GⅠレース/天皇賞・春 のバックアップ(No.1)


歴史

天皇賞は、日本中央競馬会(JRA)が春・秋に年2回施行する中央競馬の重賞競走(GⅠ)である。

JRAが前身としている「The Emperor's Cup(エンペラーズカップ)」までさかのぼると1905年(明治38年)に起源を持ち、日本で施行される競馬の競走では最高の格付けとなるGIの中でも、長い歴史と伝統を持つ競走である。

 

4歳以上の馬(外国産馬・外国馬を含む)による重賞競走(GI)。

1938年に「帝室御賞典」を再編し年2回の施行に改め、春の競走は阪神競馬場(旧・鳴尾競馬場)で施行。

施行距離は1939年(昭和14年)以来3,200メートルで変わっておらず、現存する中央競馬の平地GI競走では最長距離。

1944年は「能力検定競走」として、京都競馬場の芝3,200メートルで施行。以後、京都競馬場での施行が定着した。

1945 - 1946年は太平洋戦争の影響で中止。

1947年のみ「平和賞」の名称で施行。翌年からは「天皇賞」に改められた。

天皇賞は春秋の年2回開催されるため、春に限った開催回次記録は1つ飛びしている。

1972年には外国産馬の出走を制限し、1981年には勝ち抜き制が廃止。

1984年にグレード制が導入され、GⅠに格付け。

1995年には指定交流競走となり、地方所属馬が出走可能となり、2000年には再び外国産馬の出走枠を2頭設けた。

2001年に馬齢表記を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「5歳以上牡馬・牝馬」から「4歳以上牡馬・牝馬」に変更。

2005年には国際競走となり、外国調教馬が5頭まで出走可能になる。2007年には9頭に拡大。

2008年に出走条件を「4歳以上」に変更。騙馬(去勢された牡馬)の出走を認めている数少ない国内競走となる。

 
時期タイトルレース場バ場距離根幹向き
10月後半天皇賞・秋東京中距離2000
10月後半天皇賞・秋東京中距離2000
 

競技場

京都競馬場の芝コース、外回り3,200メートルを使用。

スタート地点は観客席からみて向正面で、約1周半する。

途中、第3コーナーから第4コーナーにかけて「淀の坂」と称される坂の上り下りがあり、天皇賞(春)ではこの坂を2度通過するため、「京都競馬場の難所」とされる。

1周目はスタート直後から100メートル進む間に約2.1メートル上る急坂となる。

その後も緩やかに280メートルかけて約1.8メートルを上る。

第3コーナーが坂の頂上にあたり、第4コーナーまで3.5メートルを下る。

第4コーナーを回って直線に入るまで0.8メートルほどの下り勾配がある。

2周目の第4コーナーを回り終えると最後の直線で、ゴールまでは残り約400メートルとなる。

 

