サーヴァント・葛飾北斎について
- 葛飾北斎。江戸時代後期を代表する浮世絵師。
現状体験クエスト以外に記述がないが、本作では北斎の三女である「葛飾応為」を主な姿として顕現しており、その在り方はオリオンに近いものとなっている。
第1、第2段階では応為本人だが、第3段階以降の彼女はタコの姿になっていた北斎がその人格を乗り移らせている。
よく見ると形状しがたき髪飾りに頭をかじられているとと様の抜け殻とおぼしきモノが…
- FGO世界では、後述の理屈によりクトゥルフ神話の邪神の力を得てフォーリナーのサーヴァントとなったとの設定が成されている。
フォーリナーに該当するサーヴァントはアビゲイルに続いて2人目であり、彼女の登場によってフォーリナークラスの方向性や該当条件などが大まかに判明することとなった。
なおフォーリナーになるまでは北斎自身が英霊の座に行くことを拒否していたため、カルデアによるサーヴァント召喚の候補に挙がることはなかった。
- FGO外では『氷室の天地 Fate/school life』2018年2月号にて「第3回ぼくの考えた最強偉人募集」に採用された偉人の一人として登場。
あちらでは生涯に30にも及ぶ号を使用した事から、奥義を一度使う度に「勝川春朗」→「葛飾北斎」→「鉄棒ぬらぬら」→「画狂老人卍」と名前・外見・能力が変化するという設定で、作中では身体の中央に「卍」の文字が浮かび禍々しい炎を纏った「画狂老人卍」に変化した時の姿が描かれている。
デザイン
- セリフのみならず、彼女のデザインのあちこちにもクトゥルフ神話に通じるモチーフが織り込まれている。
- 髪や帯を彩る意匠は、五角形から「古のもの」ないしその象徴である「エルダーサイン」に関連しているとも考えられるが『Fate/Zero』における海魔を模している可能性もあり、詳細は不明。
- 再臨第3段階になるとクトゥルフ成分溢れた外見になり、バトルキャラも宙に浮く。セリフにもクトゥルフ関係の文言が混在するようになるが、当人が意味を理解しているかは少々怪しいところ。
マイルームでの特殊会話
戦闘モーション
- 実装された葛飾北斎には、その戦闘モーションの所々に北斎の絵がふんだんに取り入れられている。
- 第三再臨以降に現れる波模様の水色の穴のようなものは「木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ瀧」から。
- 戦闘モーション内では、[A][B][B]で東町祭屋台天井絵「鳳凰図」と「龍図」。[EX]では黒富士こと富嶽三十六景「山下白雨」。宝具には上町祭屋台天井絵「怒涛図」から「女浪」。そしてご存じ富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を見ることができる。
- 「神奈川沖~」は第3スキル「雅号・異星蛸」のアイコンにも用いられている。
- 第三再臨以降で[A][B][B]選択時に表れる龍および海竜のような絵図については該当絵がなく、クトゥルフ神話に登場する生物を北斎風にデザインしたFGOオリジナルのものである。
前者はモチーフを判じ難いが、後者はクトゥルフの化身の一つにして旧約聖書のリヴァイアサンとも同一視される「全ての鮫の父(FATHER OF ALL SHARKS)」がモデルと思しい。
- 作品の詳細については「戦闘中に表れる北斎の作品について」内に記す。
FGOでの北斎とクトゥルフ神話について
北斎はタコを題材にした絵や春画を書いており、とくにその一つ「蛸と海女」は「200年以上前に触手プレイを描いた春画」として一部では有名。
このためしばしば「北斎は触手という性癖のパイオニア」と思われがちだが、実際はこのような触手プレイ春画は北斎以前にもすでに類似作品がいくつか存在していたことがわかっており、北斎はそれらの影響を受けて作品を描いたと考えられている。
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| | エロ(グロ)注意
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- この絵に書かれている2匹の蛸…台詞はオスっぽいのだが、吸盤の並び方はメスのそれだという指摘がある。もし本当にメスだとしたら、さらにマニアックな産卵(女性が卵を産むほうではなく、女性の膣や子宮に卵を産み付ける植卵)プレイという可能性もある。
- 余談だが蛸の卵は珍味として取り扱っている。今では鮮度の問題で入手が難しいが、食レポを見る限り相当に美味らしい。
