スピードシンボリ のバックアップの現在との差分(No.2)
シンボリルドルフの母の父
スピードシンボリは父にロイヤルチャレンヂャー、母にスイートインを持つ、シンボリルドルフの母スイートルナの父である。
天皇賞(春)、宝塚記念、有馬記念(2回)に優勝し、1967年・1970年度には啓衆社賞年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬に選出。年度代表馬を隔年で2回受けた馬は当馬とジェンティルドンナ(2012年・2014年)、アーモンドアイ(2018年・2020年)のみであり、3年越しの再選出は唯一の記録となる。
当時の最高齢記録である8歳で引退レースともなった八大競走・有馬記念を制するなど長く強かに競走生活を務め、その晩年には「老雄」と呼ばれた。
また、当時としては珍しい欧州への長期遠征を行い、イギリスの最高級競走であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスS、フランスの最高級競走である凱旋門賞に日本馬として初めて出走した。主戦騎手は野平祐二が務めた。
こうした海外遠征の記録が後の世のトウカイテイオーやエルコンドルパサーなど海外GⅠ優勝の蹄跡につながったと見る向きも少なくない。
こうした海外遠征の記録が後の世のエルコンドルパサーやシーキングザパールなどの海外GⅠ優勝の蹄跡につながったと見る向きも少なくない。
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産駒の重賞勝利馬はピュアーシンボリのみで後継種牡馬にも恵まれなかったが、牝駒のスイートルナが七冠馬・シンボリルドルフ、スイートアースがマティリアルらを産み、ブルードメアサイアーとしてその名を残している。
1989年5月31日、老衰により26歳で死去し、火葬後にシンボリ牧場本場に墓が建てられた。
1990年、1984年以来2回目の顕彰馬選考が行われ、メイヂヒカリ、テンポイントなど4頭と共に顕彰馬に選出され殿堂入りした。客観的には、43戦17勝のうち着外16回という成績は、勝率・連対率において他の顕彰馬と比較した場合凡庸なものであり、大川慶次郎は自著の中で「他の顕彰馬と比べて酷い成績」と断じている。しかし一方で、8歳シーズンいっぱいまで走り、ピークを過ぎたと思われた引退レースにも優勝、有馬記念5年連続出走、重賞通算12勝、最高齢GI級競走勝利を作ったところについては「無事是名馬の典型として顕彰馬になった」と評した。
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プロジェクトL'Arcシナリオにおいて、「シンボリルドルフの祖父」とは別に、「スピードシンボリ」という名のウマ娘がいたことが判明した。
「かつて存在したウマ娘」として直接その名が明かされるのは、メジロラモーヌに続いて二人目。メジロラモーヌがのちに登場したことを考えると、スピードシンボリも登場する可能性が?
血統関係
スイートイン(牝 1958 父:ライジングライト)
└スピードシンボリ(牡 1963 父:ロイヤルチャレンヂャー)
└スイートルナ(牝 1972 母:ダンスタイム)
└シンボリルドルフ(牡 1981 父:パーソロン)