世界のG1レース/ケンタッキーダービー のバックアップ(No.2)


歴史と概要

ケンタッキーダービー(The Kentucky Derby)は、ケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズで行われるアメリカのG1ステークスレースである。

他の「ダービー」と付くレースと区別するため、対外的には「ケンタッキーダービー」と呼ばれることが多いが、地元ケンタッキー州を始め米国内では通常「ダービー」とだけ呼ばれる。

レースは3歳のサラブレッドによって行われ、距離は1+1⁄4マイル(10ハロン、2,012メートル)。

毎年5月の第1土曜日に開催され、三冠レース(Triple Crown)の第1戦である。

ダービーは、優勝馬がバラで編まれた優勝レイを纏うことから「バラのための走り(The Run for the Roses)」として知られている。

レース時間の約2分間にちなみ、”スポーツ界で最もエキサイティングな2分間”、”スポーツ界で最も速い2分間”とも呼ばれている。

 

レースが最初に行われたのは1875年。

他の三冠レース、プリークネス・ステークスやベルモント・ステークスとは異なり、ダービーは第1回から毎年開催されている。

1945年の第二次世界大戦と2020年のCOVID-19パンデミックのため、レースは年後半に再スケジュールされた。

 

1872年、ルイス・クラーク探検隊のウィリアム・クラークの孫であるメリウェザー・ルイス・クラーク・ジュニア大佐はイギリスを訪れ、1780年から毎年ダービーが開催されていたサリー州のエプサムを訪れ、ダービーを観戦した。

そこからクラークはフランスのパリに向かい、1863年から組織され、当時フランスで最大のレースであったロンシャンのパリ大賞典を開催していたフランスジョッキークラブを視察。

ケンタッキー州に戻ったクラークは、ルイビル・ジョッキー・クラブを組織し、郊外に質の高い競馬場を建設するための資金を集めた。

この競馬場は競馬場の土地を提供したジョン・チャーチルとヘンリー・チャーチルにちなんで「チャーチル・ダウンズ」と命名され、広く知られるようになったが、正式に名称が決定されたのは約60年後の1937年のことである。

 

ケンタッキーダービーは、当初エプソムダービーと同じ1+1⁄2マイル(12ハロン、2.4km)で行われたが、1896年に現在の1+1⁄4マイル(10ハロン、2km)に変更された。

1875年5月17日、推定1万人の観衆の前で、15頭の3歳馬が第1回ダービーを戦った。

オリバー・ルイス騎手のもと、後に殿堂入りを果たすアンセル・ウィリアムソンが調教を担当したアリスティデス(Aristides)がダービーを制した。

ルイスとアリスティデスはその後のベルモントステークスでも2着に入った。

 

当初は成功を収めていた競馬場だったが、ギャンブルに関連した馬主のボイコットが長引き、財政難に陥った。

1894年、ニュールイスヴィル・ジョッキー・クラブが法人化され、新しい資本金と改善された施設が加わった。

にもかかわらず、1902年にルイビルのマット・ウィン大佐率いるシンジケートが施設を買収するまで、事業は低迷を続けた。

ウィンの下、チャーチルダウンズは繫栄し、ケンタッキーダービーは北米で傑出した3歳馬のステークスレースとなった。

 

サラブレッドのオーナーは、ダービーで活躍した馬を他の2つのレースに送り込むようになった。

ボルチモアのピムリコ競馬場で行われるプリークネス・ステークスと、ニューヨークのエルモントで行われるベルモント・ステークスである。

この3つのレースには多額の賞金が用意され、1919年にはサー・バートン(Sir Barton)が3つのレースすべてを制した最初の馬となった。

しかし、三冠という言葉が使われるようになったのは、それからさらに11年後のことである。

1930年、ギャラントフォックス(Gallant Fox)が2頭目の3冠馬となったことで、スポーツライターのチャールズ・ハットンがこの言葉をアメリカで使うようになった。