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本作においては、こういった作品が「資料蒐集の鬼である北斎が、海魔について記された異本を手に入れ、そこから着想を得て描き上げたもの」といった形で解釈されている。
本作の北斎が第3再臨に到達すると異界の邪神を思わせる姿へと変貌するのは、異本を通して異界の邪神の存在を知ったことに加え、「異端なるセイレム」において外宇宙=虚空からこの宇宙への時空の道筋が繋がってしまったことが直接的な原因である。
虚空より地球の存在を知覚した邪神の一柱は、海魔の存在を知る北斎に目を付け、その魂と混ざり合うことで現実への降臨を目論んだ。その結果として北斎は「降臨者」たるフォーリナーのクラスの資格を手に入れ、さらに邪神と接触したことで「領域外の生命」「神性」スキルを獲得するに至ったのである。
なお、北斎が異界の邪神と本格的に接触した時期は不明。
「異端なるセイレム」における「外なる神」降臨事変が発端となったのは間違いないが、なにぶんこの宇宙と外宇宙の時空の繋がりはあやふやであるため、如何とも言い難いのが現状である。
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| | このサーヴァントにおける神性について
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- 葛飾北斎の魂と混ざり合ったとされる「異界の邪神」の正体は、蛸というキーワードや「ふんぐるい…」という呪文、「螺湮の城(ルルイエ)について書かれた魔道書」に記されていたことなどから、旧支配者の一柱「クトゥルフ」だと推測される。
クトゥルフはタコに似た触手を生やした頭部を持つ巨大な神性の一種で、海底に沈んだ都市ルルイエにて眠っており、星辰が正しい位置につくことでルルイエの浮上とともに目覚めるとされている。
また正体不明のテレパシー能力を有しており、これに当てられた生物は大抵の場合精神的ショックを受けるか、精神が崩壊し発狂する。体験クエストにおいて北斎が海底から響く謎の声を聞く描写があったが、これはほぼ間違いなくルルイエに眠るクトゥルフからの交信である。
- 本作において北斎に影響を与えたとされる『螺湮城教本』は「ルルイエ異本」の異名を持ち、キャスタークラスのジル・ド・レェが正式な宝具として所有している。
ジルは螺湮城教本の力により「クトゥルーの神を模した超巨大海魔」を召喚しているが、この大海魔がクトゥルフそのものなのか、数多く存在するクトゥルフの眷属神の一種なのかは定かではない。
- ちなみに、同じく「降臨者」のクラス適性を有するアビゲイルに関連していると推測されている「外なる神」は、クトゥルフと同じ創作神話を出典とする神性「ヨグ=ソトース」であることがほぼ確定的である。
ただしクトゥルフが旧支配者(Great Old Ones、かつて地球を支配していた者)にカテゴライズされるのに対し、ヨグ=ソトースは旧支配者とは別格の「外なる神(The Outer Gods、外宇宙に住まう者)」と定義されており、神としての種別は大きく異なる。
クトゥルフはあくまで地球規模の脅威だが、ヨグ=ソトースは宇宙規模、ひいては全時空規模の存在であるため、クトゥルフ神話においてはあちらの方が遥かに格上である。
- なお、北斎の信仰する妙見菩薩も、クトゥルフ神話を取り扱う場ではクトゥルフと対立する別の旧支配者と同一視される事がある。とは言えこの北斎周りのイベントでそれが干渉を行っていたのかは不明。
- 余談だが、葛飾北斎をクトゥルフと絡めたのはTYPE-MOONが初めてではない。
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北斎・応為父娘のエピソードあれこれ
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| | 真名や人物像
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応為は号(画号)であり、本名は栄と言い、お栄、栄女とも記された。
「応為」の由来は諸説あるが、その一つに作業の指示を仰ぐために「おーい」と北斎をたびたび呼んだため北斎から「お前は今日からオウイだ」と叱られ、それをそのまま画号にしたというものがある。
- ただ、作品をプロデュースし売り出す版元は北斎のネームバリューを優先し、応為が描いた絵を北斎名義で出版するということが度々あったらしい。
事実、北斎の作品には応為単身で筆を執ったと推察される作品も多く、近年の研究ではこれらは版元の判断で北斎作とされたと考えられている。特に北斎の最晩年の作品には彼女との合作も存在する。
