- 長尾景虎。戦国時代の越後国(現在の新潟県)を治めた戦国武将。生涯何度も改名しており、一般には「上杉謙信」の名で知られる。
「越後の龍」「軍神」と謳われた戦上手で、甲斐の虎・武田晴信(武田信玄)とは鎬を削りあうライバル関係とされることが多い。
- 長尾景虎。戦国時代の越後国(現在の新潟県)を治めた戦国武将。生涯何度も改名しており、一般には「上杉謙信」の名で知られる。
「越後の龍」「軍神」と謳われた戦上手で、甲斐の虎・武田信玄(武田晴信)とは鎬を削りあうライバル関係とされることが多い。
私利私欲で戦はせず、他国から助けを求められれば必ず応えるという「義将」のイメージも非常に強い。
- 上杉家中では「御実城様」と呼ばれていたようだ。実城とは城の中心部、本丸のこと。つまり春日山城の主という意味。
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- 越後守護代「長尾為景」の子に生まれる。幼名は「虎千代」。
景虎が6歳のころに父が隠居、兄の晴景が跡を継ぎ景虎は寺に入れられた。13歳で元服し、翌年には晴景の下で内乱の鎮圧を任される。晴景には統治者としての才が無く、戦を経験して成長する景虎を立てようとする動きが次第に活発になっていき、景虎19歳の時に晴景の養子となる形で家督を相続。21歳で室町13代将軍足利義輝から越後守護代行を命じられ国主となる。
景虎が6歳の頃に父が隠居し、兄の晴景が跡を継ぎ景虎は寺に入れられた。
13歳で元服し、翌年には晴景の下で内乱の鎮圧を任される。
晴景には統治者としての才が無く、戦を経験して成長する景虎を立てようとする動きが次第に活発になっていき、景虎19歳の時に晴景の養子となる形で家督を相続。
21歳で室町13代将軍足利義輝から越後守護代行を命じられ国主となる。
主だった内乱を収め越後の統一を果たしたのは22歳の時だった。
- 31歳の時、関東管領・上杉憲政の養子になり家督を受け継いで「上杉政虎」、上洛し足利義輝と謁見した際に輝の字を貰って「上杉輝虎」へ改名。
なじみ深い「謙信」の名は出家して名乗った法号(仏僧としての名前)「不識庵謙信」である。
なじみ深い「謙信」の名は40歳のころに出家して名乗った法号(仏僧としての名前)「不識庵謙信」である。
- 「依怙によって弓矢は取りません。ただ筋目をもって何方へも合力いたします!」
公式プロフィールにある自己紹介。
「たとえ戦場に在る双方から加勢を乞われたとしても、一方への贔屓で(または自らに利することのみを目当てに)武器を執り攻めかかることは致しません。その戦が道理に則っているものであるならば、どなたにでも助太刀致しましょう」
という意味。出典は『白河風土記』で、史実の謙信も同様の言葉を残している。極めて合理的な思考とも見て取れるが、義理堅さのにじみ出るところでもある。
「たとえ戦場に在る双方から加勢を乞われたとしても、一方への贔屓や自らに利することのみを目当てに武器を執り攻めかかることは致しません。その戦が道理に則っているものであるならば、どなたにでも助太刀致しましょう」
という意味。出典は『白河風土記』で、史実の謙信も同様の言葉を残している。
極めて合理的な思考とも見て取れるが、義理堅さのにじみ出るところでもある。
- 武田が今川との関係悪化で塩止め(塩の禁輸)を受けた際、越後の塩を送って助力した話が伝わっており、この逸話が「敵に塩を送る」という慣用句の由来とされる。
卑劣な手を嫌う景虎の性格を象徴する逸話として有名だが、実は以前から越後の塩は武田家の領地を含む各地に流通しており、単にそれを止めなかっただけだと言われている。そもそも信玄が塩の流通を止められたのは、今川家との同盟を一方的に破棄し、反対する嫡男を自害に追い込んでまで駿河侵攻を強行したことが原因なので、卑劣な手を嫌うも何もあったものではない。
卑劣な手を嫌う景虎の性格を象徴する逸話として有名だが、実は以前から越後の塩は武田家の領地を含む各地に流通しており、単にそれを止めなかっただけだと言われている。
そもそも信玄が塩の流通を止められたのは、今川家との同盟を一方的に破棄し、反対する嫡男を自害に追い込んでまで駿河侵攻を強行したことが原因なので、卑劣な手を嫌うも何もあったものではない。
