四奸六賊 の変更点

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*人物紹介 [#q8932841]
|BGCOLOR(white):&attachref(./rokuzoku.png,nolink,四奸六賊,430x250);|
*ゲームにおいて [#xaf848f1]
-イベント「[[108人のハロウィン・リベリオン! ~小竜娘水滸演義~]]」の登場人物。
宋朝の悪臣八人の群体。
-戦闘時のクラスはバーサーカー。
#region(性能)
骨格が金色になり、炎が紫になった呪毒蟲のグラフィック
-行動パターン
--ゲージ5、3回行動・通常、クリティカル共に単体攻撃。
ブレイクゲージは3つあるが、1回ブレイクだけで戦闘終了
-特性
--地属性、竜、猛獣、魔性、''死霊''
-《''スキル''》
--「''我欲鳴音''」
敵全体に確率でスタン状態付与(1T)&毒状態を付与(-100・3T)
--「''毒の美酒に酔うがいい……!''」
バトル開始時に発動。NPC専用サポート[[呼延灼]]、固定編成[[九紋竜エリザ]]、NPC専用サポート[[秦良玉]]、NPC専用サポート[[アビゲイル・ウィリアムズ]]、NPC専用サポート[[ナーサリー・ライム]]、子供のサーヴァント特性持ち以外の敵全体にスタン状態を付与(1T)&毒状態を付与(''-10''・5T)×5
--「''&size(25){待って!?};''」
1回目ブレイク後のチャージ攻撃後に発動。''HPが1になり、戦闘終了。''
-《''チャージ攻撃''》
--『''服従の針''』
敵単体に''微弱''攻撃&確率でスタン状態を付与(1T)&毒状態を付与(-100・3T)
-《''ブレイク時行動''》
--『''ふふふふ……汝らも喰らい尽くしてやろう!''』(1回目)
自身の弱体状態を解除&チャージMAX&無敵貫通状態を付与(永続・解除不可)+敵全体の防御強化状態を解除
#endregion
*小ネタ [#z100c7e5]
#region(+クリックで展開)
-宋の徽宗・欽宗時代における悪臣たち。
「四奸」は『水滸伝』における四人、六賊は史書における六人の悪臣の総称。
「四奸」は&ruby(こうきゅう){高俅};、&ruby(さいけい){蔡京};、&ruby(どうかん){童貫};、&ruby(ようせん){楊戩};の四人。
「六賊」は前記の蔡京と童貫に加えて、&ruby(りげん){李彦};、&ruby(しゅめん){朱勔};、&ruby(おうほ){王黼};、&ruby(りょうしせい){梁師成};の六人。
--「四奸」は創作物である『水滸伝』内で用いられている呼称だが、メンバーは全員史実の人物である。
--一口に「四奸」「六賊」と言っても、例えば蔡京が弾圧していた蘇軾の一族を高俅や梁師成が支援・擁護する、朱勔が王黼や梁師成と対立するなど、一枚岩の集団という訳ではない。

-『水滸伝』においての四奸は梁山泊が壊滅してもなお健在のまま物語が終わる。
史実において六賊は、北方異民族の国家「金」による軍事圧迫により宋が困窮した際に糾弾が行われ、李彦は死を賜り自害、他の五人は流罪となる。その後、老齢で流罪の途中に没した蔡京以外の残り四人は配流後に死亡する。

-「六賊」の由来は太学生(官吏養成機関の所属者)・陳東の糾弾文に由来する。糾弾文を大まかに意訳すると「今の苦しい状況は、表では蔡京が国政を乱し、裏では梁師成が陰謀を巡らせ、西北では李彦、東南では朱勔が恨みを買い、王黼と童貫が遼や金の恨みを買って戦いを引き起こしたことから始まっています。故に、この六賊を粛清し、首を四方に晒して天下に謝罪すべきです」というもの。
--この陳東の六賊糾弾文書が提出されたのは宣和七年(1125年)10月27日。日付的にはハロウィンシーズン。

-「四奸六賊」というが、二人被ってるため合計八人。そのため立ち絵も顔が八つ。

-表記は「四姦六賊」と1文字異なっているが、名前としては[[亜種特異点Ⅰ]]の中盤[[新宿のアサシン]]と決戦時彼が毎ターン使用するランダムスキルの中で、1ターン彼自身への攻撃デバフスキルとして登場していた。

