海音寺ジョー/良句問答
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向井去来が、晋子其角に書を送った年の暮れのことである。宝井其角が去来を訪ねてきた。せっかく遠路はるばる来たんだからと、去来は洛外の草庵に招いた。
「おい、別にこんな寂れたところじゃなくてもいいよ。本宅に泊めてくれよ」
「其角、老翁ならここに来るごと大喜びしたもんだぜ、おまえも一番弟子なんだからその感懐はあんまりだろ」
「去来、俺の好みを良くわかってるくせに。だからこそあんな手紙を寄越しやがったんだろ」
去来は芭蕉なき後の其角の安定の境地と、地位を固守する無難な作句に腹を立て、意見書を送ったのだ。最近のおまえはなっちゃない、俳諷にキレがなくなったと。そこに森川許六が横槍を入れてきて、其角への指弾がうやむやになってしまい、双方とも消化不良になっていた。そこで其角が、直談判にやって来たのだった。
「噂じゃ、おまえ自分の詩才を金儲けにしか使ってないらしいじゃねえか」
「どんな噂かははっきりしないが、どうせ点取り主義とか、俳諧長者とか言われてんだろ。俺は銭も身分も全部欲しいし、その欲を隠すのも粋じゃないっていう主義だよ、前からずっと、蕉翁存命の頃からもずっとだ」
「それが気に入らない、芸の域はもっと次元の高い、透明なところを目指すべきじゃないか」
「それはよ、前々から言ってるけど理論が先行するおまえの悪いところだよ。去来、おまえだって昔は女を買うのに具足まで売り飛ばしたほどの俗物だったじゃねえか」
「そりゃ若かったからだよ」
「そこが全てだと思うんだけどな。面白味がねえと。俳句だって一緒さ」
「俗欲にまみれたら、軽くなくなるじゃねえか」
「かるみ、か。それは先師蕉翁の晩年の美学であって、別に師匠にとっても到達点では無かったのかもよ」
夜が更けてきたので、去来は障子を閉めた。歳末まであと二週間。空也僧が鉢叩きをする季節だ。京の風物詩。去来は芭蕉がこの草庵に泊まりに来たときのことを、懐かしく思い出した。あの日は、せっかく芭蕉に聴いてもらおうと招いたのに鉢叩きの行列がなかなか来なくて、あたふたしたものだった。下男に箒を持ってこさせて代わりに灰吹きをぽくぽくと打ち、芭蕉に苦笑されたのだった。
障子から漏れる隙間風が、去来の回想を遮った。火鉢にかけている薬缶がカタカタと鳴りだす。
「茶でも淹れよう」
「去来、それ宇治茶か?」
「そうだ、利休園で仕入れた玉露だ」
「俺、河越茶を持ってきたんだ」
「狭山の茶か?京に来たんだから、京の茶がいいだろ」
「唄にさ、香りは宇治、味は狭山っていうだろ。おれ、いっぺん宇治茶と狭山茶を混ぜて淹れてみたらどうだろって思ってたんだよ」
「おい、そんな茶の立て方だと両者の良いところがだな、相殺されてしまうから別々に喫するべきだよ」
「そこがおまえの頭の固いところだ、去来。これ、合わせの妙だろ」
「おまえ、偉そう。ワシの方が十も年上だぞ」
カツンカツン、カツンカツンカツンと輪奏で、鉢をたたく音が草庵にまで響いて来た。しかし二人は談論に夢中で、気づいてないようだ。晩飯の配膳をしながら、屋敷守の与平が笑っている。
去来はそれから、七年生きた。
其角は、十年生きた。
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執筆年 
2016年?