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長尾景虎の本拠地である越後国から武田信玄の本拠地である甲斐国まで塩を運ぶにしても、急流や険しい山々を越えて行かなくてはならないことは想像に難くない。美談として語り継がれるこの故事だが、その名残は道路や地名、祭事などとして現代にまで続いている。ここでは通過点である長野県内での例を挙げる。
- 道路としては国道18号線や国道147・148号線が名残として知られる。前者は「北国街道」と、後者は「糸魚川街道」「千国街道」と呼ばれる。特に後者は通称「塩の道」として親しまれ、現在でも街道沿いの大町市・白馬村・小谷村ではこの名前を冠した祭りが催され、かつての旅人の姿に扮して街道を歩くことができる。
- 地名としては塩尻市が挙げられる。後年の江戸時代には街道がさらに整備されて日本海側と太平洋側の交差点となったが、それ以前の時代からも「塩の道の尻=終着点」→塩尻と呼ばれていたとされる。
- 松本市では「松本あめ市」が催されるが、元々は「初市」や「塩市」と呼ばれた。景虎が武田方に塩を送り届ける際、その塩が当時の松本に届いた日を記念したのが始まりとされる。故事にちなんだ菓子を作る企業もあったりする。
- ちなみに松本は越後の隣国・越中国から飛騨国へと伸びる「ぶり街道」(現在の国道41号線にほぼ相当)の終点でもあった。海のない甲斐・信濃の民にとって、食糧の保存に欠かせない塩や、塩漬けの産物をもたらしてくれる海沿いの国との交易は切っても切れないものである。だからこそ、今川方は塩止めという制裁措置を取ったとも言える。
- 長尾景虎の本拠地である越後国から武田信玄の本拠地である甲斐国まで塩を運ぶにしても、急流や険しい山々を越えて行かなくてはならないことは想像に難くない。
美談として語り継がれるこの故事だが、その名残は道路や地名、祭事などとして現代にまで続いている。ここでは通過点である長野県内での例を挙げる。
- 道路としては国道18号線や国道147・148号線が名残として知られる。
前者は「北国街道」と、後者は「糸魚川街道」「千国街道」と呼ばれる。
特に後者は通称「塩の道」として親しまれ、現在でも街道沿いの大町市・白馬村・小谷村ではこの名前を冠した祭りが催され、かつての旅人の姿に扮して街道を歩くことができる。
- 地名としては塩尻市が挙げられる。
後年の江戸時代には街道がさらに整備されて日本海側と太平洋側の交差点となったが、それ以前の時代からも「塩の道の尻=終着点」→塩尻と呼ばれていたとされる。
- 松本市では「松本あめ市」が催されるが、元々は「初市」や「塩市」と呼ばれた。
景虎が武田方に塩を送り届ける際、その塩が当時の松本に届いた日を記念したのが始まりとされる。
故事にちなんだ菓子を作る企業もあったりする。
- ちなみに松本は越後の隣国・越中国から飛騨国へと伸びる「ぶり街道」(現在の国道41号線にほぼ相当)の終点でもあった。
海のない甲斐・信濃の民にとって、食糧の保存に欠かせない塩や、塩漬けの産物をもたらしてくれる海沿いの国との交易は切っても切れないものである。
だからこそ、今川方は塩止めという制裁措置を取ったとも言える。
- 上杉・武田双方が時に兵力を差し向けて牽制し合ったのも、時に縁組をもって協同歩調を取ったのも、時代が下りこの言葉が生まれたのも、互いが塩をはじめとした海産物の重要性を知り、それらのもたらす経済効果の大きさを重んじていたからとも言えるだろう。
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- 宿敵である信玄には塩の逸話などから親近感を覚えていたという説もあるが、謀略を駆使する信玄を極度に嫌っていたともされ、景虎が抱いていた心情は判然としない。
- なお信玄は景虎を高く評価しており、臨終の際に「いざとなったら景虎を頼れ、義理堅い男だから決して見捨てることはない」という言葉を残したとされる。
