ダイワメジャー のバックアップ(No.1)


ダイワスカーレットの半兄

ダイワメジャーは、父にサンデーサイレンス、母にスカーレットブーケを持つダイワスカーレットの半兄(父親違いの兄妹)である。

 

2003年に中央競馬(JRA)でデビュー、翌2004年に皐月賞を制する。

その後、呼吸疾患の喘鳴症が重症化したことで一時不振に陥るが、手術を経てこれを克服し、2005年4月に復帰。

2006年には天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップに優勝し、最優秀短距離馬に選出される。2007年にも安田記念とマイルチャンピオンシップを制し、再び同賞を受けた。

通算28戦9勝。中央GI競走5勝は当時史上4位タイの記録。

競走馬引退後の2008年より種牡馬となり、カレンブラックヒル、コパノリチャード、ブルドッグボス、メジャーエンブレム、レーヌミノル、アドマイヤマーズ、ノーヴァレンダ、レシステンシアと8頭のGI級競走優勝馬を輩出している。

 

ダイワメジャーは皐月賞を勝ったものの、この頃から喘鳴症の症状が出始めており、日本ダービーではキングカメハメハの6着と敗れ、秋は三冠の最終戦・菊花賞ではなく天皇賞(秋)に出走したものの、すでに重症化の域に入っていた影響で勝ったゼンノロブロイから4秒離された最下位に終わっている。

喘鳴症疾患はかつてはセントライトシンザンに次ぐ三冠馬と目されていたタニノムーティエや、ダートGⅠを連覇したゴールドアリュールを引退に追い込んだ重篤な疾患であり、治療自体はさして難しい手術ではないとされるが、術後には様々な合併症も報告されており、相当数の症例が費用やリスクに見合った結果を出していないため、ダイワメジャーの治療成功・競走能力の復活は「稀に見る最大の成功例」として取り上げられている。