-以下、それぞれの人物についての概要。
#region(+クリックで展開)
-高俅
--四奸の筆頭にあげられる『水滸伝』における最大の悪役。
元々は遊侠の徒・やくざ者であり、蹴鞠の名人。
その蹴鞠の力量が、皇族・趙佶に気に入られて召し抱えられ、趙佶が皇帝・徽宗として即位するに当たって栄達し、最終的には軍事担当の最高職・太尉に任じられる。
--太尉に任じられると、軍権を掌握した童貫と組んで軍事費を着服、私的流用していた。
蔡京らより早く病没するが、死後に処罰され一族の財産は没収された。
なお、陳東の六賊の糾弾文書が作成された際は存命中だが高俅の名前は見られず、史書においても蔡京や童貫よりも悪臣としての記述は少ない。また、かつての恩人の蘇軾の一族が蔡京の弾圧により苦境に陥った時は、生涯にわたって支援を惜しまなかったエピソードもあり、史実の高俅は良くも悪くも任侠気質の人物だった模様。
史料が散逸したため、悪行の記録が残らなかったという説もある
--『水滸伝』では、やくざ者時代に処罰をした官僚への復讐や、一族の狼藉により複数の好漢が梁山泊に属する原因となる。
宋朝高官として度々梁山泊の敵として立ちはだかり、梁山泊が招安を受けて官軍となって以降も、重用されないよう暗躍。方臘の反乱を梁山泊が鎮圧した後、宋江らを毒殺する。
---なお、『水滸伝』では元々は高二という名前で、蹴鞠の名人であることから「高毬」と称され、高官となった際に「高俅」に改めるという設定であるが、史実では最初から高俅という名前である。

-蔡京
--最高権力者の宰相であり、六賊の筆頭にあげられる。四奸の一人でもある。
優れた文化人であり、絵画や詩文に優れた技量を持つ。特に書道については蘇軾らと共に「四絶」として賞賛されていた。
その文化的素養のためか、風流天子と謳われた徽宗の信任を得て16年に渡り宰相の地位に就く。
自身の地位を利用して、政敵達の追放や一族の拘禁、子孫の科挙受験資格剥奪と言った弾圧を行い、また、徽宗や自らの芸術活動のために、巨大な石木を遠方から取り寄せる運搬事業(花石綱)に巨額の公費を投入し、それを賄うために増税や汚職を行っていた。
--行政官としては非常に有能であったが、宋の朝廷が新法派と旧法派で争う中、権力を持った派閥に鞍替えを続けていた為、人望はなく、度々罷免や権力剥奪を受けていた。だが、その度に返り咲いている高い政治力を持つ。
後、老齢のために実権を長男の蔡攸に譲るが、六賊として糾弾されて流刑先へ向かう途中に死去。蔡京が処刑されずに死んだことを民衆は悔しがったという。
息子の蔡攸を初めとする一族は誅殺された。

-童貫
--蔡京と共に四奸・六賊双方に名を連ねる宦官。
骨董の目利きに優れたため文化人の蔡京と仲が良く、また、徽宗に気に入られる。
兵法に優れたために軍事に干渉し、軍権を掌握する。
軍人としては北方の西夏との対応を担当する他、賊徒・方臘の反乱鎮圧を成功させるも、数十万の江南の民を犠牲にした。
しかし、北遼との戦いで幾度も大敗を喫し、更に北遼対策で結んでいた金が攻めてくると兵士達を置き去りにして敵前逃亡を行う。
また、高俅と共に軍事費の私的流用も行っており、不正横行による軍の弱体化や数々の軍事的失策により六賊として糾弾され、流罪に処された後、斬首される。
--宦官でありながら筋骨隆々で、髭も生え、妻帯までしていたという記録が残っている怪人。
軍権を持つ宦官は北魏の王琚や前秦の張蚝など以前から居り、童貫のみの特殊事例ではない。
他国では東ゴート王国を征服した東ローマのナルセスや、北宋との戦いで活躍した大越の李常傑が居る。