- 信玄は景虎を高く評価しており、臨終の際に「いざとなったら景虎を頼れ、義理堅い男だから決して見捨てることはない」という言葉を残したとされるが景虎の関東管領上杉氏の相続は認めなかった。
- これについては、景虎の関東管領上杉氏の相続を認める事は、越後守護代長尾氏の景虎が甲斐守護武田氏より上の地位に就く事になるという権威や、武田氏と同盟関係にある後北条氏から利敵行為をするのかと睨まれない為という外交関係といった
両勢力間を行ったり来たりする国人からすれば面倒な理由がある。
- 自身を毘沙門天の化身だと自称していた。
武神である毘沙門天(多聞天)は戦国大名に人気の高かった神だが、景虎はひときわ熱烈に信仰しており、出陣前には春日山城内に設けた毘沙門堂に籠もり祈りを捧げていたという。
景虎が戦で掲げた「毘」「刀八毘沙門」の旗印はもちろん毘沙門天に由来する。他には朝廷より賜った「紺地日の丸」や総攻撃の合図に使う「懸かり乱れ龍」なども用いていた。
景虎が戦で掲げた「毘」「刀八毘沙門」の旗印はもちろん毘沙門天に由来する。他には朝廷より賜った「紺地日の丸」や総攻撃の合図に使う「懸かり乱れ龍」なども用いていた。
- 毘沙門天の化身と呼ばれた/自称した人物として景虎が有名だが、他に坂上田村麻呂、山名宗全が挙げられる。
田村麻呂は生前に朝廷より、宗全は一休宗純より毘沙門天の化身と評されたため、3人のうち自称したのは景虎のみとなる。
- 他に多聞天王(毘沙門天)の化生と評された名将として楠木正成もいるが、こちらは『太平記評判秘伝理尽鈔』に由来し、同時代のものではない。
- 戦闘ボイスでも毘沙門天の陀羅尼(願掛けの呪文)を一部噛んだのか、忘れたのかをごまかして唱えている。
全文は“オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ”である。
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| | 泥足毘沙門天 (+クリックで展開)
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- ある日景虎が戦から帰ると、毘沙門堂に足跡が伸びていた。扉を開けると足跡は祭壇まで続いており、景虎は「毘沙門天が共に戦場を駆け、加勢してくださった!」と喜んだ。毘沙門天の加護があり、だからこそ先の戦いで勝てたのだと。それ以来この毘沙門天像は「泥足毘沙門天」と呼ばれ祀られるようになった。
- ある日景虎が戦から帰ると、毘沙門堂に足跡が伸びていた。
扉を開けると足跡は祭壇まで続いており、景虎は「毘沙門天が共に戦場を駆け、加勢してくださった!」と喜んだ。
毘沙門天の加護があり、だからこそ先の戦いで勝てたのだと。
それ以来この毘沙門天像は「泥足毘沙門天」と呼ばれ祀られるようになった。
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- 加藤段蔵はほんの一時期ではあるが景虎に仕えていたとされる。
段蔵の忍びとしての高い技量を景虎が危険視したため、不穏な空気を感じた段蔵は出奔することになる。
- 源氏物語を愛読していたり、和歌や琵琶の演奏が上手かったりという文化的な一面も。陣中から甥で養子の喜平次(のちの上杉景勝)に宛てた直筆の仮名手本が現存している。
- 織田信長とは同盟を組んでいた時期は対武田について忠告するなど交流があったが、後に敵対し激しく争うこととなる。
柴田勝家が率いる織田軍を手取川の戦いて散々に打ち破るなど優勢に戦いを進めていた。
- ただし、手取川の戦いは信頼性の高い資料に乏しく、近年では存在そのものが疑問視されており、戦いが実際にあったとしても小競り合い程度だったと考えられている。
イベント「オール信長総進撃 ぐだぐだファイナル本能寺2019」では、手取川で柴田勝家と戦ったことに言及している。
- 源氏物語を愛読していたり、茶道、謡曲、歌にも通暁するという文化的な一面も。
陣中から甥で養子の喜平次(のちの上杉景勝)に宛てた直筆の仮名手本が現存している。
- 特に愛用の琵琶『朝嵐』の音色は春日山城から遠い佐渡まで(約80km)響いたという。
音響兵器か何か?
