人物紹介 
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ゲームにおいて 
小ネタ 
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- 鎖国時代の日本において出島のオランダ商館に勤務していたドイツ人医師。博物学者。
出島で鳴滝塾という私塾兼診療所を開設し、医学や自然科学等の西洋学術(蘭学)を日本人に広めた人物として知られている。
また、博物学者として日本の動植物の標本や芸術作品を多く持ち帰り、『日本植物誌』の刊行を行うなど、その学術活動は西欧における日本学の祖の一人として名高い人物でもある。
- ちなみにシーボルトの持ち帰った日本の物品の中には葛飾北斎の作品もあった。
また、シーボルトと北斎に関わるエピソードに由来する北斎のマイルームボイスが存在している(詳しくは北斎のページの小ネタを参照)。
- 日本人女性・お瀧を妻とし、間にイネという娘も生まれていたが、幕府が国外流出を禁じていた日本地図を持ち帰ろうとしていたことが判明したため、国外追放及び再入国の禁止を言い渡された(シーボルト事件)。
- シーボルトが日本地図を持ち帰ろうとした出来事は鎖国政策を採っていた幕府にとっては大不祥事であり、シーボルトは勿論のことシーボルトに地図を寄贈した書物奉行の高橋景保を初めとする日本人の役人達も厳しい処罰を受けた。
- シーボルト事件により妻の瀧と、娘のイネとは生き別れとなる。
シーボルト事件から約30年後に日蘭修好通商条約が締結され、それに伴いシーボルトも追放処分が解除されて再来日し、幕府の外交顧問に就任。日本人男性と結婚したお瀧や娘のイネ、かつての門人とも再会した。
後、日本から帰国しオランダやドイツで日本に関する博物展覧会などを開催し、ドイツのミュンヘンで病没する。
- ゲーム内の立ち絵では娘のイネを常に背負っている。
- シーボルトの娘である楠本イネは父から医学の薫陶を受け、明治期には女性産科医として活躍し、「オランダおいね」と称された才女。
その技量は極めて高く評価されており、宮内庁の御用掛として明治天皇の側室の出産に対応をしている。
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