歴代優勝馬

回数施行年競走名競技場距離優勝馬性齢タイム
第2回1938帝室御賞典阪神2700mハセパーク牡62:53 1/5
第4回19393200mスゲヌマ牡53:31 0/5
第6回1940トキノチカラ牡53:25 2/5
第8回1941マルタケ牡63:25 4/5
第10回1942ミナミモア牡53:25 1/5
第12回1943グランドライト牡53:28 1/5
第14回1944能力検定競走京都ヒロサクラ牡53:29 0/5
第15回1947平和賞オーライト牡53:34 1/5
第17回1948天皇賞シーマー牡53:25 3/5
第19回1949ミハルオー牡53:26 3/5
第21回1950オーエンス牡53:34 3/5
第23回1951タカクラヤマ牡53:24 3/5
第25回1952ミツハタ牡53:23 1/5
第27回1953レダ牝53:24 2/5
第29回1954ハクリヨウ牡53:24 2/5
第31回1955タカオー牡53:22 3/5
第33回1956メイヂヒカリ牡53:22 3/5
第35回1957キタノオー牡53:21 3/5
第37回1958オンワードゼア牡53:23 4/5
第39回1959トサオー牡53:23 1/5
第41回1960クリペロ牡63:25.0
第43回1961ヤマニンモアー牡53:22.6
第45回1962オンスロート牡63:27.6
第47回1963コレヒサ牡53:22.5
第49回1964ヒカルポーラ牡63:26.8
第51回1965阪神アサホコ牡63:27.1
第53回1966京都ハクズイコウ牡63:19.4
第55回1967スピードシンボリ牡53:24.2
第57回1968ヒカルタカイ牡53:24.6
第59回1969タケシバオー牡53:29.1
第61回1970阪神リキエイカン牡53:25.8
第63回1971京都メジロムサシ牡53:33.5
第65回1972ベルワイド牡53:20.4
第67回1973タイテエム牡53:25.0
第69回1974タケホープ牡53:22.6
第71回1975イチフジイサミ牡63:22.1
第73回1976エリモジョージ牡53:27.4
第75回1977テンポイント牡53:21.7
第77回1978グリーングラス牡63:20.8
第79回1979カシュウチカラ牡73:20.2
第81回1980阪神ニチドウタロー牡53:18.7
第83回1981京都カツラノハイセイコ牡63:20.6
第85回1982モンテプリンス牡63:19.2
第87回1983アンバーシャダイ牡73:22.3
第89回1984モンテファスト牡73:22.3
第91回1985シンボリルドルフ牡53:20.4
第93回1986クシロキング牡53:25.4
第95回1987ミホシンザン牡63:20.4
第97回1988タマモクロス牡53:21.8
第99回1989イナリワン牡63:18.8
第101回1990スーパークリーク牡63:21.9
第103回1991メジロマックイーン牡53:18.8
第105回1992メジロマックイーン牡63:20.0
第107回1993ライスシャワー牡53:17.1
第109回1994阪神ビワハヤヒデ牡53:22.6
第111回1995京都ライスシャワー牡73:19.9
第113回1996サクラローレル牡63:17.8
第115回1997マヤノトップガン牡63:14.4
第117回1998メジロブライト牡53:23.6
第119回1999スペシャルウィーク牡53:15.3
第121回2000テイエムオペラオー牡53:17.6
第123回2001テイエムオペラオー牡5※3:16.2
第125回2002マンハッタンカフェ牡43:19.5
第127回2003ヒシミラクル牡43:17.0
第129回2004イングランディーレ牡53:18.4
第131回2005スズカマンボ牡43:16.5
第133回2006ディープインパクト牡43:13.4
第135回2007メイショウサムソン牡43:14.1
第137回2008アドマイヤジュピタ牡53:15.1
第139回2009マイネルキッツ牡63:14.4
第141回2010ジャガーメイル牡63:15.7
第143回2011ヒルノダムール牡43:20.6
第145回2012ビートブラック牡53:13.8
第147回2013フェノーメノ牡43:14.2
第149回2014フェノーメノ牡53:15.1
第151回2015ゴールドシップ牡63:14.7
第153回2016キタサンブラック牡43:15.3
第155回2017キタサンブラック牡53:12.5
第157回2018レインボーライン牡53:16.2
第159回2019フィエールマン牡43:15.0
第161回2020フィエールマン牡53:16.5
第163回2021阪神ワールドプレミア牡53:14.7
第165回2022タイトルホルダー牡43:16.2
  • %%%第111回天皇賞
    %%%第111回天皇賞は前年第109回の優勝馬であったビワハヤヒデが秋の第110回天皇賞で屈腱炎を発症、そのまま引退となり、その半弟であるナリタブライアンも、前走の阪神大賞典後に右股関節炎の発症が認められ、出走を断念した。
    当年の実力馬に故障が相次ぐ中で、出走馬中唯一のGI馬で1992年の菊花賞、1993年春の天皇賞の覇者でもあるライスシャワーは翌年春に3歳時に骨折した右前管骨に再び故障を発生、競走生命を危ぶまれるほどの重傷で、一度は引退が検討されるほどであったが現役を続行。
    当年は故障からの復帰明けということもあり京都記念、日経賞を共に6着とスランプ気味であった。
    逃げ馬が不在であったことからレースはスローペースで推移。
    ライスシャワーは2周目の向正面で行く気を見せたことから、鞍上の的場は「この瞬間の馬のやる気にのって、その勢いでゴールまで粘りこむという、一種の奇襲戦法をとれば、僅かだが勝つチャンスがある」と考え、第3コーナーから800メートルのロングスパートを仕掛けた。
    最終コーナーで馬群から抜け出して先頭に立ち、最後の直線で逃げこみを図ったが、最後は追い込んできたステージチャンプと内外馬体が重なった状態で入線した。
    この時ステージチャンプに騎乗していた蛯名正義がガッツポーズを見せ、一方関西テレビでこのレースを実況した杉本清はゴール後すぐ「やったやったライスシャワーです!」「メジロマックイーンミホノブルボンも喜んでいる事でしょう」とライスシャワーの勝利を伝えた。