- 上杉家中では「御実城様」と呼ばれていたようだ。
実城とは城の中心部、本丸のこと。つまり春日山城の主という意味。
- マイルームの会話で名の上がった「うさみん」とは「宇佐美 定満」のことと思われる。
上杉家の軍師として活躍した人物で、軍記物語では「宇佐美 定行」という名でも呼ばれる。
- 幼少期は武勇の遊戯に精を出す一方、一間四方の城郭模型で戦争ごっこをして遊んでいたという。
この模型は後年、景虎(謙信)の後を継いだ上杉景勝の手によって武田勝頼の長男信勝に送られている。
- 大酒飲みで有名で、好んだ肴は塩とも梅干しとも。
騎上でも酒を呑むために「馬上杯」という持ち手のついた器を開発させたという逸話が残る。
- そんな食生活故に、遠征の準備中に厠(トイレ)で倒れてそのまま亡くなった。享年49。このような逸話と史書から、アルコールと塩分摂取過多による高血圧での脳血管障害が死因と考えられている。
- 一説によれば山盛りに塩を盛って、そこに指を突っ込み、指についた塩を舐めしゃぶりながら波々と注がれた酒を延々と飲み、また塩山に指を入れ……という飲み方を好んだという。
- そんな食生活故に、遠征の準備中に厠(トイレ)で倒れて数日後に亡くなった。
享年49。
このような逸話と史書から、アルコールと塩分摂取過多による高血圧での脳血管障害が死因と考えられている。
- トイレでいきむと血圧があがる記事もあり、案外馬鹿には出来ないので血圧が高めな人は本当に気を付けよう。
- 辞世の句は「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」、または「四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒」。
- この急逝による影響は大きく、後継者の指名を受けていなかった上杉家は内乱に突入し、勢力を大きく衰えさせることになる、また、敵対していた織田家はこれを機に戦線を安定させ、当時形成されていた諸大名による包囲網を破っている。
- この急逝による影響は大きく、後継者の指名を受けていなかった上杉家は内乱に突入し、勢力を大きく衰えさせることになる。
一方で敵対していた織田家はこれを機に戦線を安定させ、当時形成されていた諸大名による包囲網を破った。
- 遺体が残っていると推測される数少ない英霊。
死後荼毘には付されず「甲冑を着せて瓶に入れられ漆で固められた」と伝わる。神格化された謙信は激動の時代を生きる上杉家中の支えとなっていた。城内の一等地に御堂「不識庵」が建てられ安置されるほどの扱い。
- 遺体が残っていると推測される数少ない英霊。
死後、荼毘には付されず「甲冑を着せて瓶に入れられ漆で固められた」と伝わる。
神格化された謙信は激動の時代を生きる上杉家中の支えとなっていた。
城内の一等地に御堂「不識庵」が建てられ安置されるほどの扱い。
『瓶』は上杉家の国替えに伴い会津、米沢と渡り歩き、現在は米沢藩歴代藩主とともに上杉家廟所(山形県米沢市)に眠っている。
- 生涯戦績は(人によって解釈が異なるが)70戦43勝2敗25引き分けとされる。
数少ない敗北のうちの一つ『生野山の戦い』は景虎が直接指揮を取ったかどうかは不明な為、敗北に数えない場合もある。
もう一つの『臼井城の戦い』では今孔明と呼ばれた謎の軍師・白井胤治の采配と、赤鬼とあだ名される松田康郷の武勇の前に完敗を喫している。
- 「上杉謙信女性説」が昭和40年代より出現し、創作物でそれを取り上げて女性として登場させた例も多い。
生涯妻を持たなかったことや、一部の文献に女性病の一種を患ったと記載されていることなどを根拠としているが、あくまでも俗説(提唱者は小説家)であり学術的には否定されている。
生涯妻を持たず子は全て養子だったことや、一部の文献に女性病の一種を患ったと記載されていることなどを根拠としているが、あくまでも俗説(提唱者は小説家)であり学術的には否定されている。
- 時の将軍、足利義輝の求めで上洛した折、たくさんの美少年を集めて朝まで宴会を催したという記録があり、少年趣味の持ち主ではあったようだ。
- 一方で伊勢姫、絶姫、ふえ(直江景綱の娘)といった女性との悲恋譚も残るが、こちらは過度の脚色や創作のフシがある。
特に絶姫に至っては男装した彼女に興味を示すも、女性だと発覚するやいなや興味を失うというホモォ…な酷い話を残している。
- 現代人と組む描写は他作品にも有り、『戦国自衛隊』での登場が印象深い。
戦国時代にタイムスリップしてきた伊庭義明ら自衛隊と最初に友誼を結び、彼らの後援者となったのが長尾景虎であった。
原作小説、映画版、劇画版とその結末は様々だが、景虎と義明の友情は一貫して最後まで変わらない。
また、伊庭義明の演じた役割を考えると……彼女が『ぐだぐだ』イベントに登場し、信長と共に天下統一を目指すカルデア家の味方となったのも納得である。
