アドマイヤドン のバックアップ(No.1)
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- アドマイヤドン へ行く。
- 1 (2022-10-19 (水) 01:59:07)
- 2 (2023-01-02 (月) 19:02:38)
アドマイヤベガの半弟
アドマイヤドンは父にティンバーカントリー、母にベガを持つアドマイヤベガの半弟(父親違いの兄弟)である。
2001年10月、京都新馬戦でデビュー。11月の京都ステークスも勝利し、朝日杯フューチュリティステークスに進出。これも勝利しデビューから三連勝でGⅠを制し、翌年のJRA賞最優秀2歳牡馬に選ばれた。
2002年はクラシック路線を進むも、皐月賞7着、日本ダービー6着、菊花賞4着と敗退が続いた。
その後ダート路線に転向、盛岡で開催された統一GI競走JBCクラシックに菊花賞から中1週で出走すると、いきなり2着のプリエミネンスに7馬身差をつける圧勝劇を見せる。
ジャパンカップダートにも出走し、ジャパンダートダービーとダービーグランプリの覇者であるゴールドアリュールを抑えて1番人気に推されたが、結果はイーグルカフェの3着であった(ゴールドアリュールは5着)。
2003年はフェブラリーステークスから始動するが、スタートの出遅れと道中2度に渡り他馬に接触されたこともありゴールドアリュールの11着に敗れ、この後秋まで休養する。
復帰戦となったエルムステークスをG1馬のイーグルカフェなどを相手に9馬身差の圧勝、続く不良馬場のマイルチャンピオンシップ南部杯を外目を走りながら4馬身差で勝利し、さらにJBCクラシックでは連覇を果たしてダート重賞3連勝を飾り、それまでのダート界最強であったゴールドアリュールが喘鳴症によりこの年の帝王賞を最後に引退したこともあり、ダートの鬼として名を轟かせた。
2年連続の出走となったジャパンカップダートでは、TV中継で実況をしていた矢野吉彦アナが「アドマイヤドンがねじ伏せた!」と誤認実況してしまうほど惜しい内容でアメリカのフリートストリートダンサーにハナ差の2着と惜敗したが、この年のJRA賞最優秀ダートホースとNARグランプリ特別表彰馬に選ばれる。
2004年は休養明け初戦のフェブラリーステークスを圧倒的1番人気で勝ち、前年惨敗した屈辱を晴らすと、これを踏み台にドバイワールドカップにも挑戦したが、8着に敗れる。
しかし国内では無類の強さを誇り、2ヶ月の休養を経てから帝王賞を勝利。さらに3ヶ月の休養空けのマイルチャンピオンシップ南部杯では2着に敗れるが、続くJBCクラシックは史上初となる3連覇で勝利する。
ジャパンカップダートは同厩舎のタイムパラドックスに敗れ2年連続の2着となった。その後、陣営の『ダート卒業宣言』により、久々の芝のレースとなった有馬記念へ出走し、7着に敗れたものの、この年もJRA賞最優秀ダートホースに選ばれた。
2005年はフェブラリーステークス、大阪杯とダートと芝のレースを併用したが精彩を欠き、5月のかしわ記念が最後のレースとなった。その後、休養中にツメの不安が出るなどしたため、同年11月16日に、正式に引退が発表された。
翌2006年1月16日にはノーザンホースパークで、同じく2005年で引退したアドマイヤグルーヴ、アドマイヤマックスとの合同引退式が行われた。
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中距離ダートの覇者
アドマイヤドンは、上記の通り中距離ダートとなるJBCクラシックや帝王賞などを制しており、『ダートの鬼』とも呼ばれた実力馬だ。
とはいえ、芝のレースでは朝日杯を除くと勝利経験がなく、クラシック三冠にも挑戦はしたが勝ててはいない。
ウマ娘プリティーダービーにはジャパンカップダートやマイルチャンピオンシップ南部杯などが登場していないため、育成ウマ娘としての実装はやや難しいところもあり、ピックアップはされていないのが現状だ。