ニーニャ号 の変更点
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*ステータス [#n434573a]
|~SR|>|>|>|>|~No.589|
|&attachref(./w589.jpg,nolink,ニーニャ号,234x400);|>|>|>|>|~能力値(初期値/最大値)|
|~|~LV|>|>|>|80/80|
|~|~HP|>|>|>|100/100|
|~|~ATK|>|>|>|100/100|
|~|~COST|>|>|>|9|
|~|>|>|>|>|~詳細情報|
|~|~ILLUST|>|>|>|---|
|~|~解説|>|>|>|1492年8月3日、彼は旗船サンタマリア号、ピンタ&br;号、そしてニーニャ号の三隻でパロス港を発った。&br;&br;「なんとか揃って海を渡れたはいいが、エスパニョー&br; ラって名付けた島の沖でケツのデカいマリア様が座礁し&br; ちまってよ。しかもそんとき、ピンタ号は船長のピンソ&br; ンが勝手に船を動かしてどっか行っちまいやがってた。&br; 抜け駆けして金鉱を探したかったのか何なのか知らねぇ&br; がな」&br;&br;「で、仕方ねえからそれ以降、俺はずっとニーニャに&br; 乗ってたってわけだ。スペインに帰るときもな。つまり&br; まあ、最初の航海の半分ぐらいはコイツを動かしてたっ&br; て事になるか……」&br;&br;「あん、いい船と悪い船の見分け方?」&br;「外見も大きさも、どんだけ金がかかってるのかも関係&br; ねぇ。ただ、無事に目的地に辿り着けるのが最高の船、&br; そうじゃねぇのがゴミ船だ。決まってんだろ?」|
|~保有スキル|~限界突破|>|>|>|~効果|
|CENTER:|LEFT:65||||LEFT:|c
|ニーニャ号|×4|>|>|>|[[レジスタンスのライダー(ライダー)>レジスタンスのライダー]]装備時のみ、自身がフィールドにいる間、味方全体のBusterカード性能を10%アップ&NP獲得量を10%アップ|
&br;
**各レベル毎のステータス [#z518a72b]
#region(+クリックで展開)
|CENTER:60|CENTER:80|CENTER:80||CENTER:60|CENTER:80|CENTER:80|c
|~レベル|~HP|~ATK||~レベル|~HP|~ATK|
|1|--|--||50|--|--|
|10|--|--||60|--|--|
|20|--|--||70|--|--|
|30|--|--||80|100|100|
|40|--|--||>|>||
#endregion
&br;
*ゲームにおいて [#s2ec4b25]
-☆4概念礼装。
[[レジスタンスのライダー]]の絆レベルを10にすることで入手できる。
-効果はレジスタンスのライダーがフィールドにいる間、味方全体のBusterカード性能とNP獲得量を10%アップさせる。
[[レジスタンスのライダー]]装備時にのみ発揮され、他のサーヴァントに装備させても効果は現れない。
&br;
*小ネタ [#t649c707]
#region(+クリックで展開 ※ネタバレ注意)
-カードイラストはクリストファー・コロンブスが「新大陸」への航海を行った際に率いた船団の中の一隻「ニーニャ号」。
-礼装のテキストにある通り、旗艦の「サンタ・マリア号」は探検途中のエスパニョーラ島で座礁し解体したため、コロンブスはスペインへの帰還はニーニャ号で行ったという。
--決して大型高性能ではないのニーニャ号はコロンブスによる新大陸への2度目(1493年)と3度目(1498年)の航海にも参加して、無事にスペインに帰還した。ハリケーンに遭遇した船団の中でただ1隻が生き残った逸話を持ち、高い生存力を誇るの船であった。
-「ニーニャ」とはスペイン語で「幼女」の意。
元は別の名前であったが、船の持ち主が「ニーニョ」という人物であったことから''コロンブスがダジャレで改名した''と言われている。
-テキストで触れられているピンタ号の船長「ピンソン」の本名は「マルティン・アロンソ・ピンソン」。
コロンブスの新航路探索の旅が女王イサベル一世により一応の大義名分を与えられたが、この当てもない命がけの船旅、更にはスペインではよそ者のイタリア人コロンブスに同行してくれる船員が集まるわけもなく、已む無く囚人を船員にするかと思いつめていたところに彼が一枚噛んだ。
ピンソンは海の男らの間でも人望ある男であり、彼の名声であっというまに船員が集まった。だいたい人員については彼の功績といえる。
テキスト内にある通りコロンブス達から勝手に離脱したが後に再度合流。ピンタ号はニーニャ号と共にスペインへしっかりと帰還している。
船長のピンソンはコロンブスとはあまり仲良くなかった模様であり航海中も度々独断行動をしていた。また帰国時にはコロンブスより先にスペインへついて功績を独占しようと目論んだという。帰国後はコロンブスとの間に訴訟が発生するが間も無く梅毒によって死亡したという。
--なお「ニーニャ号」の船長は「ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン」という人物で、「ピンタ号」の船長の弟にあたる。ちなみに「ピンタ」とはスペイン語で「ほくろ」を意味する言葉。
--船乗りとしてはあらゆる意味でコロンブスより上であり、彼の航海はピンソン兄弟の技術と人望に大いに助けられた。一方でコロンブスの名声によって、今日ピンソン兄弟の業績は塗りつぶされてしまっている。
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&br;
*この礼装についてのコメント [#comment]
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#pcomment(./コメント,reply,15)