- イベント「オール信長総進撃 ぐだぐだファイナル本能寺2019」での収集アイテム「青苧糸」は領地たる越後国における名産品。
カラムシという植物の繊維から作り上げる糸は丈夫で衣類の生地にうってつけであり、当時は国内随一の産地であった。
木綿は当時栽培が始まったばかりで、高級品は絹、普段使いや夏用として麻や青苧が一般的だった。
景虎はこの原材料を海路で京都などへ流通させるルートを強く推し出すことで莫大な利益を得ており、毎年のように遠征に出られたのはこの財政基盤に支えられてのこと。
このことから戦だけでなく内政にも長けていたと評価されている。
謙信が死去した際春日山城には2万7140両にも及ぶ貯蓄があったという。
時代が下り春日山から会津、そして米沢と移封されてからも青苧は上杉家の財政を支えることになる。
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- 初出は『ぐだぐだエース(仮)』。
最終回(すぐに続編が出る)にて「八華のランサー」名義で突如降臨した。
また社長の仕業か…
『帝都聖杯奇譚回顧録 昭和戦国絵巻』において登場予定であり、『月姫』シリーズからスターシステム的に出演する弓塚さつきのサーヴァントになる……らしい。
- 本人登場前に「ぐだぐだ本能寺」にてぐだぐだ粒子の影響を受けたアルトリア・ペンドラゴンが「上杉アルトリア」と名乗る形で名前が出される他、「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚-極東魔神戦線1945-」においてノッブより「便所で乙った美少女」として引き合いに出されている。
- 『FGO material vol.Ⅴ』の水着ノッブのページにおいて「川中島のアイドル謙信ちゃん&信玄ちゃん(コンビ仲最悪)」という形で名前が出されている。
なお、当該記述のある文章は水着ノッブのライブ前口上のノリで書かれており、かなり胡乱な内容。
しかも実際に登場した信玄ちゃんは男性だし。
- 本作では戦バカ、バトルジャンキー……というよりも人の心が分からないという意味ではサイコパスに近い性格。
その一方で自身の異常さもある程度自覚しており、一生懸命常人のふりをしているような言動を見せる。「義」を尊ぶのもなるべく「人間」でいようとするためか。
- それを暗示するかのごとく、表情差分はなんと笑顔の類いしかない。
どこぞの割烹着の悪魔を連想した月姫ファンも多かった模様。
- カルデアに来て最初の一言が妖怪お尻水かけについて。それでいいのか乙った美少女。
- スキル発動時の台詞はスキル1~3にそのまま対応しているが、たまにランダムで失敬する。この呑兵衛め……
また、3つのスキル名は景虎の座右の銘とされる言葉に由来する。
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- 運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。
運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。
武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし。
- 意訳「天運はどうにもできないものだが、身を守ることは日々の努力でできるし、手柄を立てるのも努力次第。勝負を運任せにするな、自ら情報を得て戦場を掌握しろ。
戦場で生き残ることだけ考えるような奴から死に、必死に戦った者の方が生き残るのがこの世の摂理というもの。運が巡ってくる来ないではなく、武士なら自分の道は自分で考え、自分の責任で動くのだ」。
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- 宝具「毘天八相 車懸りの陣」。
- 宝具「毘天八相車懸りの陣」。
武田晴信との10年以上に及ぶ戦い「川中島の戦い」の中でも、特に苛烈を極めた第4次の合戦「八幡原の戦い」において、景虎が用いたとされる陣形「車懸りの陣」に由来する。
大将を中心として全軍が車輪か渦巻きのように布陣して、まず第一陣が敵軍と戦う。第一陣が退きながら続いて第二陣がスライドしてきて敵軍に攻撃し、さらに第二陣がスライドして第三陣が…というように、絶え間なく敵軍を攻撃すると伝えられた。が、実際に用いられたかは資料に乏しい。
なお、対する武田方は「鶴翼の陣」で応じたとされる。
- 乗馬は「放生月毛」。上記の「川中島の戦い」にて騎乗していたとされる。
大将を中心として全軍が車輪か渦巻きのように布陣して、まず第一陣が敵軍と戦う。
第一陣が退きながら続いて第二陣がスライドしてきて敵軍に攻撃し、さらに第二陣がスライドして第三陣が…というように、絶え間なく敵軍を攻撃すると伝えられた。
