人物紹介 
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- 幕末期の長州の思想家・学者。
幼少期より優れた才覚を認められた俊英であり、江戸で遊学中に佐久間象山や肥後藩の宮部鼎蔵ら多くの学者や志士と交流し兵学、砲術、西洋軍学など多種多様な知識や思想を学ぶ。
ペリーの黒船来航の折に同志と共に黒船への乗船を試みるが失敗し、投獄。
国許蟄居により長州に戻された後、叔父の開校していた私塾「松下村塾」を引き継いで主宰。
高杉晋作や入江九一、久坂玄瑞、品川弥二郎、伊藤博文、山県有朋ら幕末維新で活躍した志士や後の明治政府高官になる若者を指導。塾生以外では後に維新三傑となる桂小五郎も弟子としていた。
弟子達は松陰の一君万民論を基軸とする尊皇思想や身分を問わない連帯による国家改革を目指す草莽崛起思想を継承し、また、その思想は長州藩内に留まらず、土佐の武市瑞山ら長州藩外の志士にも共鳴者を生み出す強い影響力を持った。
- 大老・井伊直弼らによる日米修好通商条約調印を受けて、松陰は幕府の対外政策・姿勢を激しく批判し、倒幕思想を形成する。
だが、幕府政策批判者に対する弾圧「安政の大獄」に際して、松陰の関係者が幕府高官の暗殺計画を企てた罪科で捕縛されたことに連座し、松陰も逮捕。評定所での取り調べにおいて老中暗殺計画を自白し処刑された。
享年29歳。
- 容姿については松下村塾の塾生の言を総合すると、容貌が醜く風采のあがらない小男という要素が概ね一致しているため恵まれていなかった模様。また、天然痘の痕が顔に残っていたという。
一方で、人の臓腑を射貫くが如き眼光を持っていたとも語れている。
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