人物紹介 
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ゲームにおいて 
小ネタ 
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- ツチノコとは日本の未確認動物(UMA)、または妖怪。「槌の子」や「土の子」とも。
一般的には胴体の中央部がビール瓶ほどの太さに膨らんでいる寸詰まりの槌のような形をした蛇で、普通の蛇にはない瞼と耳の穴を持つという。
「ちー」と鳴き、とても素早く、2mほど飛び跳ねるジャンプ力を持つという特徴が有名で、日本全国で目撃証言がされている。
- 「槌のような形をした蛇」は古くから記録が残されており、古記録においては山道で通行人の前に転がりながら現れる、猛毒を持っていて噛まれたら助からない、と記述されている。
全国的に分布されており、「ツチノコ」の他にも「のづち(野槌)」「バチヘビ」「ツチヘビ」「コロヘビ(コロ、コロリとも)」「槌転び」等々土地ごとに行動や姿形に由来する呼称がある。
「ツチノコ」の名前で登場する古書としては、江戸時代に作られた北陸地方の怪談集『北国奇談巡杖記』『聖城怪談録』が挙げられる
- このような全国各地に伝わる「槌のような形をした蛇」は昭和40年代のツチノコブームにより「ツチノコ」と同一視されていったという。
- 第二次世界大戦中、台湾(当時日本領)の高砂族出身の青年・林舜臣は留学先の東京帝国大学において毒蛇を研究しており、1943年5月に京都でツチノコを発見したという記録がある。林舜臣の一族は彼が撮影したツチノコの写真を保管しているという。
また、日本陸軍が毒物兵器開発のためにツチノコの研究をしていたという都市伝説が存在する。
- 1970年代に芥川賞作家の田辺聖子や漫画『釣りキチ三平』の作者である矢口高雄、『ドラえもん』の作者である藤子・F・不二雄と言った文化人が作品でツチノコを取り上げていたことからツチノコブームが起きる。
特にツチノコを主題とした矢口高雄の漫画『幻の怪蛇バチヘビ』はツチノコブームの火付け役と評価されている。
1970年代のツチノコブームは地方自治体や企業も巻き込むほどの流行で、多くの自治体がツチノコの生け捕りに懸賞金を出すなど地域おこしの施策につながり、特に目撃証言の多い岐阜県東白川村では、村内にツチノコの資料館「つちのこ館」が所在し、イベント「つちのこフェスタ」が開催されている。
他、長野県茅野市の尖石縄文考古館には「ツチノコが描かれた縄文土器」とされるものが、岐阜県高山市の飛騨民族考古館には「ツチノコを象った石器」とされる発掘品が収蔵・展示されている。
また、自治体以外にも雑誌『ムー』編集部や西武百貨店と言った企業もツチノコ捕獲懸賞金を出していた。
- 日本国外でもツチノコに纏わるエピソードがあり、日本のオリンピック女子マラソン金メダリスト・野口みずき氏はスイス・サンモリッツの高地合宿中にツチノコを目撃したという。
- 近年では、ツチノコの正体は獲物を飲み込んだ蛇や妊娠中の蛇の見間違いや、ヤマカガシの誤認とされている。
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- わらしからは「のづち」と呼ばれている。
「のづち」はツチノコの別名である他、日本神話に登場する草の神・精「野椎神」の名前でもある。
わらしの発言やダ・ヴィンチちゃんの解説からマシュはツチノコ達はその「野椎神」の眷族のようなものではないかと推測している。
- 「野椎神」は日本神話に登場する野の神、草の神「萱野姫(カヤノヒメ)」の別名。
『古事記』において、イザナギとイザナミの間に生まれた女神の一柱で、山の神である大山津見神の間に八柱の子供を成したとされている。
- 大山津見神は花の女神であるコノハナサクヤヒメ(海幸彦の母親)の父であるが、カヤノヒメとの間の子供の中には含まれていないものの、コノハナサクヤヒメをカヤノヒメの娘とする伝承も存在する。
- 蛇の妖怪としての「のづち」は、鎌倉時代後期の仏教説話集『沙石集』において「野槌」の名前で登場し、口が達者なだけで徳のない僧侶が死後に口だけで目鼻や手足のない蛇「野槌」として生まれ変わる話が収録されている。
また、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』でも奈良の吉野山中に住む蛇「野槌」として記録されている。
- 戦闘力はないがわらしが「スクナビコナ」の力を用いてガガイモの実から「天乃羅摩船」を作る際に力を貸しており、ツチノコ達にも神秘的な力がある模様
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