ノーザンテースト のバックアップ(No.1)


日本競馬史上最も成功したリーディングサイアー

ノーザンテースト(Northern Taste)は、カナダで産まれフランスで競走した競走馬である。

1972年7月のアメリカ・ニューヨーク州サラトガ競馬場のセリ市で社台グループ総帥吉田善哉からノーザンダンサー産駒の(牡の仔馬)購入命令を受けた吉田照哉(現社台ファーム代表)が10万ドル(当時のレートで3080万円)で落札。

当時はニジンスキーリファールなどノーザンダンサー産駒がそれまでのサラブレッドの常識を打ち破るほどの目覚ましい活躍を遂げており、その経緯から競走馬として、また将来的には種牡馬として供用することを前提に購入された。

 

その後フランスに渡り、サンクルー競馬場のトーマスブライオン賞とメゾンラフィット競馬場のエクリプス賞を制し、翌1974年4月にジェベル賞を制した。

1974年のイングリッシュクラシックに出場するために派遣されたノーザンテイストは、2000ギニーで4位、エプソムダービーで5位。

フランスではウジェーヌ・アダム賞で3着、9月にロンシャン競馬場で行われたグループIのムーラン・ド・ロンシャン賞で2着となり、10月のG1プリ・ド・ラ・フォレを制した。

1975年にはロンシャンで秋にグループIIIのプリデュパンを獲得した。

生涯成績20戦5勝でノーザンテーストは早々と引退。

 

1975年4歳時に当初の予定通り種牡馬として社台グループが日本に輸入。

種牡馬入りした当初は、その独特の容貌(短い足と大きな頭部)から、日高の一部生産者から「犬のような馬」「わざわざアメリカからヤギを買ってきたのか」と揶揄され、嘲笑に近い言葉を浴びせられたこともあったという。

しかしその後、ノーザンテーストは数多くの勝ち馬を輩出し、日本競馬の血統を大きく塗り替えた名種牡馬としてかつてない賞賛を受けることになる。

 

1982年にテスコボーイから日本リーディングサイアーの座を奪い取ると、通算10回のリーディングサイアーに輝いた。中央競馬のみの集計では11年連続11回という前例のない記録であった。

また、1990年から2006年まで17年連続リーディングブルードメアサイアー(中央競馬のみの集計では1991年から2005年の15年連続)にも輝いている。

 

記録としては1979年から1996年までの18年連続、また1977年産から1996年産までの20世代連続で重賞馬が輩出。1979年から2006年まで中央競馬28年連続で産駒が勝利を収めた。2004年にサンデーサイレンスに更新されるまで産駒JRA勝利数で第1位だった。

 

1999年に13頭の繁殖牝馬に種付けを行ったのを最後に、2000年種牡馬を引退。

2004年12月11日午後3時20分、北海道勇払郡早来町の社台スタリオンステーションで老衰のため死亡。33歳の大往生だった。

死後、遺体は社台スタリオンステーション敷地内の高台に埋葬されている。

 

トレセン学園理事長・秋川やよいのモデルになった?

ノーザンテーストはサラブレットとしては非常に小柄であり、老いてもなお若々しい外見を保ち続けたとされており、明るい栗毛の毛色や顔面の大作(白毛の模様)などが、秋川やよいのモデルに使われているのではないかとされている。

 

血統関係

レディーヴィクトリア(Lady Victoria 牝 1962 父:ヴィクトリアパーク(Victoria Park))

ノーザンテースト(Northern Taste 牡 1971 父:ノーザンダンサー(Northern Dancer))

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