人物紹介 
ゲームにおいて 
小ネタ 
+
| | +クリックで展開
|
- 松平信綱。官職伊豆守の入った「松平伊豆守信綱」の呼称も。
江戸初期の政治家。江戸幕府の三代将軍・徳川家光、四代将軍・家綱の二代にわたり仕える。
家光時代は柳生但馬守宗矩、春日局と合わせ、将軍家を支える重要な3人という意味で「鼎の脚」と称された重臣。
老中として行政に力を示し、幕府諸法の制定や幕藩体制・鎖国政策ら江戸幕府の基盤確立に貢献する。
- 生まれは1596年。
同じ「鼎の脚」として名前が挙がる柳生宗矩は1571年生まれ、春日局は1579年生まれと他2人より20年ほど若年。
- 知恵者として名高く、伊豆守という官名と「知恵が出ずる」ことを掛けた「知恵伊豆」というあだ名を持っている。
同時代の人間からは「伊豆守のような者が一人いれば心配は無用」「伊豆守と知恵比べはしてはならない。その知恵は人間のものではない」と評されている。
- 一方で生真面目な堅物であり、茶の湯や舞などの娯楽を好まず、下戸なので酒も飲まないこともあって人付き合いが苦手だったらしく、「才あれど徳なし(才能はあるが、人望が無い)」と評されていた。
なお、同じ時期の徳川重臣は人の屋敷に押し掛けて舞を披露していた。
- ちなみに、余暇は親しい者を集めて政治談義を行うことを好んでいたという。
- 島原の乱にあたり当初の総大将・板倉重昌の戦死に伴い幕府軍の総大将に就任、兵糧攻めを以て反乱軍を鎮圧、天草四郎の首実検を行い晒し首に処した。
また、家光没後に発生した由井正雪の乱の鎮圧にもあたっている。
- 島原の乱の幕府側関係者であることから、天草四郎や柳生宗矩のマテリアルにて名前が先行して登場していた。
- 島原の乱鎮圧の功績により川越藩主となり、同地にて街道・河川の整備や農業振興により政治手腕を振るっている。
また、明暦の大火(振袖火事)に際しては諸大名との対応や経済政策面から被害復旧に尽力している。
- 明暦の大火に際しては大奥女中の避難誘導を行っており、犠牲者を出さずに完遂している。
- 清和源氏の家系で、遡ると源頼光に辿り着く。
|