メディアに後押しされ、ダービーまでの数週間、三冠を達成する ”スーパーホース ”の可能性に対する世間の関心が高まった。

この言葉が使われるようになってから2年後、ダービーは開催日を5月の第1土曜日に変更した。

この変更により、三冠レースのスケジュールが決まった。

1931年以降、三冠レースはまずケンタッキーダービー、次にプリークネスステークス、そしてベルモントステークスの順で行われるようになった。

1931年以前には、プリークネスがダービーの前に行われたことが11回ある。

1917年5月12日と1922年5月13日には、プリークネスとダービーが同日に行われた。

2020年はベルモントが先に行われ、次にケンタッキーダービーが行われ、プリークネスステークスが最後に行われた。

 

1925年5月16日、ケンタッキーダービーの初のラジオ生中継がWHASとシカゴのWGNで放送された。

1949年5月7日、ルイビルのNBC系列局であるWAVE-TVによって、ケンタッキーダービーの初のテレビ中継が行われた。

この中継はルイビルのマーケットで生放送され、全国放送用のキネスコープ・ニュースリールとしてNBCに送られた。

1952年5月3日、ケンタッキーダービーの初の全国テレビ中継が行われ、当時のCBS系列のWHAS-TVから放映された。

1954年、賞金は初めて10万米ドル(およそ1,400万円)を超えた。

1968年、ダンサーズイメージ(Dancer's Image)がレースに勝った後、失格処分を受けた最初の馬となった。

尿検査でフェニルブタゾン(消炎鎮痛剤)が検出されたのだ。

フォワードパス(Forward Pass)は、ダンサーズイメージの馬主による長期にわたる法廷闘争の末に勝利した。

こうしてフォワードパスは、カルメットファームにとって8頭目の勝馬となった。

予期せぬことに、この数年後にケンタッキー州のサラブレッド競馬場の規定が変更され、フェニルブタゾンによる出走が認められるようになった。

1970年、ダイアン・クランプが女性騎手として初めてダービーに騎乗し、ファゾム(Fathom)に騎乗して15着に終わった。

 

ダービーでの最速タイムは、1964年にノーザンダンサー(Northern Dancer)が樹立した記録をセクレタリアト(Secretariat)が更新した1973年の1分59秒4。

このレースでもセクレタリアトは三冠馬としては異例の走りを見せた。

レースでは未勝利馬のタイムは記録されないが、1973年の同レースでシャム(Sham)はセクレタリアトに2馬身半差の2着。

1馬身=5分の1秒というサラブレッド・レースの慣例でシャムのタイムを計算すると、シャムも2分を切っている。

また、2001年にモナコス(Monarchos)が記録した1分59秒97は、このレースで初めて5分の1秒の代わりに100分の1秒が使用された年だった。

 

ケンタッキーダービーの賞金額は1996年に初めて100万ドル(およそ1億4000万円)を超え、2005年には倍の200万ドル(およそ2億8000万円)になり、2019年から300万ドル(およそ4億2000万円)の賞金を提供するようになった。

チャーチルダウンズの関係者は、ルイビルにあるダービー・シティ・ゲーミング施設の歴史的なレース賭博端末の成功を賞金増額の要因として挙げている。

 

2020年、ケンタッキーダービーはCOVID-19パンデミックのため、5月2日から9月5日に延期された。これは1945年に続いて史上2度目の延期となった。

チャーチルダウンズは、2020年のケンタッキーダービーで、標準的な14ストールゲートと補助的な6ストールゲートを使用していた以前の配置に代わって、新たに単一の20ストールスターティングゲートを使用した。

旧式のゲートはスタート時の混雑、特に2つのゲートの間の隙間での混雑の原因となっていた。

 

