人物紹介
セリフ
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「15人の理知的なメガネたち」ショップページ |
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待機 | 「やぁ、私はショップの店員…謎のお兄さんだ。なに、その内に真名も教えるよ…おいおいね」(第六節クリア前) |
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「この謎のかっこいい店員に何か用かな?…『アイテムを交換したい』?勿論良いとも」(第六節クリア前) | 「というわけで、私こそが皇帝コンスタンティノス11世だ。…今は、ただの皇帝店員だがね」(第六節クリア後) | 「皇帝である私が店員になるとは……フフフ、人生とは面白いものだ。正直に告白すると、一度やってみたかったんだ」(第六節クリア後) | 交換 | 「アイテム交換だね?それでは、こちらを」 |
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「では、受け取りたまえ。君には、その資格がある」 | 「よしよし、良いとも良いとも」 | イベント後 | 「我が店の落日なり!なんてな。まだ残っている物があるのかい?ではちょっと待ってくれ」 |
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「皇帝の戯れもこれにて終わりだな。欲を言えば次はもっとやわらかい言葉で応対したいものだ。アザザシター…みたいな」 |
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ゲームにおいて
小ネタ
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- イベント「15人の理知的なメガネたち」に登場したサーヴァント。
サーヴァントとしての能力を失っているため、無力な状態で真名を開示することを恥辱と捉えており、シナリオ終盤まで「マイケル」という仮名を名乗っている。
ただし、終盤では必要とみるや問われる前に自ら真名と能力を明かしており、プライドはあっても頑迷なタイプではないことがうかがえる。
イベントではショップ店員も務めているが、仰々しく皇帝を名乗ってみたりもするものの気さくな対応に終始していた。
- 真名・コンスタンティノス11世。
東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴス・ドラガセス。(1405年2月9日 - 1453年5月29日?)
- シナリオ内でのメッセージウィンドウでは「コンスタンティノス」と表記されている。
- 15世紀の人物で、一代前の皇帝ヨハネス8世パレオロゴスの弟。皇帝就任以前からその才覚を認められ、摂政として首都コンスタンティノープルの留守役や周辺諸勢力との外交・戦闘に従事していた。
兄ヨハネス8世の死後に帝位に就くが、オスマン帝国のスルタン(皇帝)メフメト2世の侵攻を受け戦いに敗北、コンスタンティノープルへの籠城を余儀なくされる。
- 宿敵のように語られることも多いオスマン帝国と東ローマ帝国だが、実はオスマン帝国の先々代スルタンであるメフメト1世が帝位に上る際には東ローマ帝国皇帝マヌエル2世(ヨハネスとコンスタンティノスの父)が大きな支援をしており、以後両国は同盟関係にあった。しかしながら、ヨハネス8世が即位後、領内で匿っていたメフメト1世の兄弟であるムスタファをオスマン帝国皇帝として担ぎ出そうとしたことから関係は一気に悪化。メフメト1世の息子であり時のオスマン皇帝ムラト2世は裏切りに激怒して同盟を破棄、軍を出撃させコンスタンティノープルを包囲するまでに至った。
- この時はオスマン帝国側に有利な和議と友好条約を結んだことで事態は決着し、オスマン軍は撤収。父の即位援助に恩義を感じていたとも言われるムラト2世はこの一件を除いて基本的に東ローマ帝国に対しては寛容な姿勢を貫いた。
- 当時、衰退著しい東ローマ帝国と勢力拡大中のオスマン帝国の国力は既に相当な差がついており、さらに東ローマ帝国はオスマン帝国に周囲を囲まれるような地理的状況に置かれていた。このような状態でなお東ローマを友好国として扱ったムラト2世の評判は高く、死去に際しては多くの東ローマ帝国民が悲しんだと伝えられる。
- ムラト2世の死後にメフメト2世が即位してからも両国間の友好関係は継続された。メフメト2世はさらに、それまで敵対していたハンガリーにも融和姿勢を見せるなど当初はかなり穏健な政策を取っていた。
ところが、このメフメト2世の外交政策を近隣諸国は弱腰と解釈。アナトリア半島のカラマン侯国が和議を破棄して侵攻したのを契機に、東ローマ帝国もコンスタンティノープルに亡命中だったオスマン帝国皇族の解放を示唆し、監視用として支払われていた身代金の増額を要求するなど圧力をかけた。度重なる背信行為は、メフメト2世に政策転換と東ローマ帝国攻撃を決断させるには十分なものだった。
