を引退した。1987年2月1日東京競馬場において引退式が挙行された。
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**産駒に受け継がれたスピード [#r317e48d]

レコード勝利を連発するなど軽快なスピードを持っていたサクラユタカオー。重馬場に極端に弱い脚質や1800 - 2000mという限られた距離でのスピード勝利という性質がサクラバクシンオーを始めとした産駒によく受け継がれている。

サクラバクシンオー、エアジハードは後継種牡馬としても活躍し、2002年にサクラバクシンオー産駒のショウナンカンプが高松宮記念、2010年にグランプリボスが朝日杯フューチュリティステークス、2011年に同馬がNHKマイルカップに優勝し、また2010年にはエアジハード産駒のショウワモダンが安田記念に優勝、父子三代GI制覇が達成された。
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***血統関係 [#lc39c1c1]

アンジェリカ(牝 1970 父:ネヴァービート(Never Beat))

└サクラユタカオー(牡 1982 父:テスコボーイ)

 ├サクラバクシンオー(牡 1989 母:サクラハゴロモ)

 │&size(16){├ブランディス(騸 1997 母:メゾンブランシュ)};

&size(16){ │};&size(16){├ショウナンカンプ(牡 1998 母:ショウナングレイス)};

&size(16){ │};&size(16){├グランプリボス(牡 2008 母:ロージーミスト)};

&size(16){ │};&size(16){└ビッグアーサー(牡 2011 母:シヤボナ)};

&size(16){ ├エイプリルドラマ(牝 1989 母:ファインドラマ)};

&size(16){ │};&size(16){└ロジック(牡 2003 父:アグネスタキオン)};

&size(16){ ├ユキノビジン(牝 1990 母:ファティマ)};

&size(16){ ├ミスグローリー(牝 1990 母:グラツドタイディングス(Glad Tidings))};

&size(16){ │};&size(16){└タムロチェリー(牝 1999 父:セクレト)};

 ├サクラキャンドル(牝 1992 母:サクラクレア―)

&size(16){ ├センボンザクラ(牝 1992 母:ダイナフランダース)};

&size(16){ │};&size(16){└クィーンスプマンテ(牝 2004 父:ジャングルポケット)};

 &size(16){├エアジハード(牡 1995 母:アイシーゴーグル)};

&size(16){ │};&size(16){└ショウワモダン(牡 2004 母:ユメシバイ)};

&size(16){ };&size(16){├ウメノファイバー(牝 1996 母:ウメノローザ)};

&size(16){ };&size(16){└メルシータカオー(騸 1999 母:ウィスパーモア)};