ダービーはしばしば ”The Run for the Roses(バラのための走り)”と呼ばれる。 

ケンタッキーダービーの勝馬には、毎年554本の赤いバラで編み込まれた毛布が贈られるからだ。

この伝統は、1883年にニューヨークの社交界で活躍したE・ベリー・ウォールが、ダービー後のパーティーで女性たちにバラの花を贈ったことに始まる。

チャーチル・ダウンズの創設者で社長のM.ルイス・クラーク大佐もそのイベントに出席していた。

このジェスチャーがきっかけとなり、クラークはバラをレースの公式花にすることを思いついたと考えられている。

しかし、ダービーの勝馬にバラをかけたという記録が残るのは1896年のことである。

ケンタッキー州知事とチャーチルダウンズの会長が、花輪とケンタッキーダービートロフィーを勝馬に贈呈する。

ポップボーカリストのダン・フォーゲルバーグは、1980年のレース開催に合わせて「ラン・フォー・ザ・ローゼズ」を作曲した。

 

開催時期は「ウマ娘」に倣い近年の開催時期からおおよその時期を想定。

距離表記は「メートル」で統一。100m単位で四捨五入して表記している。

開催時期競走名場所出走条件馬場/距離関連情報
5月前半ケンタッキーダービー
(The Run for the Roses)
アメリカチャーチルダウンズ3歳ダート
2,000m(中距離)左
トリプルクラウン
 