- そうした事情から、FGO内では(現実においてもしばしば)「『葛飾北斎』はブランド名」「二人合わせて『葛飾北斎』」という扱いをされている節がある。したがって、父娘揃って1騎の「葛飾北斎」というサーヴァントとして召喚されるという経緯は(少なくともオリオンよりは)筋が通っているといえる。
葛飾応為という人物について
- 父の陰に隠れがちだが、応為自身も優れた浮世絵を残しており、美人画・春画・枕絵の作者としても優れていたという。北斎は「美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている」と語っている。
- 落款などから彼女の作品とされるものとして「月下砧打美人図」「吉原格子先図」「三曲合奏図」などがある。
- その一方でその品性や性格などは当時の女性に求められるようなものとは程遠く、まさに「女子力・生活力/Zero」という残念なお人。勝ち気で男っぽく任侠風を好み、貧乏や散らかった部屋も気にしなかったとされ、更に当時の世間では非常に珍しくて馴染みの薄い「家に嫁がずに仕事をする女性」であった。
- ある日、婚期になっても結婚しようとしない応為を北斎が心配し、知人に縁談相手を探してもらって琳派の絵師・堤等明へ嫁がせた。しかし嫁いだ応為は気ままに絵を描いてばかりで掃除も炊事も全くやらず、とどめに旦那の画才を鼻で笑うという無茶苦茶な有様だった。結局、彼女の酷すぎる生活ぶりや態度に業を煮やした旦那は速攻で彼女に三下り半を突き付けて返品、出ていった彼女はそのまま父親の所に出戻り絵描きとして生きていくと言って譲らず、この様子にとうとう北斎も折れて彼女を自分の手元に置いておく事にした模様。
- 父・北斎を看取った後も応為はしばらく活動はしたものの、晩年は出家して尼となり、加賀前田藩に召し上げられてのち65歳前後で世を去ったという。
葛飾北斎という人物について
- そもそも父・北斎も「生活力/Zero」な人物で、日がな一日中布団に包まりながらひたすら絵を描き、住んでいる長屋がゴミで汚くなるとさっさと引っ越してしまうという生活を続けていた。その回数、実に通算93回。しかもある時には「引っ越し先の風景が気に入らない」という理由で一日に3回も引っ越しするというデタラメぶり。特に応為のガサツさは間違いなく父親譲り。
そして金銭への執着も皆無なため、稼いだものは丸々絵のための諸費用に突っ込まれ、生活費のやり繰りは応為が苦心していた。
その父から応為はアゴが大きいからと「アゴ」と呼ばれていたとか。
- 北斎もまた号であるが、先述の住居同様に何回も変更されている。中には「卍」というもはや名前なのか分からないものも。
- 「北斎」の号は「北斎辰政」の略であり、北極星(北辰/玄天上帝)の神格・仏格化である妙見菩薩(北辰妙見菩薩/妙見尊星王)に由来する。宝具セリフの冒頭はいずれも妙見菩薩の真言である。
- 弟子に譲って収入を得ていたとも言われるが、なんと「北斎」の号さえも譲ったというのだから驚き。
- 本作でもスキル3及びスキル使用時のセリフでその様子が伺える。改号は通算30回に及ぶとか。
- セリフでも言及されている「紫色雁高」や「鉄棒ぬらぬら」等、春画時に使用していた画号のネーミングセンスのすさまじさには定評がある。
- 戦闘不能時の「人魂で 行く気散じや 夏野原」は彼の辞世の句。「これで絵筆も執れなくなっちまうのが惜しいったらねェが、さて人魂にでもなって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようかねえ」という意。あと10年生き長らえることを天が許すなら、いよいよ本物の画工というやつに手も届こうものをなあ―――と言い遺したとされる。
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| | マイルーム中のセリフについての由来あれこれ
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酒呑童子に対する会話で言及される「切禿の女童」、つまりおかっぱの少女は、夭折した妹のことではないかと思われる。
アビゲイルに対するセリフ「南蛮人相手には一文だってまからねェよ?」は、絵を注文してきた異国人から「自分は上司と比べて薄給の職にあるので、自分の分は半額にならないか」と代金の値切り交渉を受けたというエピソードから来たものと思われる。
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| | エピソードの顛末とその後
