人物紹介 
ゲームにおいて 
小ネタ 
+
| | +クリックで展開
|
- 田中新兵衛。
幕末四大人斬りの一角「人斬り新兵衛」。
今太閤とも称された徳川幕府の要人・島田左近や公家の姉小路公知の暗殺に関与したとされる。
幕末の暗殺事件においてかなり早くから関与したことから「天誅の魁(さきがけ)」とも称されている。
- 薩摩藩出身であり示現流の使い手と言われている。
過激派攘夷団体「土佐勤王党」の首領武市瑞山とは義兄弟の契りを結んでおり、同じく勤王党員であり同じく四大人斬りの岡田以蔵と共に武市の政敵の暗殺を担った。
文久3年5月、姉小路公知の暗殺現場に新兵衛の愛刀「和泉守忠重」と薩摩下駄が残されたことから下手人とされて捕縛。
尋問中は黙秘を貫くも隙を見て脇差しで腹を割き、自らの首を刃で突いて自害する。享年31歳。
- 姉小路公知は武市と親しいことや、暗殺事件が田中新兵衛にしては手際が悪すぎると言われることから、公知暗殺事件の犯人は新兵衛とは別人ではないかという説もあるが、近年の研究では田中新兵衛犯人説が有力。
- なお、姉小路公知の愛妾は芹沢鴨の手込めにされたという。
- 島田左近暗殺については新兵衛と同志2名で決行したが、左近が逃げ出したところ新兵衛ただ一人のみが追いつき加茂河原で斬り殺した。
後に、その時に他の仲間2人はどうしたのかと尋ねられたところ、「お侍さんは足が遅うございます」と答えたという。
- 島田左近の首は先斗町の川岸に晒され、そこには大逆賊に天誅を加えた旨の斬奸状が添えられていた。
大権力者の左近暗殺の余波は大きく、その余波で京都には暗殺が横行する「天誅」の契機になった事件と評され、田中新兵衛が「天誅の魁」と言われる由縁となっている。
- 岡田以蔵との本間精一郎暗殺時には、以蔵が切り損ねたところ新兵衛が仕留めたことから、以蔵は新兵衛にコンプレックスを抱いていたという逸話がある。
|