GⅠレース/天皇賞・秋 のバックアップ(No.5)
- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- 現在との差分 - Visual を表示
- ソース を表示
- GⅠレース/天皇賞・秋 へ行く。
歴史
天皇賞は、日本中央競馬会(JRA)が春・秋に年2回施行する中央競馬の重賞競走(GⅠ)である。
JRAが前身としている「The Emperor's Cup(エンペラーズカップ)」までさかのぼると1905年(明治38年)に起源を持ち、日本で施行される競馬の競走では最高の格付けとなるGIの中でも、長い歴史と伝統を持つ競走である。
1937年には第1回「帝室御賞典」として再編されて年2回の施行に改め、秋の競走は東京競馬場で施行。
第1回は全周2600mで行われたが、翌年の第2回からは3200mに延伸され、出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
1944 - 1945年の間は、太平洋戦争の影響で開催が中止され、1946年に再開が決定していたものの、GHQによる皇室への処分などが確定していなかったため、下賜は時期尚早として見送られたことを受け、すでに御賞典競走を開催する前提で番組編成をしていた日本競馬会は急遽、競走名を「平和賞」として開催されたが、御賞典競走の体を成していないため記録が残されていない。
1947年秋に予定していた「第2回平和賞」の前日に皇室から賞品である楯の下賜が再開されることが決定し、名称を「天皇賞」に改めて施行された。
天皇賞の名称が使われたのはこのときが初めてとなるが、1937年春の帝室御賞典を第1回として1944年春の帝室御賞典(能力検定競走)と1947年春の平和賞も公式な施行回数に含まれており、1947年秋は「第16回天皇賞」となる。
天皇賞は春秋の年2回開催されるため、秋に限った開催回次記録は1つ飛びしている。
天皇賞は優勝実績のある競走馬の再出走を認めない「勝ち抜き制」を1980年まで継続しており、1981年にはジャパンカップの開設と商業的な成功によって、日本競馬の大規模な国際化が進み、天皇賞の勝ち抜き制もついに廃止された。
またこのときに秋の開催時期である例年11月をジャパンカップに譲り、10月に繰り上げされた。
1984年にはグレード制の導入に伴い、秋の天皇賞の施行距離を2000mに短縮することが決定。以来、天皇賞(秋)は中央競馬の「中距離ナンバー1決定戦」の性格を持つようになった。
1987年には出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更。
1995年に指定交流競走となり、地方競馬所属馬も出走が可能になる。
2000年には外国産馬が2頭まで出走可能になり、2005年からは国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となり、外国産馬の出走枠制限が撤廃。
2008年には出走条件を「3歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上」に変更。国内で「騸馬(去勢された牡馬)」の出走を認めている数少ないレースとなる。
br
時期 | タイトル | レース場 | バ場 | 距離 | 根幹 | 向き |
---|---|---|---|---|---|---|
10月後半 | 天皇賞・秋 | 東京 | 芝 | 中距離2000 | ○ | 左 |
10月後半 | 天皇賞・秋 | 東京 | 芝 | 中距離2000 | ○ | 左 |
br
競技場
東京競馬場の芝コース、2,000メートルを使用。
スタート位置は第1コーナーの奥に設けられた「ポケット地点」と呼ばれる。
スタートから120メートルほどで第2コーナーにかかり、第2コーナーから向正面にかけての700メートルは落差2メートルの緩やかな下り勾配となる。その後、向正面の半ばから約1.5メートルの急な上り坂になる。
これを上りきるとまもなく第3コーナーに入り、カーブを回りながら約1.8メートル下る。第4コーナーからは上り勾配に転じ、直線に入る。
ゴールまでの直線は約525メートルで、JRAの競馬場では新潟競馬場(外回り:658.7メートル)に次いで2番目に長い。
直線の中ほどにも高さ2メートルの長い上り坂があり、坂を登り切ったあともゴールまで約250メートルの平坦路がある。
br
br
br
歴代優勝馬
回数 | 施行年 | 競走名 | 競技場 | 距離 | 優勝馬 | 性齢 | タイム |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1937 | 帝室御賞典 | 東京 | 2600m | ハツピーマイト | 牡4 | 2:48 1/5 |
第3回 | 1938 | 3200m | ヒサトモ | 牝5 | 3:35 2/5 | ||
第5回 | 1939 | テツモン | 牡5 | 3:24 4/5 | |||
第7回 | 1940 | ロツキーモアー | 牡5 | 3:27 1/5 | |||
第9回 | 1941 | エステイツ | 牡5 | 3:24 3/5 | |||
第11回 | 1942 | ニパトア | 牝5 | 3:34 4/5 | |||
