全国勤労青少年会館の建て替えにミスってできたビルがアール・ブリュットに埋め尽くされて、春が来たことを思い出す。「生の芸術」と呼ぶのは差別意識のすり替えだけど、生命力みたいなモノはたしかに感じる。線の勢いや躊躇いなさとか、その他諸々。
みたいなことを、彼女にダラッと指走る帰り道。何年一緒に暮らしても、やっぱり可愛い。狡い。とか思う帰り道。
『健常者にそう思われてるってことだよね』
至極真っ当なツッコミは、AIが人間を超えても滅びなかった日本手話を第一言語にする人種へも向けらるけど、知識として和音を組み合わせてグッドミュージックができる気はしない。けど、そういうモノなんだろうか?とも考える。もちろん、作りたい欲求の無い人間の考えなんで掃いて捨てろ。いずれにせよ、この人の考え方が好きだなと思う。
『キュレーションセンスによるよね』
となると、無個性なコピペに春の訪れを告げる「生の芸術」は、実があるチョイスかもしれない。
『けど、芸術なんて受け手次第だよ』
彼女のやさしさが、可愛いのにホント狡い!と好きをまた深めてしまう。