人物紹介 
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- 新選組初代筆頭局長・芹沢鴨。
神道無念流の免許皆伝を修めた剣客。新選組以前の動向は明らかではないが、桓武平氏の末裔と称する水戸藩の豪族であり過激派尊皇攘夷団体「水戸天狗党」に参加し、三百人の部下を率いる旗頭に就いていたとされる。
後に水戸の同志と共に浪士組に参加して上洛し、壬生浪士組(後の新選組)を結成。多摩試衛館の近藤勇、同郷の新見錦の三人と共に局長に就任し、その筆頭となる(後に新見は不祥事の責を取り副長降格)。
- 芹沢時代の新選組は近藤勇ら試衛館関係者ら試衛館派と芹沢ら水戸派の二大派閥体制となっていた。
- 「水戸天狗党の一員」という勇名や家柄の良さから一廉の人物として名を知られていた模様で、近藤や芹沢らが参加した浪士組では提唱者の清河八郎も芹沢には一目置いており、周囲からは「先生」と呼ばれていた。
- 天狗党時代に部下と諍いを起こして三人を斬り殺した罪で死罪(後に恩赦)となり入牢していた時期がある。
その際、死を覚悟した芹沢は絶食した上に、指を噛み切ってその血で辞世の句をしたためて牢格子に貼り付けるという芹沢の粗暴かつ肝の据わった人柄が見える逸話が存在している。
- なお、先述の浪士組時代、上洛途中の本庄にて宿舎係の近藤がよりにもよって芹沢の宿を取り忘れるという不始末を犯し、それに激怒した芹沢は野宿すると称して宿場町の通りのど真ん中に大かがり火をたき、止めようとする宿場役人たちを鉄扇で打ち据えるという暴挙に出る。
最終的には近藤が浪士組幹部と共に平身低頭詫びを入れて芹沢は矛を収めたという。
- 色白で恰幅の良い立派な見た目をした豪放磊落で親分肌な人物であるが、無類の酒好きかつ酒乱の気があり、酒を飲んでは水戸派の仲間と共に乱暴狼藉を働くことが多々あった。
大阪力士との乱闘騒ぎや、商家への押し借りや資金借用を断った商家への焼き討ち、市民への暴行などの芹沢らの行動は新選組を預かっていた会津藩からも問題視され、隊内での政治的対立があった近藤ら試衛館派によって水戸派粛清が決行される。
まず副長の新見錦が局中法度違反により切腹に追い込まれ、次いで文久三年9月16日の夜、馴染みの芸者や水戸派幹部らと共に泥酔して帰ってきたところ、複数人に闇討ちされて死亡。
下手人は諸説あるが、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田左之助らが芹沢暗殺を実行したとされている。
水戸派幹部の平山五郎は芹沢と共に討ち死、平間重助は闇討ちから辛くも逃亡し、以降消息不明(最終的には岩手で養蚕業を営み明治23年まで生きたとも)。野口健司は偶然にも難を逃れ、芹沢の死後も隊に残留するが芹沢暗殺の三ヶ月後に突如切腹を申し付けられて死亡。これにより水戸派は瓦解し、試衛館派による隊の運営が始まることになる。
- 『壬生浪士始末記』には、沖田総司と土方歳三の二人がかりで襲われ、泥酔状態ながらも脇差で応戦して沖田の顔に傷を負わせた旨の記述がある。
- 一説によると芹沢は梅毒に罹っており、病の恐怖を誤魔化すために過度な飲酒をしていたとも。
- 問題視された芹沢の商家への押し入りも、隊士の鼻紙や煙草銭を工面するにも喘ぐ資金難を抱えていた新選組にとっては、芹沢が恐喝同然で掻き集めてきた金銭は大きな軍資金となっていたという。
- 商家への強請りのみならず、水戸藩士の兄から金銭的な援助を受けていたことから金回りは良かったようで、新選組が屯所として使用していた八木家の人からは「太っ腹」と評されていた。
- 一般的によく知られる浅葱色のだんだら羽織という新選組の隊服は芹沢が導入したという説もある。
- 「尽忠報国之士芹沢鴨」と刻まれた鉄扇を愛用しており、『新選組始末記』では八月十八日の政変に伴う御所警備に壬生浪士組が出動した折、壬生浪士組を知らない会津藩兵が槍を携えて押し問答になった際は笑いながら鉄扇で切っ先を払ったという剛胆な話が記されている。
- FGOの立ち絵でも持ってる鉄扇に文字が刻まれている。
- 酒癖のみならず女癖も極めて悪く、自分に靡かない芸妓に腹を立てて置屋で暴れて断髪させる、公家の姉小路公知の愛妾に手を出す、呉服商菱屋の妾であるお梅という女性を壬生に連れ込み自分の愛人にする、女性を巡って隊士の佐々木愛次郎や佐伯又三郎を殺害する(両者は長州藩のスパイ説もある)などといった話がある。
- なお、先述のお梅は最初は芹沢に手込めにされることを嫌がっていたが、時間を経ると自分から芹沢の元に通うになったという。
また、暗殺の夜に芹沢と一緒にいたため巻き込まれて斬殺されている。
- 乱暴な人物であったが、八木家の子供達と遊んだり絵を描いてやったりする一面もあった。
- 当時新選組が世話になっていた八木家の娘が夭折した際には、芹沢は近藤と帳場に立って進んで葬儀を手伝ったり、八木家から借りた火鉢を返す際に火鉢に刀傷がついていることを問い質されると「俺だ、俺だ」と頭を掻いておどけて逃げたというエピソードもある。
このあたりの話を見ると根っからの悪人ではなかったようである。案外新選組内での派閥争いという話を取っ払えば近藤らと仲が良かったのかもしれない。
- 「鴨」という変わった名前の由来は不明。
上洛以前に芹沢が活動していた水戸の玉造には「鴨宮」という地名があり、それにあやかったのではないかという説もある。
- 立ち絵で身に付けている如何にも邪馬台国な勾玉の首飾りは、作中での回想シーンを見るに生前から身に付けていた模様。
一応、多くの神官も参加している尊皇攘夷活動を行っていた芹沢が神道的な装身具を身に付けていてもおかしくはないかもしれない。
鹿島神宮を詣でた際に、拝殿の太鼓が大きすぎて目障りだと言う理由で愛用の鉄扇で叩き破る罰当たりなことをしているが。
- ちなみに芹沢縁の地と伝わる玉造は、(諸説あるものの)古代に勾玉を作っていた「玉造部」が置かれていたことが名の由来とされている。そのため、芹沢と勾玉は一応関係があるとは言える。
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