人物紹介 
ゲームにおいて 
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- 新選組総長・山南敬助。仙台藩出身。
小野派一刀流、北辰一刀流を修めた剣客。新選組結成前の多摩時代の近藤勇と他流試合をして敗北して以降、知己となり土方歳三や沖田総司ら多摩試衛館の面々と交流を持つ。
文久三年、近藤らと上洛し、新選組の前身となる壬生浪士組を結成。壬生浪士組結成時は副長であったが後に、局長・副長に次ぐ新選組総長を務める。
- 名字は一般的には本作で使用されている「やまなみ」と扱われているが、自署で「三男」「三南」と書いていることから「さんなん」と言う説も有力。
隊士からは「サンナンさん」と呼ばれていたという。
- 沖田総司の幕間の物語では、壬生の子供達から「サンナン」というあだ名で呼ばれていた描写がある。
- 壬生浪士組・新選組幹部として徳川家茂大阪滞在の警護や八月十八日の政変における京都御所警備、初代筆頭局長・芹沢鴨の粛清に関与する他、商家に押し入った不逞浪士の成敗などに従事する。
後に近藤らと袂を分かち新選組から脱走。大津にて沖田総司に捕縛され、隊規に基づき切腹して死去する。享年33歳。
- 山南が新選組を離脱した理由には諸説あり、正確なところは不明。
「近藤・土方らと政治的・思想的な対立があった」「学識豊かな伊東甲子太郎が参謀として登用されたことで自身の立場を失うことを恐れた」「同じ尊皇攘夷思想を持つ維新志士と戦うことに嫌気が差した」などの説が存在している。
- 獰猛者揃いの新選組の中では学識豊かで穏やかな人物であり、多くの人より慕われた人格者として伝わっている。
- 沖田総司が山南捕縛の任を受けたのは、山南が沖田を弟のようにかわいがっており、沖田相手であれば抵抗しないだろうという目論見が存在していた。
また、捕縛後も同僚の二番隊組長・永倉新八より再脱走を勧められたが、これを拒否して切腹に応じたという話も存在している。
- 子母沢寛が八木為三郎(新選組屯所があった八木邸の住人)からの証言を元に執筆された小説『新選組異聞』での遊女・明里との悲恋譚が有名だが、他の新選組関係者の回顧録には登場せず、子母沢の創作ではないかと考えられている。
- 「もうやめましょう芹沢さん……○○なんて土台無理な話だったんだ。私も一緒に地獄に行きますから……」
- 「山南構文」と呼ばれるセリフ改変ネタ。
ネットスラングを多用する黒髭氏も「もうやめましょうなぎこさん……拙者が代わりに脱ぎますから……」とネタにしている。
- なお、山南自身は本作中でこのセリフの元になるセリフを言っていない。
『ぐだぐだ邪馬台国』に「もうやめましょう、我々の負けだ…」と芹沢を諭すシーンがあり、それがうろ覚えのまま改変され広まったものと考えられる。
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