レインボウクエスト のバックアップ(No.1)


サクラローレルの父

レインボウクエスト(Rainbow Quest)は、アメリカ生まれ・イギリス育ちの競走馬・種牡馬。1985年凱旋門賞に勝利した。日本ではサクラローレルの父として有名である。

 

1983年に未勝利でデビューし1着。次走にも勝ちG1デューハーストステークスに挑戦するが、エルグランセニョールの2着に敗れる。

翌1984年は初戦のG3クレイヴンステークスでリアファンの2着に敗れるとその後も英2000ギニー4着、ジョッケクルブ賞(フランスダービー)3着、アイリッシュダービー2着と勝ち切れない競馬が続いた。

次走はレースの格を落として地元イギリスのG3をレコード勝ちすると、凱旋門賞へ出走する。だがここでサガスの18着と生涯最悪の大敗を喫する。

 

1985年は初戦を勝った後コロネーションカップで初G1制覇。

だがその後はG1エクリプスステークス2着、G1キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス3着と大レースでは相変わらずの勝ち切れなさを露呈した。

こうして2年連続で凱旋門賞に出走し、またも2位で入線する。

1位サガスの連覇かと思われたが、レース後にサガスがレインボウクエストの進路を妨害したとして2着に降着となり、レインボウクエストが繰り上げ優勝を飾った。

同レースを最後に引退、種牡馬となった。競走馬としては大レースでは善戦ばかり、最大の勝ち鞍である凱旋門賞も繰り上げ優勝とケチがついてしまったが、種牡馬として大成した。

 

1986年よりバンステッドマナースタッドで繋養され、父子2代凱旋門賞制覇のソーマレズ、エプソムダービー優勝馬クエストフォーフェイムなどステークスウィナーを数多く輩出し名種牡馬としての地位を確立、日本では持込馬サクラローレルが活躍した。

産駒の特徴はとにかく芝の中長距離に活躍馬が偏っており、短距離やダートでの実績馬は少ない。2007年7月7日に疝痛手術後の合併症のため安楽死の処分がとられた。

 

血統関係

アイウィルフォロー(I Will Follow 牝 1975 父:エルバジェ(Herbager))

レインボウクエスト(Rainbow Quest 牡 1981 父:ブラッシンググルーム(Blushing Groom))

 ├レインボウレイク(Rainbow Lake 牝 1990 母:ロックフェス(Rockfest))

 │└パワーズコート(Powerscourt 牡 2000 父:サドラーズウェルズ(Sadler's Wells))

 サクラローレル(牡 1991 母:ローラローラ(Lola Lola))

 ├ロビーズレインボウ(Robbies Rainbow 牝 1991 母:マリーマーティン(Mary Martin))

 │└コスモサンビーム(牡 2001 父:ザグレブ(Zagreb))

 ├レインボーウッド(Rainbow Wood 牝 1991 母:プライスレスフェイム(Priceless Fame))

 │└バンブーエール(牡 2003 父:アフリート(Afleet))

 └カルティカ(Kartica 牝 母:カイマンサンセット(Cayman Sunset))

  ├クェマー(Qemah 牝 2013 父:デインヒルダンサー(danehill Dancer))

  └アスクビクターモア(牡 2019 父:ディープインパクト)