が、実際に用いられたかは資料に乏しい。
- 乗馬は「放生月毛」。上記の「川中島の戦い」にて騎乗していたとされる。
- 宝具カットインの立ち絵は、眉尻を上げ勇ましく笑っているものと、目を閉じて楽しげに笑っているものの2種類の表情差分がある。
- 本作で武器を8種使用するのは史実で謙信が信仰していた「刀八毘沙門」に由来する。
名前の通り8本の刀を携えた毘沙門天で、Fateの彼女はこれに着想を得て「どんな戦局にも対応できるよう武器を8種持っていけばいい」と思い当たったと設定されている。
また、マテリアルにあるように彼女がこれを「八華の備え」と称したことが「八華のランサー」の名の由来と思われる。
- 宝具で8騎に分身した景虎は得物が全て違っており、それぞれがこの8種の武具を使い分けているようだ。
ディルムッドは泣いていい。
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イベントシナリオ内での宝具使用時の詠唱にて、景虎が持ってきた八つの武具が示唆されている。
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- イベント「オール信長総進撃 ぐだぐだファイナル本能寺2019」で収集することとなるアイテムのうち、「青苧糸」は領地たる越後国における名産品。カラムシという植物の繊維から作り上げる糸は丈夫で衣類の生地にうってつけであり、当時は国内随一の産地であった。(木綿は当時栽培が始まったばかりで、高級品は絹、普段使いや夏用として麻や青苧が一般的だった)
景虎はこの原材料を海路で京都などへ流通させるルートを強く推し出すことで莫大な利益を得た。毎年のように遠征に出られたのはこの財政基盤に支えられてのこと。戦だけでなく内政にも長けていたようだ。
謙信が死去した際春日山城には2万7140両にも及ぶ貯蓄があったという。時代が下り春日山から会津、そして米沢と移封されてからも青苧は上杉家の財政を支えることになる。
- 4周年記念リアルイベントのクリエイターズトーク内の「2019年1月から7月までに登場した中で最も聖杯を捧げられたサーヴァントランキングBEST5」で、実装から僅か1ヵ月しか経っていないにも関わらずなんと1位を獲得した事が発表された。
後期実装、かつ条件の非常にゆるい配布のため、所持母数自体も多く、さらにイベント期間中はレベルが上げやすかったのもあるだろうが、それらを考慮しても相当にキャラ人気が高かった事が分かる。
- 織田信長、魔王信長、森長可、牛若丸、茶々、ギルガメッシュ、アルトリア・ペンドラゴン(槍)、イスカンダル、沖田総司、沖田総司(オルタ)所持時にマイルームに特殊会話が追加される。
- 会話11はイスカンダルに対するものだが、アルトリア(槍)とイスカンダルの両者所持が条件となるため注意。
- イベントでの活躍
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| | +クリックで展開
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- 2019年の水着イベントで早速登場。早速便所で乙る。
- 2020年バレンタインからラインナップに加わるが、チョコイベントがもはやフルボイス仕様の幕間と大評判。
景虎の持つ人外のメンタルを掘下げたシナリオと、そのあり方をよしとしたマスターに「これでよい、これでよいのです」と心底満足そうな笑みを浮かべていた。
- 2020年のぐだぐだイベントでも大活躍。大活躍なのだが・・・とにかく乙るネタで弄られまくる。「あはははははは!殺せー!!」
エクストラストーリーではサーヴァントでも耐えられないほど強烈な酒を醸造し、自分は平気で呑みまくっていた。
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幕間の物語
- 開放条件:未実装
+
| | +クリックで展開
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Interlude | ??? | 推奨Lv | ? | 場所 | : |
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| AP | ? | 周回数 | ? | クリア報酬 | ? |
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絆P | ??? | EXP | ??? | QP | ??? |
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| 進行度 ■□ | Battle 1/3 | エネミーA Lv○○(クラス:HP) エネミーB Lv○○(クラス:HP) エネミーC Lv○○(クラス:HP) |
