勝海舟 の変更点

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*人物紹介 [#q8932841]
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*ゲームにおいて [#xaf848f1]
-イベント「[[幕末チャンバラ神話 ぐだぐだ新選組・ジ・エンド REVENGE OF MAKOTO]]」の登場人物。
特異点の京都で新選組臨時総裁を務める幕臣。

-担当イラストレーターは鈴木ツタ氏([[本人のTwitter>https://x.com/suzukitsuta/status/1973314416151240824]]より)
*小ネタ [#z100c7e5]
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-&ruby(かつ){勝};&ruby(かいしゅう){海舟};。本名は勝&ruby(よしくに){義邦};。明治維新後は&ruby(やすよし){安芳};と改名した。
海舟の名は学問の師である洋学者・佐久間象山の筆書「海舟書屋」から取った号である。
--なお、同時期の幕臣には山岡&ruby(てっしゅう){鉄舟};、高橋&ruby(でいしゅう){泥舟};という人物もおり、併せて「幕末の三舟」と呼ばれる。

-幕末期の幕府重臣であり開国思想家。
海事に詳しく、軍艦操練所教授や咸臨丸による渡米事業、神戸海軍操練所の開設等の幕府の外交・海防政策に従事。
戊辰戦争の折には幕府陸軍総裁として倒幕側の西郷隆盛と協議し江戸城無血開城を実現する。
維新後は明治政府で海軍卿などの要職を歴任した。
晩年は著述活動を行い、明治32年に「これで、おしまい」という言葉と共に75歳で他界する。
--勝海舟は幕府勢力内では非戦論・恭順派であったため、当時江戸に帰還していた新選組局長・[[近藤勇]]が甲府城を占拠して将軍・徳川慶喜を迎え入れるのはどうかと献策したことを利用し、抗戦を主張する近藤ら新選組を「甲陽鎮撫隊」という名目で軍資金や武器、近藤や[[土方>土方歳三]]に地位を与えた上で体よく江戸から追い出したとされている。
--『[[ぐだぐだ新選組・ジ・エンド>幕末チャンバラ神話 ぐだぐだ新選組・ジ・エンド REVENGE OF MAKOTO]]』にて「なぜおまえが新選組の仕事をやっているの」と言われているのはこの辺りの因縁が原因。

-[[坂本龍馬]]の師であり、彼の開国思想に大きな影響を与えたとされる。
蘭学や兵学に通じた人物であるが、直心影流剣術の免許皆伝も取得している。
--所有していた刀の一つに江戸城無血開城以降に徳川慶喜から下賜された「海舟虎徹」と呼ばれるほぼ確実に本物とされる「虎徹」がある。(長曽根虎徹はとにかく偽物が多い)
--それ以前は江戸三作に数えられる「初代水心子正秀」を佩刀としていたが、十四代将軍家茂に従って上洛した時などは、龍馬に推薦された[[岡田以蔵]]を護衛にするなど身の安全には気を使っており、抜いて自ら戦うような機会はなかった。
--そもそも殺生を嫌っていたとされ、以蔵さんの項目にも書いてあるが、勝を守るために人を斬った彼に対して「人殺しはよくない」と説教した話も語っている。
また自身も殺生に及ばないよう、普段から刀の鍔を紙縒で縛って封印していた。

-暗殺未遂回数は自己申告で20回と敵が非常に多かった。一番の危機は無血開城後であり、半蔵門付近を馬で移動中に狙撃を受け、銃声に驚いた馬に振り落とされそのまま気絶してしまう。しかし、狙撃者が気絶した勝を死んだものと勘違いして追撃を行わなかったため九死に一生を得た。

