ダーレーアラビアン のバックアップ(No.1)
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- ダーレーアラビアン へ行く。
- 1 (2023-02-23 (木) 09:22:14)
- 2 (2023-02-23 (木) 22:27:34)
- 3 (2023-02-24 (金) 02:10:54)
- 4 (2023-02-24 (金) 08:20:15)
“勇敢”を司る三女神の一柱
ダーレーアラビアン(Darley Arabian)は、サラブレッド三大始祖の一頭。
シリアの遊牧民・アラゼー族によって1700年ごろに生産された純血アラブ種であったとされるが、2017年に発表されたY染色体ハプロタイプの系統解析によりターク種であったとも考えられている。
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ダーレーアラビアンがイギリスに渡った経緯については諸説あり、そのうちのひとつは、アレッポでイギリス領事をしていたトーマス・ダーレーが所有者であったシェイク・ミルザから略奪したというものである。
当初は「マンニカ」と呼ばれていた当馬を奪われたシェイクはこれに激昂し、管理していた牧場長と牧夫を処刑、さらにアン女王に抗議文を送りつけたとされる。また後にダーレー家の者が殺害されるという事件が起こったが、これはシェイクの報復ではないかとする説もある。
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1704年イギリスのヨークシャーに渡った本馬はダーレー家の所有となり、名を「ダーレーアラビアン」と改められた。
1706-1719年に種牡馬として供用され、この間交配された牝馬の数は数十頭。バイアリータークよりはかなり多いが、ゴドルフィンバルブよりは少ない。
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エクリプスの祖
ダーレーアラビアンの子孫で最大の成功を収めたのは、玄孫に当たるエクリプス(Eclipse)である。
トレセン学園の標語ともなっている「Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶ者なし)」の語源ともなった名馬で、生涯無敗を貫いた伝説的な名馬と言われている。
今日のサラブレッドの父系を遡っていくと、そのほとんど全てがエクリプスにたどり着くとされており、エクリプスを「三大始祖の一角」とする説もある。