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この時、北斎は憤慨して品物を渡さずに引き上げてしまったが、後に異国人の上司であるオランダ長崎商館長が自分の分の代金も含め満額で支払い買い取った。
- この異国人は「シーボルト事件」で知られるドイツ人学者P.シーボルトとされる。彼は後に幕府ご禁制の日本地図などを持ち出そうとしたとの疑惑から国外追放処分となるが、来日中に収集した生物や植物の標本、文学作品や芸術品は19世紀ヨーロッパにおける日本研究の先駆けともなった。2016年には、シーボルトが持ち帰った作品の中に北斎の肉筆とされる6枚の風景画(5枚の水彩画に1枚の岩版画)があると発表された。
- とと様の言い分「懐が寂しいってンなら初めっからそう言えよ!同じ図柄でもお代に見合った色味で仕上げてやったもんをよ。こんなんで異国の連中の間で『日本人は相手によって値段を上げ下げする輩だ』なんて吹聴されたら堪らねェさ!」
お栄「意地張ったっておまんまを食い上げちまいそうな有り様は変わんないのに、まったくとと様はさぁ」
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牛若丸に対する会話で言及される「鎮西八郎」とは、義経の叔父にあたる源為朝のことを指す。
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| | 「鎮西八郎」こと源為朝の武勇伝について
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源為朝は源氏の内ゲバで亡くなった一人である*1が、一説では落ち延びて琉球へ渡り、琉球王朝の始祖となったと言われている。
この活躍を書き綴ったのが、セリフで言われる滝沢馬琴の「椿説弓張月」である。
為朝は弓の名手として高名であり、あまりにも弓を引きすぎた結果、身体が弓を引くために最適化され、左手のほうが右手より長かったという逸話がある。
また内ゲバの際の活躍はかなりぶっ飛んでおり、列挙すると、
- 五人張りの弓で、挑発のために相手の兜の金具だけを撃って弾き飛ばす精密狙撃。
- 一発の矢で複数人を貫通。
- 勇戦及ばず敗れたものの、その武勇を惜しまれて、弓が引けぬよう腕の腱を切られただけで助命された。
が、どういうわけか腕の腱は繋がるわ、前よりさらに左腕が伸びるわでパワーアップして復活した挙句、流された地域の諸豪族を平らげてトップに立つ。
さすがにヤバいと思った本家が再び討伐軍を出し、多数の軍船が為朝の島に迫ると、この数には敵わじと思ったのか、辱めを受けぬように家族を自らの手で介錯。
そして弓を構えて、討伐軍の軍船に一射。当然ながら命中し、200人が乗った軍船を一撃で轟沈させる。そのまま続けたら勝てたとかは言わない
- この結果に満足した為朝は自刃。記録上最初の切腹だと言われている。
そして、ここで死なずに落ち延びたifが「椿説弓張月」なのである。
NHKの大河ドラマ「平清盛」にも登場しているが、その際公式サイトで「平安時代のモビルスーツ、現場ではガンダムと呼ばれた」と紹介していた。源氏のモビルスーツは化物か
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戦闘中に表れる北斎の作品について
ここでは戦闘中に表れる北斎の作品関連についてまとめる。北斎・応為のエピソードも一部含まれる。
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| | 個々の作品についての解説
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名所絵・風景画「富嶽三十六景」
- 葛飾北斎72歳からの代表作。「表富士」とも通称される36枚の富士山を描いた風景画であるが、好評を博したため10枚が加わった。追加された10枚は「裏富士」とも呼ばれるとのこと。
- 宝具「神奈川沖浪裏」は21番目。[EX]の「山下白雨」は32番に該当。この他、33番「凱風快晴」がよく取り上げられるだろうか。
- 折からの旅行ブーム*2に乗るように浮世絵の世界にも各地の名所を描く名所絵が登場したが、その決定版の一つとなったのがこの作品だった。ブームとはいえ現代のように気軽に何度でも出向けるほどではないため、名所絵は人々の想像をかき立て、あるいは旅の思い出の1枚となった。
同年代に庶民から好評を博した別の名所絵としては、体験クエストにも登場した歌川広重の「東海道五十三次」が挙がる。
