タニノギムレット のバックアップ(No.3)
■登場■
2022年5月5日、ウマ娘として登場することが公式ポータルより発表された。本登場・実装時期は未定。
br
ウオッカの父
タニノギムレットは、父にブライアンズタイム、母にタニノクリスタルを持つウオッカの父である。
2002年の第69回東京優駿(日本ダービー)優勝馬。馬主の谷水雄三は、かつてタニノハローモア、タニノムーティエで東京優駿を勝った谷水信夫の子息で、親子二代での東京優駿馬オーナーとなった。
br
ギムレットはジンベースのショートドリンクタイプのカクテルのことで、ジンにライム・ジュースを混ぜて飲むスタイルを指す。
カントリー牧場オーナーの谷水信夫が所有する馬は名前に「タニノ」という冠名を持つことで知られ、後を継いだ谷水雄三もその形式を継承している。
仔「ウオッカ」の名付けに至っては、父タニノギムレットの「ギムレット」がジンベースであることから「ジン」を初めに考案したが、いかにも語呂が悪いとして自ら却下。代わりにジンと同じくらいの度数である「ウオッカ」を採用。さらに谷水は、ウオッカがギムレットよりもアルコール度数が高いことに因み「タニノギムレットよりも強くなってほしい」という願いを付け加え、「水で割らずにストレートの方が度数が高い」と説明して冠名「タニノ」を用いなかったとされる。
br
競走実績
2歳8月に札幌競馬場でデビュー。2着したものの軽度の骨折が判明し、初勝利は12月の未勝利戦で2着に7馬身差をつけての圧勝を見せる。
3歳からは武豊を鞍上に迎え、確実に伸びる末脚を武器に、シンザン記念、アーリントンC、スプリングSと重賞3連勝。
皐月賞では負傷の武豊に代わって四位洋文を鞍上に2.6倍の1番人気に推されるも、最終コーナーで一番外を大きく回るコースロスが響いてしまい、直線に入ってからほとんどの馬を抜き去る豪脚を見せるが、前の2頭を交わすことはできず3着に敗れた。
このときの四位の荒い騎乗について、明らかな騎乗ミスであったとされることが多く、解説者も「タニノギムレットは1頭だけ100メートル余分に走っていた」と語った。
NHKマイルCには復帰した武豊を鞍上に迎えて出走。単勝1.5倍の1番人気に推された。いつもの通りの後方待機から直線に向くも、テレグノシスの斜行により進路をふさがれる不利があり、進路を左右に変えながら追い上げたが、そのテレグノシスの3着に敗れた。テレグノシスの二度に渡る斜行で審議時間は20分以上にも及んだが、結局テレグノシスに降着など処分はなく、武豊は珍しくテレグノシス鞍上の勝浦正樹に対して激怒したという。
日本ダービーでは馬場の真ん中を通ってシンボリクリスエス、ゴールドアリュール、アドマイヤドン、ノーリーズン以下に快勝した。
br
東京優駿後は栗東で調整されたのち、北海道浦河町の吉澤ステーブルに移動して調教を積まれた。
秋シーズンに向けて8月25日に栗東へ帰厩し、以降も順調に調整が進んでいたが、9月1日の調教後に脚が熱を持ったため検査が行われたところ、左前浅屈腱炎を発症していたことが判明し、全治6か月と診断されたため、秋シーズンの出走が不可能となった。
その後谷水と松田ら関係者が協議を行った結果、復帰への道程が険しいことや生産地の期待が高いことを受けて現役を引退することが決まった。種牡馬となってからの2003年8月24日に札幌競馬場で引退式が行われた。
br
引退後
産駒は2006年から走り始め、初年度産駒のウオッカが第58回阪神ジュベナイルフィリーズを制して産駒の初GI勝ちを収め、さらに翌2007年には自身と同じ「2枠3番」で64年ぶりの牝馬の東京優駿優勝を達成するなど、好調な出足を見せた。
ウオッカとの父仔東京優駿制覇は史上5組目であり、父-娘の関係では史上初となる。
ウオッカをはじめとする初年度産駒が活躍したこともあり、同年は240頭に種付けを行った。この種付け頭数は当年の国内2位であった。なおウオッカは2008年、2009年と2年連続でJRA賞年度代表馬に輝き、2011年には顕彰馬に選出された。
br
一方、ウオッカ以外の産駒はというと、2012年 - 2013年の福島牝馬ステークスを連覇したオールザットジャズや、東京新聞杯を勝利したブラックスピネルなど、重賞勝利馬は出たもののG1を勝つ馬が出ず、トップランカーとはいかなかった。