俺は走った。走り出してすぐ、はたと止まる。宙返りができない。得意の宙返りができない。
右手の人差し指と中指だけが、辛うじて、小さく、前後に動く。病室のベッドの上に男は寝ている。
俺はまた走った。走り出してまたすぐ、はたと止まってしまう。どうしても、宙返りができない。得意の、ムーンサルト、後方二回宙返り一回ひねり。
男の二本の指は、それを再現しようとするのだが、実際は震えながら、相変わらず、小さく動くだけ。ほんのわずか、微かに動くだけ。
俺の、宙返りを、誰か見てくれ。
男の体は動かない。親族か、恋人か、傍らにいる誰かが、男の指がほんの少し動くのを見ただけ。
目の前に道化が現れて、人差し指と中指だけで綱渡りをしろなどと言う。突然、俺は綱渡りの台に立っていて、道化は耳元で囁いた。向こうまで辿り着いたら、また、宙返りが出来るようにしてやる。ロープの下は真っ暗で底が見えない。無茶を言うと思ったが、俺は道化に唆されるまま二本の指でロープに逆立ちになった途端にバランスを崩した。
男の指が一瞬痙攣して、止まった。
しばらくして、それからまた、ゆっくり、動きだした。