歴代優勝馬

海外のレースは「第○○回~」という数えをしないが、ここでは便宜上回数を計上している。

太字の競走馬は当年の北米三冠を制した馬である。

回数年次優勝馬性齢タイム
第1回1875アリスティデス
Aristides
牡32:37.75
第2回1876ヴェイグラント
Vagrant
牡32:38.25
第3回1877バーデン・バーデン
Baden-Baden
牡32:38.0
第4回1878デイスター
Day Star
牡32:37.25
第5回1879ロード・マーフィー
Lord Murphy
牡32:37.00
第6回1880フォンゾ
Fonso
牡32:37.50
第7回1881ヒンドゥー
Hindoo
牡32:40.0
第8回1882アポロ
Apollo
牡32:40.25
第9回1883リオナトゥス
Leonatus
牡32:43.0
第10回1884ブキャナン
Buchanan
牡32:40.25
第11回1885ジョー・コットン
Joe Cotton
牡32:37.25
第12回1886ベン・アリ
Ben Ali
牡32:36.5
第13回1887モントローズ
Montrose
牡32:39.25
第14回1888マクベス
Macbeth Ⅱ
牡32:38.25
第15回1889スポケーン
Spokane
牡32:34.5
第16回1890ライリー
Riley
牡32:45.0
第17回1891キングマン
Kingman
牡32:52.25
第18回1892アズラ
Azra
牡32:41.5
第19回1893ルックアウト
Lookout
牡32:39.25
第20回1894チャント
Chant
牡32:41.0
第21回1895ハルマ
Halma
牡32:37.5
第22回1896ベン・ブラッシュ
Ben Brush
牡32:07.75
第23回1897タイフーン
Typhoon Ⅱ
牡32:12.5
第24回1898プラウディット
Plaudit
牡32:09.0
第25回1899マニュエル
Manuel
牡32:12.0
第26回1900ルート・ギブソン
Lieut. Gibson
牡32:06.25
第27回1901ヒズエミネンス
His Eminence
牡32:07.75
第28回1902アラン・ア・デール
Alan-a-Dale
牡32:08.75
第29回1903ジャッジ・ハイムス
Judge Himes
牡32:09.0
第30回1904エルウッド
Elwood
牡32:08.5
第31回1905アジャイル
Agile
牡32:10.75
第32回1906サー・ヒュオン
Sir Huon
牡32:08.8
第33回1907ピンクスター
Pink Star
牡32:12.6
第34回1908ストーン・ストリート
Stone Street
牡32:15.2
第35回1909ウィンターグリーン
Wintergreen
牡32:08.2
第36回1910ドナウ
Donau
牡32:06.4
第37回1911メリディアン
Meridian
牡32:05.0
第38回1912ワース
Worth
牡32:09.4
第39回1913ドネレイル
Donerail
牡32:04.8
第40回1914オールドローズバッド
Old Rosebud
牡32:03.4
第41回1915リグレット
Regret
牝32:05.4
第42回1916ジョージ・スミス
George Smith
牡32:04.0
第43回1917オマール・カイヤーム
Omar Khayyam
牡32:04.6
第44回1918エクスターミネーター
Exterminator
牡32:10.8
第45回1919サー・バートン
Sir Barton
牡32:09.8
第46回1920ポール・ジョーンズ
Paul Jones
牡32:09.0
第47回1921ビヘイヴユアセルフ
Behave Yourself
牡32:04.2
第48回1922モーヴィッチ
Morvich
牡32:04.6
第49回1923ゼフ
Zev
牡32:05.4
第50回1924ブラックゴールド
Black Gold
牡32:05.2
第51回1925フライングエボニー
Flying Ebony
牡32:07.6
第52回1926バブリングオーバー
Bubbling Over
牡32:03.8
第53回1927ウィスカリー
Whiskery
牡32:06.0
第54回1928レイカウント
Reigh Count
牡32:10.4
第55回1929クライド・ヴァン・デューセン
Clyde Van Dusen
牡32:10.8
第56回1930ギャラントフォックス
Gallant Fox
牡32:07.6
第57回1931トゥウェンティグランド
Twenty Grand
牡32:01.8
第58回1932バーグーキング
Burgoo King
牡32:05.2
第59回1933ブローカーズチップ
Brokers Tip
牡32:06.8
第60回1934カヴァルケード
Cavalcade
牡32:04.0
第61回1935オマハ
Omaha
牡32:05.0
第62回1936ボールドヴェンチャー
Bold Venture
牡32:03.6
第63回1937ウォーアドミラル
War Admiral
牡32:03.2
第64回1938ローリン
Lawrin
牡32:04.8
第65回1939ジョンズタウン
Johnstown
牡32:03.4
第66回1940ガラハディオン
Gallahadion
牡32:05.0
第67回1941ワーラウェイ
Whirlaway
牡32:01.4
第68回1942シャットアウト
Shut Out
牡32:04.4
第69回1943カウントフリート
Count Fleet
牡32:04.0
第70回1944ペンシヴ
Pensive
牡32:04.2
第71回1945フープ・ジュニア
Hoop Jr.
牡32:07.0
第72回1946アサルト
Assault
牡32:06.6
第73回1947ジェットパイロット
Jet Pilot
牡32:06.8
第74回1948サイテーション
Citation
牡32:05.4
第75回1949ポンダー
Ponder
牡32:04.2
第76回1950ミドルグラウンド
Middleground
牡32:01.6
第77回1951カウントターフ
Count Turf
牡32:02.6
第78回1952ヒルゲイル
Hill Gail
牡32:01.6
第79回1953ダークスター
Dark Star
牡32:02.0
第80回1954デターミン
Determine
牡32:03.0
第81回1955スワップス
Swaps
牡32:01.8
第82回1956ニードルス
