人物紹介 
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- 勝海舟。
幕末期の幕府重臣であり開国思想家。
海舟は号で、幼名は麟太郎、長じて義邦。維新後は安芳と改名。
海事に詳しく、軍艦操練所教授や咸臨丸による渡米事業、神戸海軍操練所の開設等の幕府事業に従事。
戊辰戦争の折には幕府陸軍総裁として倒幕側の西郷隆盛と協議し江戸城無血開城を実現する。
維新後は明治政府で海軍卿などの要職を歴任した。
晩年は著述活動を行い、明治32年に「これで、おしまい」という言葉と共に75歳で他界する。
- 勝海舟は幕府勢力内では非戦論・恭順派であったため、当時江戸に帰還していた新選組局長・近藤勇が甲府城を占拠して将軍・徳川慶喜を迎え入れることを献策したことを利用して、抗戦を主張する近藤ら新選組を「甲陽鎮撫隊」という名目で具資金や武器、近藤や土方に地位を与えた上で体よく江戸から追い出したとされている。
- 坂本龍馬の師であり、彼の開国思想に大きな影響を与えたとされる。
蘭学や兵学に通じた人物であるが、直心影流剣術の免許皆伝も取得している。
- 非常に貧しい家の出であり、若い頃は自宅の天井や柱を薪にしたり、借りてきた辞書を蔵書用と売却用のために二冊文分筆写するなどして、学問に励んでいた。
その中で師事していた洋学者・佐久間象山の目にとまり、彼の勧めで勝自身も私塾を開設。
黒船来航の折に幕府が海防について世に広く意見を募った際に勝の意見書が重臣の目にとまり、公職の途を得ることになる。
- 師である佐久間象山は後に勝海舟の妹を妻にしている。
- 9歳の時に野良犬に股間を噛まれ、生死の境を彷徨ったことがあり犬が大嫌い。なお正妻に加え生涯で妾が五人おり、四男五女を得ているのでこの事件が無かったらどれほどか想像もつかない。
- 勝家自体は系譜を遡ると、家康の頃からの徳川家の家臣で、御家人→旗本へと家格を上げ、一時期は極貧だったが最終的に海舟の栄達により5000石の禄を得る大身旗本になっている。維新後は最終的に伯爵位を受爵し、海舟本人の位階は従二位まで昇叙され、死後は正二位を贈られている。
- 海舟の後の勝家は海舟の長男・小鹿(ころく)が40歳で早逝したため、徳川慶喜に願い出て彼の十男・精(くわし)を小鹿の娘・伊代子と娶せている。本家は戦後も続いており、2016年に四代目当主・芳邦氏の逝去が確認されている。
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