    写真判定の結果、ハナ差ライスシャワーが先着しており、1993年の同競走以来728日振りの勝利で復活を果たした。着差は約10cmという僅差であった。
    春の2勝はメジロマックイーン以来となり、連覇でない天皇賞の2勝目は秋や春秋を含めて初となった。
  • 第113回天皇賞
    大方の注目は、第44回阪神大賞典でアタマ差と僅差の戦いを演じたナリタブライアンマヤノトップガンの2頭であった。
    新聞やテレビなどメディアの多くは「2頭で断然」という調子で報道し、2頭の馬連(馬番連勝式)のオッズは2.0倍となった。
    単勝式は、阪神大賞典を制したナリタブライアンが1.7倍の1番人気、マヤノトップガンが2.8倍の2番人気となった。
    阪神大賞典出走組に対抗する別路線組の筆頭は、中山記念を制したサクラローレルであった。
    GI初出走、上位2頭と未対戦の「未知の魅力」が買われた。ただ上位2頭とは差が生まれ、14.5倍の3番人気の支持を受けた。
  • スタンド前から第2コーナーを経て、2周目となった。
    第3コーナーの坂の手前にて、マヤノトップガンが位置を上げ、それにナリタブライアンが呼応し、直後を追走。
    坂を下ると、マヤノトップガンは逃げていたスギノブルボン、テイエムジャンボをかわして先頭となった。ナリタブライアンマヤノトップガンに外から並びかけ、馬体を併せて最後の直線に進入した。
    直線の中間で、マヤノトップガンの脚が鈍り、後退。代わってナリタブライアンが先頭となった。
    ところが、その2頭の争いの直後に控えていたサクラローレルが末脚を見せて、ナリタブライアンをかわした。
    そのまま差を広げる一方となり、鞍上の横山典弘が左手を空に掲げて決勝線を通過した。
    ナリタブライアンは、2馬身遅れて入線。後退するマヤノトップガンを内からかわしたホッカイルソーが離されて3着。マヤノトップガンは5着であった。
  • サクラローレルを手掛けた境勝太郎調教師は、前年秋の第112回天皇賞をサクラチトセオーで制しており、天皇賞2連覇を果たした。
    グレード制導入以降、異なる馬で連覇を果たしたのは初めてのことであった。
    生産者の谷岡牧場は、サクラチトセオーの生産者でもあり、同じく天皇賞2連覇となった。
  • 騎乗した横山典弘は、天皇賞初制覇。
    父の横山富雄も騎手として2回天皇賞を制していることから、伊藤正四郎・伊藤正徳親子以来2組目となる親子2代天皇賞制覇を達成した。
  • 第115回天皇賞
    前年の第114回天皇賞(秋)ではその後「3強」と呼ばれることとなるサクラローレルマヤノトップガンマーベラスサンデーが集い、優勝バブルガムフェロー、2着マヤノトップガン、3着サクラローレル、4着マーベラスサンデーで決着した。
    バブルガムフェローはその後ジャパンカップに出走し大敗すると戦線離脱。3強の3頭はジャパンカップを回避して第41回有馬記念に出走した。
    有馬記念では3強に人気が集中したが、サクラローレルが力の差を見せつけ圧勝。2着マーベラスサンデー、7着マヤノトップガンで終わった。
    年が明けて三度目の3強対決となったこの第115回天皇賞(春)も同じくその3頭が人気を集めた。
    前年の第113回天皇賞(春)と有馬記念のタイトルを手中に収めたサクラローレルはその年のJRA賞年度代表馬に選出され、この年の秋には凱旋門賞に挑戦するプランが立てられた。ただしこの競走には有馬記念以来の休み明けで不安視する見方もあった。
    マヤノトップガンは前々年の年度代表馬であるものの、サクラローレルの前に三度完敗。しかし前年の天皇賞(秋)では先の通りサクラローレルに先着していた。
    この競走には前哨戦の阪神大賞典を、それまでの逃げ・先行のスタイルから一転、レース道中を最後方待機する戦法で圧勝しての参戦だった。
    マーベラスサンデーもまた二度サクラローレルに敗れていたが、こちらも前哨戦の大阪杯を快勝しての参戦だった。
    現役最強と評価されていたサクラローレルに人気が集中し、2番人気マヤノトップガン、差がなく3番人気マーベラスサンデーが続き、離れた4番人気がロイヤルタッチとなった。
  • ビッグシンボルがスタート直後に逃げる展開。
    後方に下がったマヤノトップガンが掛かり気味に前に行きたがるが、馬群の内に閉じ込め落ち着かせる。
    サクラローレルは馬群の中団外に待機し、それを真後ろでぴったりマークするマーベラスサンデー
    逃げたビッグシンボルに競りかけるような馬はおらず、スローペースとなり、正面スタンドから向正面まで淡々とレースは流れる。
    レースが動き出したのは向正面の残り1800mを切ったところで、掛かり気味にサクラローレルが逃げるビッグシンボルの後方まで動く。
    その動きに、サクラローレルをマークしていたマーベラスサンデーも追随する。
    有力馬2頭が動いたことで、他馬も動きペースが上がり、馬群が乱れて出入りの激しい展開となる。
    3コーナーから4コーナーにかけて、マーベラスサンデーサクラローレルに並びかけ、直線入り口で2頭が先頭に立つ。
    一方、中団の内にいたマヤノトップガンは、前の馬が下がってきたこともあり3コーナーで思い切り外に出すが、前を行く2頭との差が開く。
    最後の直線に入り、サクラローレルマーベラスサンデーの壮絶な叩き合いとなる。
    残り200mでマーベラスサンデーサクラローレルを交わすが、サクラローレルが差し返す。
    この2頭で決まりかと思われたが、後方にいたマヤノトップガンが普通の馬では届かないと思われる位置から驚異的な末脚を繰り出し、サクラローレルマーベラスサンデーをゴール直前で大外から一気に差しきりゴールイン。
    サクラローレルが2着、マーベラスサンデーが3着と「3強」が上位を占めた。
    勝ち時計3分14秒4は、それまでのレコードタイム(1993年ライスシャワー 3分17秒1)を2秒7も更新する凄まじいレコードタイムであった。
 

2021年は京都競馬場の整備工事に伴い、阪神競馬場芝3200m(外回り→内回り)で施行、2022年も同様。