コードロン・シムーン の変更点

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*ステータス [#n434573a]
|~SR|>|>|>|>|~No.1221|
|&attachref(./コードロン・シムーン.jpg,nolink,???,234x400);|>|>|>|>|~能力値(初期値/最大値)|
|~|~LV|>|>|>|80/80|
|~|~HP|>|>|>|100/100|
|~|~ATK|>|>|>|100/100|
|~|~COST|>|>|>|9|
|~|>|>|>|>|~詳細情報|
|~|~ILLUST|>|>|>|---|
|~|~解説|>|>|>|Caudron C.630 Simoun.&br;登録名“F-ANRY”&br;作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの搭乗機。&br;その精巧な木製模型。宇津見エリセが父の形見として&br;保管していたもの。&br;&br;テグジュペリは本機でパリ・サイゴン間の航空レースに&br;挑戦しリビア砂漠に墜落不時着した。その遭難時の体験&br;から小説『星の王子さま』の着想を得たと云われる。&br;根っからの飛行機好きであったテグジュペリは、&br;墜落後も借金を負ってまで、また新たな機体を購入した。&br;そんなふうに生涯に幾度も墜落や事故を経験した彼は、&br;23歳では事故が原因となり婚約を破棄されている。&br;35歳では砂漠に墜落し遊牧民ベドウィンに救助される&br;まで1日分の水で4日間を生き抜いた。&br;そして44歳では軍の偵察任務として非武装の機体で&br;出撃するものの撃墜され、遂に帰らぬ人となった。&br;既に著名な小説家でありながら、&br;ひたすらに空を求めた、愛すべき飛行士だった。&br;&br;「……まあ、そういう逸話もあるってこと。&br; 墜落した飛行機の模型なんてかっこ悪いけどさ、&br; 私は結構気に入っているんだ」|
|~保有スキル|~限界突破|>|>|>|~効果|
|CENTER:|LEFT:65||||LEFT:|c
|コードロン・シムーン|×4|>|>|>|[[宇津見エリセ(ランサー)>宇津見エリセ]]装備時のみ、自身がフィールドにいる間、味方全体のQuickカード性能を10%アップ&Artsカード性能を10%アップ|
&br;
**各レベル毎のステータス [#z518a72b]
#region(+クリックで展開)
|~Lv|~HP|~ATK|~ |~Lv|~HP|~ATK|h
|BGCOLOR(#f1f1f1):35|CENTER:70|CENTER:70||BGCOLOR(#f1f1f1):35|CENTER:70|CENTER:70|c
|~1|--|--||~50|--|--|
|~10|--|--||~60|--|--|
|~20|--|--||~70|--|--|
|~30|--|--||~80|100|100|
|~40|--|--||>|>||

#endregion
&br;
*ゲームにおいて [#s2ec4b25]
-☆4概念礼装。
[[宇津見エリセ]]の絆レベルを10にすることで入手できる。
-効果は自身がフィールドにいる間、味方全体のQuick性能とArts性能を10%ずつアップ。
宇津見エリセ装備時のみ効果が発揮される。
&br;
*小ネタ [#t649c707]
#region(+クリックで展開)
-イラストは「コードロン C.630 シムーン」。
『Requiem』ではエリセ宅に模型が置いてあるとの描写があり、本礼装のイラストになっている。
また、1巻表紙でボイジャーが手に持っている他、概念礼装「[[見上げた空の星に]]」でも飛んでいる。
-コードロン シムーンは1930年代にフランスのコードロン社が開発した四座単葉機で、郵便機もしくはツーリング機として使用された。当時のコードロン社は%%カルロス・ゴーン%%自動車で有名なルノー社の傘下にあったので、本機のエンジンはルノー製である。
航続距離は1500 kmとされているが、貨物を最低限に減らせば2倍以上の3100 kmを飛行できるなど長距離飛行記録を残しており、飛行家のマルセル・ドレーはパリ→東京間の飛行を果たしている(ただし悪天候のため不時着した)。
--C.630は派生型を示す符号で、これは試験機であるC.500、C.520、C.620を経て最初に量産されたシムーンの機種である。C.630型は20機製造されそのうちの1機が本礼装に描かれているサン=テグジュペリのF-ANRY号となった。
--&ruby(シムーン){simoun};はフランス語で「地中海東部で吹く、暑く乾いた風」を意味する。

-サン=テグジュペリは懸賞飛行でF-ANRY号を操縦していた1935年12月30日に事故に見舞われ、リビア砂漠に不時着した。この時の経験が『星の王子さま』の執筆につながった。
--箱根にある「箱根★サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム」で類似のC.635型の模型が展示されている。
--ちなみにF-ANRYの由来は''AN''toine de Saint-Exupé''RY''の名前から最初と最後の2文字を抜き出したものである。
--F-ANRYのマーキングは礼装でも機体左側と主翼下に見て取れる。実際には機体右側と主翼上にも同様にマーキングされている。