-楊戩
--宦官。四奸の一。
節度使として各地を巡回しながら収賄を行い私腹を肥やす他、所有者がはっきりしない土地を公有地とする「索民田契」という政策を献策し、それを実行するために「西城所」という組織を作る。
しかし、楊戩の「索民田契」は土地の再測量を実施する際に、所有者側に不利な基準で行い、多くの土地を国有地として没収したり、重税をかけたりした。
また、その徴税も苛斂を極め、干ばつや不作でもお構いなく多額の徴税を実施した。
他、漁民に対しても増税を実施している。
楊戩の政策により宋の歳入は一時的に改善するが、多くの民に恨まれることになる他、その権限を濫用した土地の売買で私財を蓄えた。
--楊戩の政策により梁山泊近くの湖水にも重税が課せられることになり、それが史実における宋江の乱に繋がったとも言われている。
後、金が宋を攻める前に病没。陳東が六賊糾弾文書を提出した時期には既に死去していた。
--『水滸伝』では元宵節に李逵ら梁山泊の面々による騒動に巻き込まれたため梁山泊を怨み、高俅に宋江らを毒殺する策を提案する。
---『封神演義』において[[太公望]]の配下に同名の人物が居るが関係は無い。

-李彦
--宦官。六賊の一。
楊戩の死後に西城所を掌握して膨大な土地を手中に収め、私腹を肥やし、農民を苦しめた。
他の六賊より早く賜死される。

-朱勔
--大臣。六賊の一。
蔡京お気に入りの庭師の息子で、優れた造園技術を持っていたことから「花園子」と称され、蔡京に推挙されて高職に就く。
--徽宗が造園に使う珍しい石や花木を各地から蒐集する花石綱事業に携わるが、珍品の強制徴発や首都への輸送における民衆徴発、運送時に邪魔な民家の破壊などを行い、主に江南地方の民衆から恨みを買う。また、朱勔の一族も権力を得て、勝手な振る舞いをしていた。その結果、方臘の乱を初めとする「朱勔誅殺」をスローガンとする民衆蜂起が発生することとなった。
後、流罪に処され、死を賜る。

-王黼
--蔡京の部下で六賊の一。
弁舌に優れた美男子で、蔡京失脚時にはその復帰に尽力。蔡京引退後は宰相となる。
また、徽宗の勅命により作成された古器物図録『宣和博古図』の編纂者の一人でもある。
--部下として六賊筆頭の蔡京を補佐する他、官職売買や公金横領などの汚職を行い、私腹を肥やすことに励んでいたという。
六賊として糾弾され、流罪に処された後に斬首される。

-梁師成
--宦官。六賊の一。自称「蘇軾の庶子」。
--学識に優れ、芸術を愛好し、特に水墨画を能くしていた。徽宗のお気に入りの宦官として権勢を持ち、「隠相」(影の宰相)と呼ばれていた。
王黼とは家が隣同士で仲が良かったという。
--「蘇軾の庶子」という自称は蘇軾一族も否定しておらず、また、蔡京が蘇軾一族を弾圧した際は、徽宗に泣きながら一族の不遇を訴えて弾圧を緩和させたほか、金銭援助も行っていた模様。
六賊として糾弾された後、吊死。
#endregion

-「[[サーヴァント・サマー・フェスティバル2023!]]」のサークル「ヨロシク梁山泊」の[[1冊目>アルトリア梁山泊]]シナリオで腹黒可愛いキャラの描写に迷う呼延灼に「気に入った女を手に入れる為に夫に無実の罪を着せる」様に助言するが断られて成仏した。
[[2冊目>ときめきアイアンウィップ]]シナリオでは誹謗中傷を恐れる呼延灼の前に再び現れ、元凶を討つよう助言した。
--「気に入った女を手に入れる為に夫に無実の罪を着せる」発言の元ネタは『水滸伝』において高俅の養子が禁軍師範・林冲の妻に横恋慕した際に、高俅が林冲を無実の罪で流罪に処して、梁山泊入山の切っ掛けを作った事と思われる。
--誹謗中傷が怖いなら元凶を断て言う助言も、蔡京らが政敵や批判者に対して弾圧を行っていたことを鑑みると、こちらも実体験に基づいたものに思しいというブラック要素。
--「誹謗中傷が怖いなら元凶を断て」という助言も、蔡京らが政敵や批判者に対して弾圧を行っていたことを鑑みると、こちらも実体験に基づいたものに思しいというブラック要素。

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