サクラユタカオー のバックアップ(No.1)
- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- 現在との差分 - Visual を表示
- ソース を表示
- サクラユタカオー へ行く。
- 1 (2022-02-07 (月) 03:52:53)
- 2 (2022-10-19 (水) 22:33:45)
サクラバクシンオー、ユキノビジンの父
サクラユタカオーは父にテスコボーイ、母にアンジェリカを持つサクラバクシンオー、ユキノビジンの父である。
1984年12月中山の新馬戦をレコード勝ちすると、万両賞、共同通信杯と連勝。
クラシック路線の有力候補に挙げられたが、皐月賞前に右前脚を骨折し春シーズンを全休する。
10月の京都新聞杯から復帰するも、皐月賞優勝馬ミホシンザンの前に4着、続いて出走したクラシック最後の一冠・菊花賞もふたたび同馬の4着と敗れた。
次走のダービー卿チャレンジトロフィーでスズパレードの2着に入り復活の兆しを見せたが、その後脚部不安を生じ再び休養に入る。
5歳になり大阪杯で復帰すると、重賞2連勝中のスダホークを退け約1年2か月振りの勝利を挙げた。しかし次走の天皇賞(春)では14着と大敗、競走後に再び脚部不安を生じ、三度休養に入った。
秋は得意距離に戻った毎日王冠から復帰すると、ここではミホシンザンのみならず、後に安田記念などG1を3勝する事になる1歳年下のニッポーテイオーを破りレコードタイムで優勝、天皇賞(秋)に進んだ。
ここでは「前走のレコード勝利で余力が残っていない」などと見られ、さらに圧倒的不利とされる大外枠(16番枠)に入ったこともあり、単勝オッズはミホシンザンに次ぐ2番人気だった。
しかし鞍上・小島太のスムーズな騎乗によって好位置を確保すると、最後の直線半ばでウインザーノットを捉え、同馬に2馬身半差を付けて優勝。会心のレースでGI初制覇を果たした。優勝タイム1分58秒3は芝2000メートルの日本レコードタイムであった。
続くジャパンカップ、有馬記念ではともに6着と敗れ、これを最後に競走馬を引退した。1987年2月1日東京競馬場において引退式が挙行された。
br
産駒に受け継がれたスピード
レコード勝利を連発するなど軽快なスピードを持っていたサクラユタカオー。重馬場に極端に弱い脚質や1800 - 2000mという限られた距離でのスピード勝利という性質がサクラバクシンオーを始めとした産駒によく受け継がれている。
サクラバクシンオー、エアジハードは後継種牡馬としても活躍し、2002年にサクラバクシンオー産駒のショウナンカンプが高松宮記念、2010年にグランプリボスが朝日杯フューチュリティステークス、2011年に同馬がNHKマイルカップに優勝し、また2010年にはエアジハード産駒のショウワモダンが安田記念に優勝、父子三代GI制覇が達成された。