#region(+さらなる小ネタ(長いので注意!))
-航空機というとアメリカとロシアが2トップを成すというイメージが強く、フランスの飛行機と言われるとピンとこないマスターも多いかもしれない。しかし何を隠そう、フランスはかつて世界の航空産業の最先端を牽引した国だったのである。
-ライト兄弟が初めて動力飛行機による飛行を行ったのは1903年のことである。それ以降ライト兄弟の機体をもとに改良・研究が進むが、その中心地こそがフランスだったのである。
--ライト兄弟の初飛行から2年後の1906年、ブラジル人の発明家サントス・デュモンはフランスで開発を続け、ヨーロッパで初めての動力飛行機による飛行を成功させた。アメリカからの情報がよく伝わっていなかったこともあり、初めて飛行機を飛ばしたのはライト兄弟ではなくデュモンだと信じられていた時期があったほどだった。
-航空機というとアメリカとロシアが2トップを成すというイメージが強く、フランスの飛行機と言われるとピンとこないマスターも多いかもしれない。しかし何を隠そう、フランスはかつて世界の航空産業の最先端を牽引した飛行機大国だったのである。
-ライト兄弟が初めて動力飛行機による飛行を行ったのは1903年のことである。それ以降ライト兄弟の機体をもとに改良・研究が進むが、その中心地こそがフランスだった。
--ライト兄弟の初飛行から3年後の1906年、ブラジル人の発明家サントス・デュモンはフランスで開発を続け、ヨーロッパで初めての動力飛行機による飛行を成功させた。アメリカからの情報がよく伝わっていなかったこともあり、初めて飛行機を飛ばしたのはライト兄弟ではなくデュモンだと信じられていた時期があったほどだった。
--1909年にはフランス製の単葉機ブレリオⅪが飛行機として初めてドーバー海峡を渡った。さらにこのブレリオⅪは、「操縦桿と足元のペダルで機体を操る」という現在まで続く操縦方法を確立した画期的な機体でもあった。
同年にはやはりフランスでアンリ・ファルマンⅢが世界で初めて2名の乗客を乗せて飛行を成功させた。この機体は日本で初めて飛んだ動力飛行機でもある(操縦士は德川好敏大尉)。
--1912年にはドペルデュサン・モノコック・レーサーが209km/hという当時としては破格の高速を叩き出し、史上初めて200km/hの大台を超えた。
このように、フランスは紛れもなく初期航空産業の最先端を走る国だった。
-1914年に第一次世界大戦が勃発すると飛行機が戦争に投入され、戦闘機という新たな領域が生まれた。それに伴いフランス国外でも航空機開発は大いに刺激され、フォッカーやソッピースといったライバルの登場をもたらした(この2社はそれぞれドイツとイギリスでの後の航空機メーカーの源流となった)が、それでもフランスではスパッドやニューポールで優秀な機体が開発された。
-戦後はヨーロッパの荒廃と戦勝国アメリカの台頭により、アメリカから続々と優れた航空機が開発されたことで、フランスは徐々に影を薄めていった。とはいえ航空機の開発は依然として活発だった(シムーンが開発されたのもこの時期である)。
-だが第二次世界大戦の勃発とそれに続くナチスドイツによるフランス占領は、フランスの航空産業に致命的な打撃を与えることになった。フランスでの航空機開発はナチスにより禁じられ、そうでなくとも開戦時に抱えていた機体は母国の降伏によってほとんど実戦の場を与えられず、何らの教訓も得られなかった(開発はナチスに隠してこっそりと続けられていたものの、機体を組み上げて飛行させることができたのは結局戦後になってからのことだった)。
そうこうしている間にイギリスやアメリカ、ドイツ、ロシアでは強力な機体が続々と開発され、極めつけにはジェットエンジンが登場。フランスが占領から解放された頃には、1930年代末から時計が止まったままのフランスをよそにジェット機の時代が始まろうとしていたのである。
-こうして航空機開発の舞台はアメリカとロシアへ完全に移行した。とはいえフランスもイギリスからもらったジェットエンジンを使って国産のジェット機ウーラガンを1949年に飛行させており、地力は完全に失われてはいない。
-その後は国際競争に伴ってメーカーの合併が進み、EU結成による欧州一体化の流れもあって、フランスにおける民間向けの航空機開発は宇宙開発と合わせてエアバス社にほぼ一本化された。対して戦闘機の開発は前述のウーラガンを開発したダッソー社が一手に担っている。
--エアバスは旅客機のシェアをアメリカのボーイングと二分して激しい競争を繰り広げ、ダッソーは名機ミラージュをフランスだけでなく中小国向けに売り出して実績を上げている。
-このようにフランスは間違いなく航空機の開発において無視できない役割を果たしてきた国である。その歴史の中期に生まれたこのシムーンは決して有名とは言えない機体だが、間違いなくフランスの伝統を受け継ぎ、そして後世に伝えているのである。
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