人物紹介 
セリフ 
+
| | CV:未発表(+クリックで展開)
|
CV | 未発表 |
---|
スキル使用 | 「キエエエエェェ!!」 |
---|
攻撃 | 「クアッ!!クァッ!!クアァァ!!!」 |
---|
「クアァァ!!」 | クリティカル | 「チェストオオオ!!」 |
---|
被ダメ | 「ヌゥアアアアア!!」 |
---|
「キエアァ!?」 | チャージ攻撃 | 「キエエエエエ!!チェエエエストォオオオオオッ!!」 |
---|
「フンヨッ!!キエエエエエ!!」 |
|
ゲームにおいて 
- イベント「昭和キ神計画 ぐだぐだ龍馬危機一髪! 消えたノッブヘッドの謎」に登場する敵専用サーヴァント。
戦闘時のクラスはアサシン。ボイスあり。クラスアイコンは金色。
+
| | 戦闘時の性能
|
- 3回行動・ゲージ3。
- スキル
「薩摩示現流」
自身にクリティカル威力アップ(1回・3T)&敵単体にスキル封印(2T)
- チャージ攻撃
『チェエエエストォオオオオオッ!!!!』
単体攻撃&防御力ダウン(2T)&スター発生ダウン(2T)
|
小ネタ 
+
| | +クリックで展開
|
- 田中新兵衛。
幕末四大人斬りの一角「人斬り新兵衛」。
今太閤とも称された徳川幕府の要人・島田左近や公家の姉小路公知の暗殺に関与したとされる。
幕末の暗殺事件においてかなり早くから関与したことから「天誅の魁(さきがけ)」とも称されている。
- 薩摩藩出身であり示現流の使い手と言われている。
過激派攘夷団体「土佐勤王党」の首領武市瑞山とは義兄弟の契りを結んでおり、同じく勤王党員であり四大人斬りの岡田以蔵と共に武市の政敵の暗殺を担った。
文久3年5月、姉小路公知の暗殺現場に新兵衛の愛刀「和泉守忠重」と薩摩下駄が残されたことから下手人とされて捕縛。
尋問中は黙秘を貫くも隙を見て脇差しで腹を割き、自らの首を刃で突いて自害する。享年31歳。
- 姉小路公知は武市と親しいことや、暗殺事件が田中新兵衛にしては手際が悪すぎると言われることから、公知暗殺事件の犯人は新兵衛とは別人ではないかという説もあるが、近年の研究では田中新兵衛犯人説が有力。
- なお、姉小路公知の愛妾は芹沢鴨の手込めにされたという。
- 島田左近暗殺については新兵衛と同志2名で決行したが、左近が逃げ出したところ新兵衛ただ一人のみが追いつき加茂河原で斬り殺した。
後に、その時に他の仲間2人はどうしたのかと尋ねられたところ、「お侍さんは足が遅うございます」と答えたという。
- 島田左近の首は先斗町の川岸に晒され、そこには大逆賊に天誅を加えた旨の斬奸状が添えられていた。
大権力者の左近暗殺の余波は大きく、その余波で京都には暗殺が横行する「天誅」の契機になった事件と評され、田中新兵衛が「天誅の魁」と言われる由縁となっている。
- 岡田以蔵との本間精一郎暗殺時には、以蔵が切り損ねたところ新兵衛が仕留めたことから、以蔵は新兵衛にコンプレックスを抱いていたという逸話がある。
- 一見単純そうなバトルモーションは、すべて実在している示現流の技をモーチフにしている。
+
| | + 示現流について クリックで展開
|
- 示現流は一撃必殺の剛速剣と知られている。特徴は動きが単純化されて反復訓練に向いてることと、基本技の練度を上がれば必殺技になるの一撃必殺思想、そして現代で練習が騒音問題になったこともあるの猿叫。
- 田中新兵衛が使う攻撃モーションは袈裟斬り、抜き打ち、袈裟斬り連打の三つであり、どれも示現流の基本技、再現度は相当高い。構えも使用スキル「薩摩示現流」の名の通り現実での示現流に即している。
- 他人の剣術をコピーできる以蔵も漫画『帝都聖杯奇譚』と本作でのバスター攻撃に示現流の基本技、蜻蛉の構えから繰り出す袈裟斬りを使う。
- 猿叫は気合の解放と、相手を威嚇制圧するなど複数の目的を持っている、一見狂気じみたが、実は合理的な戦術。
つまり確率スタン効果
- 動きに華はないが、基本的に同じ相手と二度と戦わない実戦向きであり、薩摩藩特有の郷中教育と上手く融合していた。そのため殺人に躊躇はない薩摩藩士が突然繰り出す示現流の一撃必殺攻撃は剣術界史上屈指の初見殺し、幕末にその名を轟かせた。
- ちなみに「初手最大火力全力攻撃」のジゲン流戦術思想は本作のレイド戦にも通用する、知らずに使うマスターも多いであろう。 ストーリー上キリシュタリア・ヴォーダイムもこの戦術でゼウスを一度KOした。
- なお、薩摩には示現流の他、薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)という剣術が存在しており、田中新兵衛はこちらを修めていたという説もある。
薬丸自顕流は薩摩藩士・薬丸兼陳が示現流を修めた後に編み出した剣術体系であり、構えと動きに違いはあるが上記の一撃必殺的な特徴は共通している。
- 他、示現流には笠間藩(茨城)に伝わる系統も存在する。
+
| | 薩摩藩外で伝承されていたジゲン流について(+クリックで展開)
|
笠間藩伝の示現流以外にも、伝書から示現流との深い関係が伺える別系統のジゲン流(寺見流、無三自現流、自源流など)が他藩で伝承されていた。
これらの系統では瀬戸口備前、もしくは甲野善衆を伝系上の流祖としている。
幕末の時点では龍野藩(兵庫)や膳所藩(滋賀)、福山藩(広島)、高松藩(香川)、熊本藩、秋田藩などで伝承されていた。
なお、大正以前の武芸関係の文献に登場するジゲン流の大半はこれらの系統である。
東郷家の示現流についてのまともな記述が出版物に登場するのは昭和に入ってからのことであり、それまでは知名度自体が低かったようだ。
|
|
|