アグネスフローラ
freeze
アグネスタキオンの母
アグネスフローラはアグネスフライト・アグネスタキオン兄弟の母である。
1989年12月、阪神新馬戦でデビュー。2着に10馬身差を付ける圧勝を見せると、翌年1月の若葉賞、2月のエルフィンステークスを連勝。
桜花賞トライアルとなる3月のチューリップ賞では単枠指定となり、逃げたケリーバッグをゴール前で楽に差し切って4連勝を挙げた。
桜花賞では最終コーナーの地点で先行勢が失速、同時に前の馬に乗り上げたスイートミトゥーナと、故障を発生したレガシーワイスの騎手が落馬し、アグネスフローラも含む数頭が煽りを受けて馬場の外側へ振られた。
最後の直線ではケリーバッグが先頭に立ったが、態勢を立て直して外から追い込んだフローラが残り200m付近でこれを捕らえ、1馬身1/4差を付けて優勝、母アグネスレディーの雪辱を果たすと共に、史上5組目の親子によるクラシック制覇を果たした。
続いては牝馬クラシック二冠と、クリフジ-ヤマイチ以来となる母仔制覇を目標にオークスへ向かった。
父ロイヤルスキーの短距離からマイル(1600m)を得意とする産駒血統から2400mの距離に対する不安視があったが、当日は1番人気に推された。
レースはトーワルビーが大逃げを見せ、前半1000m通過が58秒6と桜花賞に続くハイペースとなった。アグネスフローラはやはり中団に控えた後、最終コーナーから直線にかけて先団に進出、最後の直線では桜花賞と同じくケリーバッグを捕らえて先頭に立った。しかし、後方待機策を採っていたエイシンサニーに残り100mの地点で交わされ、同馬から3/4馬身差で2着となった。
競走後、左前脚の骨折が判明し、休養に入った。骨折は軽度のものであり、秋のエリザベス女王杯を目標に調整されていたが、その後の経過において屈腱炎を発症。以後復帰することはできず、オークスを最後に競走生活から引退した。
br
早熟の血筋
アグネスフローラの母アグネスレディーは1979年の優駿牝馬を優勝。アグネスフローラ自身も1990年の桜花賞を優勝した。
さらに産駒であるアグネスフライトは2000年の東京優駿を、アグネスタキオンは2001年の皐月賞をそれぞれ優勝しており、日本競馬史上唯一の記録である母仔三代によるクラシック制覇を達成している。
しかしながら、何れの産駒も屈腱炎に苦しめられたこともあり、「脚部不安の家系」と見られることが多い。
それだけ競走馬としてのポテンシャルが高いということでもあるが、自身の出しうる速度に脚が付いてこないというのはある意味”致命的な欠陥”と言えるだろう。
br
血統関係
アグネスレディー
└アグネスフローラ(牝 1987 父:ロイヤルスキー)
└アグネスタキオン(牡 1998 父:同上) - ダイワスカーレット(牝 2004 母:スカーレットブーケ)