人物紹介
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- 新選組初代筆頭局長・芹沢鴨。
神道無念流の免許皆伝を修めた剣客。新選組以前の動向は明らかではないが、桓武平氏の末裔と称する水戸藩の豪族であり過激派尊皇攘夷団体「水戸天狗党」に参加していたとされる。
後に水戸の同志と共に浪士組に参加して上洛し、壬生浪士組(後の新選組)を結成。多摩試衛館の近藤勇、同郷の新見錦の三人と共に局長に就任し、その筆頭となる(後に新見は不祥事の責を取り副長降格)。
- 芹沢時代の新選組は近藤勇ら試衛館関係者ら試衛館派と芹沢ら水戸派の二大派閥体制となっていた。
- 「水戸天狗党の一員」という勇名や家柄の良さから一廉の人物として名を知られていた模様で、近藤や芹沢らが参加した浪士組では提唱者の清河八郎も芹沢には一目置いており、周囲からは「先生」と呼ばれていた。
- なお、先述の浪士組時代、上洛途中の本庄にて宿舎係の近藤がよりにもよって芹沢の宿を取り忘れるという不始末を犯し、それに激怒した芹沢は野宿すると称して宿場町の通りのど真ん中に大かがり火をたき、止めようとする宿場役人たちを鉄扇で打ち据えるという暴挙に出る。
最終的には近藤が浪士組幹部と共に平身低頭詫びを入れて芹沢は矛を収めたという。
- 色白で恰幅の良い立派な見た目をした豪放磊落で親分肌な人物であるが、無類の酒好きかつ酒乱の気があり、酒を飲んでは水戸派の仲間と共に乱暴狼藉を働くことが多々あった。
大阪力士との乱闘騒ぎや、商家への押し借りや資金借用を断った商家への焼き討ち、市民への暴行などの芹沢らの行動は新選組を預かっていた会津藩からも問題視され、隊内での政治的対立があった近藤ら試衛館派によって水戸派粛清が決行される。
まず副長の新見錦が局中法度違反により切腹に追い込まれ、次いで文久三年9月16日の夜、馴染みの芸者や水戸派幹部らと共に泥酔して帰ってきたところ、複数人に闇討ちされて死亡。
下手人は諸説あるが、土方歳三、沖田総司、山南敬助らが芹沢暗殺を実行したとされている。
- 『壬生浪士始末記』には、沖田総司と土方歳三の二人がかりで襲われ、泥酔状態ながらも脇差で応戦して沖田の顔に傷を負わせた旨の記述がある。
- 一説によると芹沢は梅毒に罹っており、病の恐怖を誤魔化すために過度な飲酒をしていたとも。
- 問題視された芹沢の商家への押し入りも、隊士の鼻紙や煙草銭を工面するにも喘ぐ資金難を抱えていた新選組にとっては、芹沢が恐喝同然で掻き集めてきた金銭は大きな軍資金となっていたという。
- 「尽忠報国之士芹沢鴨」と刻まれた鉄扇を愛用しており、『新選組始末記』では八月十八日の政変に伴う御所警備に壬生浪士組が出動した折、壬生浪士組を知らない会津藩兵が槍を携えて押し問答になった際は笑いながら鉄扇で切っ先を払ったという剛胆な話が記されている。
- FGOの立ち絵でも持ってる鉄扇に文字が刻まれている。
- 酒癖のみならず女癖も極めて悪く、自分に靡かない芸妓に腹を立てて置屋で暴れて断髪させる、公家の姉小路公知の愛妾に手を出す、呉服商の妾であるお梅という女性を壬生に連れ込み自分の愛人にするなどといった話がある。
- なお、先述のお梅は暗殺の夜に芹沢と一緒にいたため、巻き込まれて斬殺されている。
- 乱暴な人物であったが、新選組が屯所として使用していた八木邸の子供達と遊んだり絵を描いてやったりする一面もあった。
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