Needles
牡32:03.4
第83回1957アイアンリージュ
Iron Liege
牡32:02.2
第84回1958ティムタム
Tim Tam
牡32:05.0
第85回1959トミー・リー
Tomy Lee
牡32:02.2
第86回1960ヴェネチアンウェイ
Venetian Way
牡32:02.4
第87回1961キャリーバック
Carry Back
牡32:04.0
第88回1962デサイデッドリー
Decidedly
牡32:00.4
第89回1963シャトーゲイ
Chateaugay
牡32:01.8
第90回1964ノーザンダンサー
Northern Dancer
牡32:00.0
第91回1965ラッキーデボネア
Lucky Debonair
牡32:01.2
第92回1966カウアイキング
Kauai King
牡32:02.0
第93回1967プラウドクラリオン
Proud Clarion
牡32:00.6
第94回1968フォワードパス
Forward Pass
牡32:02.2※
第95回1969マジェスティック・プリンス
Majestic Prince
牡32:01.8
第96回1970ダストコマンダー
Dust Commander
牡32:03.4
第97回1971カノネロ
Canonero Ⅱ
牡32:03.2
第98回1972リヴァ・リッジ
Riva Ridge
牡32:01.8
第99回1973セクレタリアト
Secretariat
牡31:59.4
第100回1974キャノネード
Cannonade
牡32:04.0
第101回1975フーリッシュプレジャー
Foolish Pleasure
牡32:02.0
第102回1976ボールドフォーブス
Bold Forbes
牡32:01.6
第103回1977シアトルスルー
Seattle Slew
牡32:02.2
第104回1978アファームド
Affirmed
牡32:01.2
第105回1979スペクタキュラービッド
Spectacular Bid
牡32:02.4
第106回1980ジェニュインリスク
Genuine Risk
牝32:02.0
第107回1981プレザントコロニー
Pleasant Colony
牡32:02.0
第108回1982ガトー・デル・ソル
Gato Del Sol
牡32:02.4
第109回1983サニーズヘイロー
Sunny's Halo
牡32:02.2
第110回1984スウェール
Swale
牡32:02.4
第111回1985スペンド・ア・バック
Spend A Buck
牡32:00.2
第112回1986フェルディナンド
Ferdinand
牡32:02.8
第113回1987アリシバ
Alysheba
牡32:03.4
第114回1988ウイニングカラーズ
Winning Colors
牝32:02.2
第115回1989サンデーサイレンス
Sunday Silence
牡32:05.0
第116回1990アンブライドルド
Unbridled
牡32:02.0
第117回1991ストライク・ザ・ゴールド
Strike the Gold
牡32:03.0
第118回1992リル・イー・ティー
Lil E. Tee
牡32:03.0
第119回1993シーヒーロー
Sea Hero
牡32:02.4
第120回1994ゴー・フォー・ジン
Go for Gin
牡32:03.6
第121回1995サンダーガルチ
Thunder Gulch
牡32:01.2
第122回1996グラインドストーン
Grindstone
牡32:01.0
第123回1997シルヴァーチャーム
Silver Charm
牡32:02.4
第124回1998リアルクワイエット
Real Quiet
牡32:02.2
第125回1999カリズマティック
Charismatic
牡32:03.2
第126回2000フサイチペガサス
Fusaichi Pegasus
牡32:01.0
第127回2001モナコス
Monarchos
牡31:59.97
第128回2002ウォーエンブレム
War Emblem
牡32:01.13
第129回2003ファニーサイド
Funny Cide
牡32:01.19
第130回2004スマーティジョーンズ
Smarty Jones
牡32:04.06
第131回2005ジャコモ
Giacomo
牡32:02.75
第132回2006バルバーロ
Barbaro
牡32:01.36
第133回2007ストリートセンス
Street Sense
牡32:02.17
第134回2008ビッグブラウン
Big Brown
牡32:01.82
第135回2009マインザットバード
Mine That Bird
牡32:02.66
第136回2010スーパーセイバー
Super Saver
牡32:04.45
第137回2011アニマルキングダム
Animal Kingdom
牡32:02.04
第138回2012アイルハヴアナザー
I'll Have Another
牡32:01.83
第139回2013オーブ
Orb
牡32:02.89
第140回2014カリフォルニアクローム
California Chrome
牡32:03.66
第141回2015アメリカンファラオ
American Pharoah
牡32:03.02
第142回2016ナイキスト
Nyquist
牡32:01.31
第143回2017オールウェイズドリーミング
Always Dreaming
牡32:03.59
第144回2018ジャスティファイ
Justify
牡32:04.20
第145回2019カントリーハウス
Country House
牡32:03.93※
第146回2020オーセンティック
Authentic
牡32:00.61
第147回2021マンダルーン
Mandaloun
牡32:01.02※
第148回2022リッチストライク
Rich Strike
牡32:02.61
第149回2023メイジ
Mage
牡32:01.57
 
  • 1968年のケンタッキーダービーはダンサーズイメージ(Dancer's Image)が1位で入線したが、競走後の検査で当時禁止されていたフェニルブタゾンの痕跡が検出され失格となった。
  • 2019年のケンタッキーダービーはマキシマムセキュリティー(Maximum Security)が1位で入線したが、妨害行為により失格となった。
  • 2021年のケンタッキーダービーはメディーナスピリット(Medina Spirit)が1位で入線したが、競走後の検査でベタメタゾン(ステロイド)の陽性反応により失格となった。