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Battle 2/3 | エネミーA Lv○○(クラス:HP) エネミーB Lv○○(クラス:HP) エネミーC Lv○○(クラス:HP) |
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Battle 3/3 | エネミーA Lv○○(クラス:HP) エネミーB Lv○○(クラス:HP) エネミーC Lv○○(クラス:HP) |
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ドロップ | | | 進行度 ■■ | Battle 1/3 | エネミーA Lv○○(クラス:HP) エネミーB Lv○○(クラス:HP) エネミーC Lv○○(クラス:HP) |
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Battle 2/3 | エネミーA Lv○○(クラス:HP) エネミーB Lv○○(クラス:HP) エネミーC Lv○○(クラス:HP) |
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Battle 3/3 | エネミーA Lv○○(クラス:HP) エネミーB Lv○○(クラス:HP) エネミーC Lv○○(クラス:HP) |
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ドロップ | | 備考 |
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強化クエスト
- 開放条件:
+
| | +クリックで展開
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Battle 1/3 | 小鬼A Lv36(狂:17,525) スケルトン Lv(弓:22,850) 小鬼B Lv35(狂:17,080) |
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Battle 2/3 | スケルトンA Lv44(弓:28,535) 小鬼 Lv38(狂:19,151) スケルトンB Lv43(弓:27,934) |
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Battle 3/3 | バイコーン Lv34(狂:171,499) |
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戦馬の幼角、凶骨、弓の輝石、叡智の大火(狂)、QP+15,000、+10,000 |
Battle 1/3 | 小鬼A Lv45(狂:30,212) 黒武者 Lv22(狂:38,375) 小鬼B Lv44(狂:29,585) |
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Battle 2/3 | 黒武者A Lv24(狂:46,405) 小鬼 Lv47(狂:38,648) 黒武者B Lv23(狂:44,489) |
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Battle 3/3 | 森長可 Lv60(狂:192,875) |
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枯淡勾玉、凶骨、狂の魔石、狂の輝石、叡智の猛火(狂)、バーサーカーモニュメント、QP+30,000、+15,000 |
Battle 1/2 | スケルトンA Lv53(弓:28,524) 黒武者 Lv22(狂:35,976) スケルトンB Lv52(弓:28,020) |
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Battle 2/2 | バイコーン Lv39(狂:107,177) 織田信長 Lv76(弓:203,268) |
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戦馬の幼角、弓の輝石、アーチャーモニュメント、叡智の猛火(狂)、QP+30,000 |
クリアでスキル「運は天に在り」ランク[A]→[A+]に強化。 |
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