第13回 | 1943 | クリヒカリ | 牡5 | 3:26 3/5 | |||
第16回 | 1947 | 天皇賞 | トヨウメ | 牡5 | 3:44 2/5 | ||
第18回 | 1948 | カツフジ | 牡6 | 3:30 0/5 | |||
第20回 | 1949 | ニユーフオード | 牡5 | 3:25 1/5 | |||
第22回 | 1950 | ヤシマドオター | 牝5 | 3:28 0/5 | |||
第24回 | 1951 | ハタカゼ | 牡5 | 3:24 0/5 | |||
第26回 | 1952 | トラツクオー | 牡5 | 3:24 4/5 | |||
第28回 | 1953 | クインナルビー | 牝5 | 3:23 0/5 | |||
第30回 | 1954 | オパールオーキツト | 牝5 | 3:33 2/5 | |||
第32回 | 1955 | ダイナナホウシユウ | 牡5 | 3:24 4/5 | |||
第34回 | 1956 | ミツドフアーム | 牡6 | 3:22 3/5 | |||
第36回 | 1957 | ハクチカラ | 牡5 | 3:29 3/5 | |||
第38回 | 1958 | セルローズ | 牝5 | 3:24 4/5 | |||
第40回 | 1959 | ガーネツト | 牝5 | 3:24.5 | |||
第42回 | 1960 | オーテモン | 牡6 | 3:27.1 | |||
第44回 | 1961 | タカマガハラ | 牡5 | 3:25.8 | |||
第46回 | 1962 | クリヒデ | 牝5 | 3:27.4 | |||
第48回 | 1963 | リユウフオーレル | 牡5 | 3:22.7 | |||
第50回 | 1964 | ヤマトキヨウダイ | 牡5 | 3:21.7 | |||
第52回 | 1965 | シンザン | 牡5 | 3:22.7 | |||
第54回 | 1966 | コレヒデ | 牡5 | 3:24.2 | |||
第56回 | 1967 | カブトシロー | 牡6 | 3:25.5 | |||
第58回 | 1968 | ニットエイト | 牡5 | 3:20.3 | |||
第60回 | 1969 | メジロタイヨウ | 牡6 | 3:33.0 | |||
第62回 | 1970 | メジロアサマ | 牡5 | 3:24.8 | |||
第64回 | 1971 | トウメイ | 牝6 | 3:23.7 | |||
第66回 | 1972 | ヤマニンウエーブ | 牡6 | 3:23.7 | |||
第68回 | 1973 | タニノチカラ | 牡5 | 3:22.7 | |||
第70回 | 1974 | カミノテシオ | 牡6 | 3:22.4 | |||
第72回 | 1975 | フジノパーシア | 牡5 | 3:28.8 | |||
第74回 | 1976 | アイフル | 牡6 | 3:20.6 | |||
第76回 | 1977 | ホクトボーイ | 牡5 | 3:22.5 | |||
第78回 | 1978 | テンメイ | 牡5 | 3:21.4 | |||
第80回 | 1979 | スリージャイアンツ | 牡5 | 3:33.5 | |||
第82回 | 1980 | プリテイキャスト | 牝6 | 3:28.1 | |||
第84回 | 1981 | ホウヨウボーイ | 牡7 | 3:18.9 | |||
第86回 | 1982 | メジロティターン | 牡5 | 3:17.9 | |||
第88回 | 1983 | キョウエイプロミス | 牡7 | 3:22.7 | |||
第90回 | 1984 | 2000m | ミスターシービー | 牡5 | 1:59.3 | ||
第92回 | 1985 | ギャロップダイナ | 牡6 | 1:58.7 | |||
第94回 | 1986 | サクラユタカオー | 牡5 | 1:58.3 | |||
第96回 | 1987 | ニッポーテイオー | 牡5 | 1:59.7 | |||
第98回 | 1988 | タマモクロス | 牡5 | 1:58.8 | |||
第100回 | 1989 | スーパークリーク | 牡5 | 1:59.1 | |||
第102回 | 1990 | ヤエノムテキ | 牡6 | 1:58.2 | |||
第104回 | 1991 | プレクラスニー | 牡5 | 2:03.9※ | |||
第106回 | 1992 | レッツゴーターキン | 牡6 | 1:58.6 | |||
第108回 | 1993 | ヤマニンゼファー | 牡6 | 1:58.9 | |||
第110回 | 1994 | ネーハイシーザー | 牡5 | 1:58.6 | |||
第112回 | 1995 | サクラチトセオー | 牡6 | 1:58.8 | |||
第114回 | 1996 | バブルガムフェロー | 牡4 | 1:58.7 | |||
第116回 | 1997 | エアグルーヴ | 牝5 | 1:59.0 | |||
第118回 | 1998 | オフサイドトラップ | 牡8 | 1:59.3 | |||
第120回 | 1999 | スペシャルウィーク | 牡5 | 1:58.0 | |||
