りゆ婆が食べなくなった。おしっこも出なくなった。もうそろそろらしい。KPを呼ぶように、と院長指示があった。キーパーソン。りゆ婆の。りゆの居室に行ってみた。りゆがオレを見とめて片手を差し出した。両手で包むように握ると目をつぶって嬉しそうに握り返してきた。飯もいらないのに肌の温かみは必要なのか。いちばんさいごに欲しいものっていったい何だ?オレはまだ、それが何なのかわからないな。
その日から百年後、オレはりゆ婆が寝ていたのとまったく同じ部屋でベッドに横たわり、窓から蝉が羽化するのを見た。三人の孫がベッド脇に座って、その光景を一緒に見た。
蝉の成虫が殻を破る時に、あの日りゆ婆の口元にニヤッと浮かんだ皺を思いだした。
もういつくたばっても思い残しはないが、いやないはずだったが、今、羽を固めている蝉が、今日からどんな八日間をおくるのかが急に気になってきた。