ダイタクリーヴァ のバックアップ(No.2)


フジキセキの仔

ダイタクリーヴァは父にフジキセキ、母にスプリングネヴァーを持つ競走馬である。

また母のスプリングネヴァーはダイタクヘリオスの半妹(父親違いの兄妹)に当たり、ダイタクリーヴァダイタクヘリオスは伯父・甥の関係に当たる。

さらに、スプリングネヴァーは父にサクラユタカオーを持つため、その子サクラバクシンオーとも伯父・甥の関係となる(が、競走馬の世界では基本的に「腹違い(母親違い)の兄弟姉妹」を血縁関係で結ぶことはない)。

 

デビューは1999年の11月で、安藤勝己を鞍上に勝利を挙げる。このときの2着馬はエイシンプレストンであった。

次走の白菊賞(500万下条件戦)は2着だったものの、北九州3歳ステークス(平年開催では中京3歳ステークスにあたる)に勝利すると、明けて2000年のシンザン記念、スプリングステークスと3連勝を飾る。

そして皐月賞では単勝1番人気に支持されるもエアシャカールのクビ差2着に敗れる。一度はNHKマイルカップに進むと発表されたが最終的に東京優駿(日本ダービー)に出走。2番人気に支持されたが、距離延長でまったく動けず12着と初めての惨敗を喫した。

 

秋はマイル路線に目標を定め、富士ステークスで3着のあと、マイルチャンピオンシップに駒を進めるが、当日のレースで主戦騎手の高橋亮が落馬負傷。急遽安藤勝己への乗り替わりが発表されてから、急に人気が上がり最終的に1番人気となる珍事もあった。

レースでは最短距離を通り内から抜け出したが、ゴール前でアグネスデジタルの強襲に遭い2着惜敗。次走の鳴尾記念では松永幹夫に乗り替わって勝利。2001年の京都金杯ではアグネスデジタルに雪辱を果たすが、次走の中山記念で3着に敗れ、のちに左前脚の骨折が発覚する。

 

復帰した同年の秋は前年と同じローテーションで臨み、河内洋を鞍上に迎え、まず富士ステークスで2着。マイルチャンピオンシップでは1番人気に推されるが、スタートで出遅れ、第4コーナーも大外を回るロスが響き9着と惨敗。

鳴尾記念では武豊の騎乗で2着に入り、翌2002年の京都金杯を史上初となる連覇で勝利する。しかしその後は精彩を欠き、安田記念17着惨敗後、レース中に屈腱を断裂していたことが発覚し、引退を余儀なくされた。

 

血統関係

ネヴァーイチバン(牝 1971 父:ネヴァービート)

ダイタクヘリオス(牡 1987 父:ビゼンニシキ)

スプリングネヴァー(牝 1992 父:サクラユタカオー)

 └ダイタクリーヴァ(牡 1997 父:フジキセキ)