第122回 | 2000 | テイエムオペラオー | 牡4 | 1:59.9 | |||
第124回 | 2001 | アグネスデジタル | 牡4 | 2:02.0 | |||
第126回 | 2002 | 中山 | シンボリクリスエス | 牡3 | 1:58.5 | ||
第128回 | 2003 | 東京 | シンボリクリスエス | 牡4 | 1:58.0 | ||
第130回 | 2004 | ゼンノロブロイ | 牡4 | 1:58.9 | |||
第132回 | 2005 | ヘヴンリーロマンス | 牝5 | 2:00.1 | |||
第134回 | 2006 | ダイワメジャー | 牡5 | 1:58.8 | |||
第136回 | 2007 | メイショウサムソン | 牡4 | 1:58.4 | |||
第138回 | 2008 | ウオッカ | 牝4 | 1:57.2 | |||
第140回 | 2009 | カンパニー | 牡8 | 1:57.2 | |||
第142回 | 2010 | ブエナビスタ | 牝4 | 1:58.2 | |||
第144回 | 2011 | トーセンジョーダン | 牡5 | 1:56.1 | |||
第146回 | 2012 | エイシンフラッシュ | 牡5 | 1:57.3 | |||
第148回 | 2013 | ジャスタウェイ | 牡4 | 1:57.5 | |||
第150回 | 2014 | スピルバーグ | 牡5 | 1:59.7 | |||
第152回 | 2015 | ラブリーデイ | 牡5 | 1:58.4 | |||
第154回 | 2016 | モーリス | 牡5 | 1:59.3 | |||
第156回 | 2017 | キタサンブラック | 牡5 | 2:08.3 | |||
第158回 | 2018 | レイデオロ | 牡4 | 1:56.8 | |||
第160回 | 2019 | アーモンドアイ | 牝4 | 1:56.2 | |||
第162回 | 2020 | アーモンドアイ | 牝5 | 1:57.8 | |||
第164回 | 2021 | エフフォーリア | 牡3 | 1:57.9 |
- ”三冠馬”の不調
1984年開催第90回秋の天皇賞では、史上初となる”三冠馬”による天皇賞(秋)の制覇をミスターシービーが成し遂げ「四冠馬」に輝いている。
翌年の1985年には同じく”三冠馬”であるシンボリルドルフが「春秋連覇」に挑戦するも、宝塚記念直前の故障からの復帰明けで、ステップレースを使わずぶっつけで挑んだこともあり、”暴走”とも揶揄された早仕掛けで直線では先頭に立つものの、ギャロップダイナの大外強襲に遭い惜敗している。
3頭目の”三冠馬”となるナリタブライアンは1995年の天皇賞(秋)に出走しているが、このときナリタブライアンは三冠レースのほかに有馬記念と阪神大賞典を連闘し、阪神大賞典の出走後に右股関節炎を発症していることが判明、春夏シーズンを全休していて、体調不安や調教不足が指摘されながらのレースとなり、一番人気ながら結果は12着と惨敗した。 - 第104回天皇賞・メジロマックイーン降着事件
1991年に行われた秋の天皇賞では、メジロマックイーンが1位で入線したがスタート直後に斜行し、18位で入線したプレジデントシチーの進路を妨害したとして審議の結果、最下位(18着)に降着。2位で入線したプレクラスニーが繰り上がった。メジロマックイーンの走破時計は2:02.9。
メジロマックイーンは同年春の天皇賞を勝利しており、勝ち抜き制が廃止されてからタマモクロスに続いて二頭目となる「同一年天皇賞春秋連覇」が懸かっていて、世界的にも注目度が高かったために反響も大きかったとされる。 - ”一番人気”のジンクス
タマモクロスが優勝した1988年第98回天皇賞はオグリキャップが一番人気であったものの、直線での競り合いで惜しくも一歩届かず2着。その後オグリキャップは翌年の第100回、翌々年の第102回にも出走し、ともに一番人気に推されながら敗退している。
さらにその翌年第104回では上述の事件でメジロマックイーンが降着処分を受け、この頃から「一番人気は勝てない」というジンクスが囁かれるようになる。
1994年の第110回ではビワハヤヒデが一番人気ながら終盤に伸びを欠き5着と生涯で初めて連対を外し、後に左前脚に屈腱炎を発症していることが判明、そのまま引退となった。
翌年の第112回では上記の通りナリタブライアンがまさかの大敗。第114回では同年春の天皇賞でナリタブライアン、マヤノトップガンを下して優勝したサクラローレルが一番人気で出走するもスタートで出遅れ、直線では外から追い込んだものの、勝負所で進路を確保できずに内に転進してから伸びるも、抜け出していたバブルガムフェローに半馬身以上敵わず3着。
1998年の第118回ではサイレンススズカが最終コーナー手前で左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し転倒、予後不良の診断を受けその場で安楽死の措置が取られるなど、もはや「秋の東京には悪魔が棲む」とまで言われるほど、不穏な空気が漂っていた。
このジンクスは2000年の第122回でテイエムオペラオーが勝利するまで、実に12年間も続いた。