- 後に西欧にて日本文化が一大ブームをもたらし、オランダの画家V.ゴッホは画家仲間にも彼の絵をはじめとする日本画を絶賛した。フランスでは作曲家C.ドビュッシーが交響曲『海』のスコア表紙に「神奈川沖浪裏」を用い、画家のH.リヴィエールは彼の浮世絵に触発されて独学で木版画技術を習得し「エッフェル塔三十六景」を作り上げるまでに至った。
- 色付けに用いられた顔料「紺青(プルシアンブルー)」は当時イギリスから清国経由で大量に輸入されて値崩れしていた。巷に出回る絵具を北斎も用いたのであろう。従来の染料にはない鮮やかな色は後述の「八方睨み鳳凰図」にも用いられた。
- 後述の美術館「北斎館」では「神奈川沖浪裏」がどういった工程で作られていったか――特に、北斎の下絵を元にして摺師がどのように一色ずつ重ねていったのかが図解されている。
企画主である版元、版元からの依頼を受けて北斎が担当する絵師*3、下絵を元に版木を彫り上げる彫師、色合いなどの指定に基づき版木から紙に刷り上げる摺師。北斎の作品に限らず、彼らの手を経て1枚の木版画は出来上がり、巷の好評を得て増す摺り(増刷)されて世に出回っていった。
- 2010年には生誕250年記念としてGoogle日本版ホームページのロゴにも用いられた。
東町祭屋台天井絵「龍図」「鳳凰図」と、上町祭屋台天井絵「怒涛図」より「女浪」
- いずれも「祭屋台」とあるように、祭りに出す屋台の天井絵を飾るものとして制作・奉納されたものである。これらは齢八十を超えてなお絵画への意気軒昂たる北斎が、信濃国の豪農・高井鴻山の拠点である松代藩(現在の長野県小布施町)へと赴き、逗留する中で描いた一品ものの肉筆画である。現在も同町の美術館「北斎館」に屋台そのものが保管・展示されており、天井絵の拡大版も見ることができる。また、祭屋台は長野県宝に指定されている。
- 2016年11月には東京に「すみだ北斎美術館」が完成した。常設展・企画展で北斎の作品に接することができる。
- バトル中に表れる龍と鳳凰を見ると、それぞれ時計回り・反時計回りで描かれている。これらは、宇宙のあらゆる物や現象が互いにバランスを取り合うことで世界の秩序が保たれるとする陰陽説に基づいた構図である。時計回りの龍は「陽」、反時計回りの鳳凰は「陰」を表し、互いに向き合う形を取っている。
- FGOの北斎はモーション内でさすがに描かないが、実際の「龍図」は鮮やかな紅色を、一方で「鳳凰図」は暗めの藍色を、それぞれ背景色としている。こうした色の対比・調和もまた陰陽説に根ざすものである。
- この陰陽の思想を図で表したのが「太極図」。両儀式の第3スキル「陰陽魚」とも呼ばれるこの構図を、北斎は龍と鳳凰でなぞらえたのだ。
- 「怒涛図」の「女浪」には対として「男浪」があり、こちらも同館では見ることができる。この他、北斎の墨画や門弟たちの作品も展示されている。
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| | 北斎が訪ねた豪農・高井鴻山について
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- 信州小布施の豪農・豪商である高井家は、元々は江戸初期に同じ信濃国の東部、浅間山の山麓から移住してきたことから始まったとされる。室町・江戸期に各地で開かれた月6回の市「六斎市」での商いを土台に酒造業で財を成してゆき、やがて江戸や大阪、瀬戸内にまで届く広域を商いの場として、京都・九条家にも顔が利くほどの影響力を持つほどとなった。
- 元々は「市村」姓だったが、18世紀後半に起きた江戸四大飢饉の一つ「天明の大飢饉」において当時の当主が困窮した民衆を救った功績から「高井」の名字と帯刀が許された。その後、姓は元に戻ることとなるが現代にまで続いている。
御上「この一大事を乗り越えるために金を貸してはくれまいか」
当主「貸すのであれば、御上であれ後々で返済してもらわねばなりません。飢饉で苦しいのはみんな一緒でしょう、ですからこの財は寄付として出します」
- その高井家の当主となった鴻山*4は、経営などの商才にはあまり恵まれなかった代わりに、学問や芸術への知識を幅広く備えるようになる。15歳からの京都・江戸への遊学の中で書や浮世絵にはじまり儒学・漢学・国学を修め、大塩平八郎や同郷の佐久間象山ら幕末の有名な学者・志士らと異国の迫る日本の将来についてなど激論を交わしたり、文人墨客を自宅の書斎に招いたりした。そうした幅広い交流の中で誼を通じることとなるのが、葛飾北斎である。
- 江戸で交流の始まった北斎はその晩年に四度、小布施の鴻山の下を訪れ、ここに逗留している。