-非常に貧しい家の出であり、若い頃は自宅の天井や柱を薪にしたり、借りてきた辞書を蔵書用と売却用のために二冊文分筆写するなどして、学問に励んでいた。
その中で師事していた洋学者・佐久間象山の目にとまり、彼の勧めで勝自身も私塾を開設。
黒船来航の折に幕府が海防について世に広く意見を募った際に勝の意見書が重臣の目にとまり、公職の途を得ることになる。
--師である佐久間象山は後に勝海舟の妹・順子を妻にしている。元治元年(1864年)に幕府の要請で上洛し、一橋慶喜に公武合体論と開国論を説いた象山は尊皇攘夷志士に目を付けられ、旧暦7月11日(西暦8月12日)に[[河上彦斎]]に白昼堂々暗殺される。

-9歳の時に野良犬に股間を噛まれ、生死の境を彷徨ったことがあり犬が大嫌い。なお正妻に加え生涯で妾が五人おり、四男五女を得ているのでこの事件が無かったらどれほどか想像もつかない。
--女性関係は非常にだらしなく、自宅に奉公に来た女中に次々手を付けて子供をもうけている。お手付き女中たちにはそれぞれ役割を与え、勝は「殿様」と呼ばれる程だったという。
正妻のたみもこの妾兼女中たちの面倒をよく見た一方で、死に際に「勝と一緒の墓に入れてくれるな」と遺言する辺り、内心腹に据えかねていた模様。

-勝家自体は系譜を遡ると、家康の頃からの徳川家の家臣で、御家人→旗本へと家格を上げ、一時期は極貧だったが最終的に海舟の栄達により5000石の禄を得る大身旗本になっている。維新後は最終的に伯爵位を受爵し、海舟本人の位階は従二位まで昇叙され、死後は正二位を贈られている。
--海舟の後の勝家は海舟の長男・&ruby(ころく){小鹿};が40歳で早逝したため、徳川慶喜に願い出て彼の十男・&ruby(くわし){精};を小鹿の娘・伊代子と娶せている。以降、勝家は現代までも血統が続いている。

-晩年は新聞や雑誌の取材を受け『氷川清話』という談話録としてまとめられ、当時から人気を博した。内容は幕末維新の人物達との思い出話や[[織田信長]]に[[武田信玄]]といった歴史上の人物の分析、[[曲亭馬琴]]らの文芸評に政治批判とバラエティーに富んでいる。
一方、勝は自他共に認める大ぼら吹きであり、かなり話を盛っている部分も見受けられる。
--坂本龍馬が最初勝を殺そうと思ってやってきたという有名な逸話もこの談話がソースではあるが、当時の龍馬の手紙を見るとそこまで過激な攘夷思想を持っているようには見えず、福井藩主松平春嶽の回顧録では春嶽が龍馬に勝への紹介状を渡している旨が書かれているなど勝の作り話である可能性が高い。
--東京都大田区の勝海舟記念館ではこの氷川清話の内容を音声で聞けるコーナーがある。海舟の声を担当しているのは[[インドラ]]役の井上和彦氏。
-初出シナリオではサーヴァントとして登場しているが、クラスは不明。
あらゆる抵抗を無効化して門を開く概念宝具「&ruby(むけつかいじょう){無血開城};」を所持している。
--海軍関連の仕事や咸臨丸で太平洋を横断したことからクラスはライダー……と言いたいところだが、長崎海軍伝習所では一期生として入学しながら落第、咸臨丸では一緒に乗船していた福沢諭吉曰く「船酔いに苦しんでずっと自室に籠って役に立たなかった」とのことでライダーとしての適性に疑問符がつく部分があったりする。
---一応落第説には異論もあったり、咸臨丸でも船酔いではなく感染症にかかったことで自主隔離していたのを犬猿の仲だった諭吉が悪し様に記録したという説もある。
とは言え船乗りには必須の数学が苦手で、船酔い体質なのは事実であったらしく、太平洋上で「俺はもう帰る」と駄々をこねるなど割と問題行動を起こしている。

-担当イラストレーターの鈴木ツタ氏のTwitterにて、[[洋装・和装両方の立ち絵の全身画>https://x.com/suzukitsuta/status/1973315171826409600]]が掲載されている。
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