- 1452年、メフメト2世はボスフォラス海峡を挟んだコンスタンティノープル対岸に要塞を建設。危険を察知したコンスタンティノスは西欧諸国に援軍を求める使者を送ったものの反応は鈍く、都市内に商業拠点を持つジェノヴァとヴェネツィアのみが援軍を派遣。これにより東ローマはどうにか軍勢7000人での籠城態勢を整えられたものの、翌年4月、東ローマ帝国首都コンスタンティノープルはメフメト2世率いるオスマン軍により攻囲される。その数は最精鋭のイェニチェリ2万人を中核にした合計10万にものぼる圧倒的な大軍団だった。
これだけの劣勢にも関わらずコンスタンティノープルの三重壁は非常に堅固であり兵の士気も高かった。さらに金角湾の入り口を強固な鎖で封鎖することでオスマン海軍による湾内侵入は阻まれ、数においては圧倒していたオスマン軍もなかなかこの城塞都市を攻略する糸口が掴めず攻囲は長期化の兆しを見せた。
しかし4月22日、メフメト2世は軍艦を陸揚げして陸上を牽引したのち湾内に突入させるという奇策で封鎖を突破。唯一の救援物資搬入路として機能していた金角湾が制圧されたことにより、コンスタンティノープルは完全包囲されてしまう。
- 敗北を覚悟したコンスタンティノスは「神は私が帝国なき皇帝として生きることを許されはしない。我が街が滅びる時、私も共に滅びるであろう。逃げたい者は皆逃げるが良い、だが死を恐れぬ覚悟がある者は私と共に来るが良い」と演説。メフメト2世からの「貴殿にペロポネソス半島を与え友人として遇するので降伏して撤退したまえ、さもなくば貴殿と貴殿の配下の貴族を含め城内の者は皆殺しにせねばならない」という降伏勧告も突っぱねて最後まで抗戦する意志を示した。
- 絶望的な状況下にあってなお西欧キリスト教圏からの援軍という一縷の望みに縋りつつ、一月もの間コンスタンティノスら東ローマ軍は籠城戦を戦い続けた。5月半ばには城壁の脆い箇所を発見し掘削したオスマン軍が城内に侵入する頻度も増えていたが、東ローマ側は火炎放射器なども駆使してこれらをことごとく跳ね返し、市内から敵を叩き出した。
だが5月29日朝、運命の日が訪れる。都市西方を守護するテオドシウス城壁に設置されていたケルコポルタと呼ばれる小さな通用門が開け放たれているのをオスマン軍が発見。籠城戦で消耗したことで鍵を閉めるのを部下がうっかり忘れていたとも、内通者がいたとも伝えられている。
50人ばかりのオスマン兵がそこから入り込み、城内の塔に旗を立てたことにより東ローマ兵は大混乱に陥った。三重壁はあえなく無力化され、侵入したオスマン軍本隊によりコンスタンティノープルは蹂躙された。
コンスタンティノスは皇帝としてのきらびやかな服を脱ぎ棄て親衛隊と共に敵中に特攻、東ローマ帝国は滅亡した。
メフメト2世は乱戦の末に討ち取ったコンスタンティノス11世のものとされる遺骸を晒し首にしたのち、王族として最上級の礼を以って葬った。だが、この遺体は高位の東ローマ帝国人であることは間違いないものの影武者とも言われており、コンスタンティノスの死は正式に確認されていない。
- このためキリスト教圏では「コンスタンティノスは最後の攻撃時に神によって大理石に変えられ、復活の日を待っている」「いつの日か復活したコンスタンティノスがコンスタンティノープルを異教徒の手から取り戻す」という伝説がまことしやかに語られることとなった。
- 東ローマ帝国を滅ぼしたメフメト2世は、こののちワラキア公ヴラド三世とも交戦している。
- メフメト2世はアニメ版『Fate/Apocrypha』の回想シーンに登場しており、頭にターバンを巻いた豊かな髭を持つ恰幅の良い男性というオーソドックスなイスラムの王族風の姿で描かれている。
他、『氷室の天地 ~7人の最強偉人篇~』ではアーチャーのサーヴァントとしても登場しているが、こちらでは『Fate/Apocrypha』での姿とは異なり、眼鏡を掛けた薔薇を手に持つキザっぽい細身の男性の姿をしている。
- 名実ともに最後のローマ皇帝であるコンスタンティノスが死亡したことで「ローマ」は滅亡したが、彼の血筋そのものはその後も続いた。
有名どころでは、弟であるトマスの娘(コンスタンティノスの姪にあたる)ゾーエ・パレオロギナはイヴァン雷帝に嫁ぎ子女を残している。
- サーヴァントとしてはコンスタンティノープルの三重防壁にちなむ防御型能力を持っているとのこと。奪われた状態であったため、自ら解放する機会には恵まれず名称などは未だ不明。
ケルコポルタの閉め忘れは反映されているのだろうか
- 第2部5章アトランティス第3節にて、バーソロミューがオリュンポスに辿り着くための3つの難関を、この三重防壁に例えている。
- 登場したイベントのラスボス「蟲毒の怪物」がこの能力を「防壁(劣化)」名義のパッシブスキルとして持っており、効果は「全ての攻撃に対する耐性を得る&防御力をアップ&被ダメージを減らす」という3種類の防御バフだが、1ターン後にその全てが機能しなくなるという、上記の逸話が再現された弱体化がなされる。
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