「なぜ北斎先生がここに…(汚部屋から)逃げたのか?自力で脱出を?」
北斎の訪問に感激した鴻山は自宅に北斎用のアトリエ「碧漪軒」を用意して全面的に創作活動をバックアップし、北斎もまた当時30代半ば過ぎの鴻山を「(高井の)旦那様」と呼び合う仲だったのだとか。冒頭の祭屋台天井絵はこの頃に制作された。
- 北斎一門となった鴻山自身の作品や北斎の一部の作品*5は、上述の北斎館の向かいに建つ「高井鴻山記念館」で展示されることがある。
- 上述の祭屋台のうち、上町祭屋台天井絵「怒涛図」の縁取りは北斎が下絵を描いて鴻山が仕上げたもの。その一部には、当時ご禁制とされたキリスト教の天使像が含まれている。
- お栄さん(葛飾応為)も二度目の小布施旅行の際に同行しており、応為号で精緻な百合の花の絵を描いている。この時、「北斎先生の娘さんが江戸から来るってよ!どんな別嬪さんが……オイこりゃおばあちゃんだよ!」と地元の人から反響があったとかなかったとか。むべなるかな、お栄さんも既に相応の年齢であったのだから。
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小布施逗留中の北斎が描いた他の作品
- 以下はFGO作品内では表れないが、上の2作品に劣らないものとして参考までに掲載する。
小布施町には北斎最晩年の作品の一つとされる肉筆画「八方睨み鳳凰図」も現存する。町内にある曹洞宗梅洞山・岩松院本堂の天井を埋め尽くすサイズは畳21枚にも及び、描いてから天井に釣り上げて組み上げられたものと考えられている。
- 辰砂・孔雀石・鶏冠石・鉛丹などを基とした岩絵の具、当時流行となった花紺青などを用いて描かれており、羽根などに用いられた金箔は4000枚を上回る。当時の価格にして金150両もの高価な大作は、制作から150年以上が経つ現在にあっても塗り替えや修復といった手が加えられることなく、往時の色彩を留めている。
- 四度目の来訪での制作とされてきたが、「さすがに90歳も間近の北斎が現地で描くのは困難では?北斎一派の門人や応為が手伝ったのではないか?」との考証が為されているとのこと。
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| | 余談:岩松院に縁のある人物と、北斎へと連なる縁
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- 岩松院には蛙合戦の池と呼ばれる小さな池があり、北斎と同時代の俳人・小林一茶が「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」と詠んだ場所であるという。
一茶の生まれ故郷も前述の小布施に近く、新潟県境に近い北国街道の宿場町・柏原であった。ナウマンゾウの化石が出土した野尻湖や、信州そばの一大スポット戸隠にも近いと書けば、その筋が好物な「ますたあ」の方々には位置関係が分かりやすいだろうか。
- 同じく岩松院には、豊臣秀吉子飼いの猛将・福島正則の霊廟がある。
秀吉亡き後、徳川家康に仕えた正則は関ヶ原の合戦の功績から安芸・備後2カ国を治めるほどの大名となった。ところが家康の死後、台風で壊れた広島城の修繕を行ったのが幕府に無断であるとの咎から領地を召し上げられ、北信濃の小さな藩主として減封・転封されたのだった。いわゆる武家諸法度への違反である。
しかし彼はこの地で亡くなるまでの5年間で領内をくまなく検地し、治水工事や田畑の開墾を進めるといった確かな業績を残している。
- この新田開発では近隣の村々からも人が集められたが、その中から地主にまで成長した久保田家からは、後に一茶の門人兼パトロンとなる久保田春耕が輩出されることとなる。
- こうして拓かれた土地でやがて高井家が財を成し、その高井家と知己を得ることになった北斎によって、世界に誇る芸術作品が生み出される素地ができていったのだろうと考えるに、土地の育む歴史の繋がりや人の縁に思いを致さずにはいられない。
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おまけ
なかなかのお餅
- 正しくは「ぬ、脱いだァー!? なかなかのお餅ー!」
葛飾北斎体験イベントの二節目「浮世絵は夢の如し」にて彼女がパージ(By鈴鹿御前)した時に主人公が選べる選択肢の一つ。
このボケに流石の鈴鹿御前もツッコんだ。
「そっちかァー!? マスターにはこの正月に異物を喉に詰まらせて看護師の弾薬庫に運ばれる呪いをかけるし!」
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