魔法概論
freeze
■ Abstract
魔法は、正法(物理現象や科学)と対立する法則系である。正法による現象が正のエネルギーを基に生じるのに対して、魔法による現象は負のエントロピーを基に生じる。この負のエントロピーを、慣習的な語を引いて「マナ」と呼ぶことにする。
マナは負のエントロピーであるから、作用することで場のエントロピーを減少させる。その結果、例えば、熱移動を偏向させて高温と低温に分離することができる。ここで注意したいのは、系のエネルギー量に変化はないこと、加えて正法的な現象(例の場合、熱拡散)によって状況はやがて解消されることだ。
■ 序論
魔法を操る術──魔術があったとして、最も基本的なそれは何だろうか。
・火を発する。
・水を創り出す。
・風を吹かせる。
・光を放つ。
上記のような現象が古典的な事例として一般的だと思う。
しかし、本書はそのように扱わない。
たとえば、発火とは燃焼の起こりである。そして燃焼とは、主に、高温により気化した物質が空気中の酸素と結び付き、その際に生じる熱が更なる気化と酸化を促す現象だ。
すなわち、火というものは、気化した燃料が酸素と結びつく際に生じる熱であり、その熱で高温となった各種物質が発する光である。
であれば、火は人類文明にとって象徴的であるものの、その根底には「熱」や「光」といった、より基礎的な要素があると言えるのではないだろうか。
では、「熱を扱う魔法」があったとして、「熱魔法」なる言葉を造るべきだろうか。
本書では、そうすべきでないと考える。本書が望む「魔法」は、文明の黎明期から人類の側にあり、それこそ、この世界の科学のように文明の発達に伴って理解が深まり、発達していくべきだと考えるからだ。
つまり、「熱を扱う魔法」は、まだ「熱」という存在が理解される前から存在し、名付けられていなければならない。ならば、その名前はきっと、象徴的であっていいはずだ。
つまり、「やがて発火に至る魔法」という認識が文明初期に定着してしまえば、時代が進んだ後も「熱を扱う魔法」が「火魔法」と呼ばれる可能性があるのではないだろうか。
さて、本書は魔法について、次の九種類を基礎とする。
括弧内は実際に扱う対象である。
・天魔法(空間)
・火魔法(熱)
・光魔法(光)
・風魔法(運動)
・地魔法(質量)
・水魔法(拡散)
・闇魔法(マナ)
・雷魔法(電気)
・魂魔法(情報)
ただし、「火魔法」が「火」ではなく「熱」を扱うように、それぞれ象徴している概念を司っているわけではない。
これはある種、既存の概念との折衷案であり、名称は流用しつつ、その中身については本書で今後扱うように、より論理的な考察によって定義していくことになる。
■ 魔法の根源
さて、実際に考察を進めていくにあたって、まず最初に「魔法の根源」──つまり創作上で、魔力やマナやMPなどと呼ばれているものについて考える。
ここでは、仮に「マナ」と呼ぶことにしよう。
前提の知識として、「エネルギー保存則」と「エントロピー増大則」は押さえておきたい。
前者はつまり、ある一個の世界について、任意の時刻におけるエネルギーの総和はゼロになるというものだ。
そして後者は、エネルギーの質は常に低下し、逆行することはないという法則を表している。
エントロピー増大則について、一つ簡単な例を挙げてみよう。
例えばドライヤーやアイロン、炊飯器のように、電気的エネルギーは熱エネルギーに変えることができる。このとき、「損失した電気的エネルギー」は「発生した熱エネルギー」に等しい(エネルギー保存則)。
では、逆の現象──つまり、熱を減らすことで発電するという現象を考えてみよう。
基本的には無理である。それは、エアコンの存在を考えれば自明だ。
しかし、ゼーベック効果というものがある。これは、二つの異なる金属または半導体に温度差を設けると電圧が発生する現象である。
つまり、二つの金属で輪をつくり、その境界を熱すると、輪に電流が流れる。これは熱エネルギーを電気的エネルギーに変換する反応だ。
では、この現象(ゼーベック効果)はエントロピーを減少させるのだろうか。答えは否である。何故なら、一部のみを加熱するということ、つまり熱の偏在は言わば負のエントロピーであり、ゼーベック効果に伴う熱拡散によってエントロピー増大が発生する。
より簡潔に言えば、「熱拡散によるエントロピーの増加」>「電気的エネルギーと熱エネルギーのエントロピー差」であるために、反応前後で系のエントロピーは増大しているのだ。
さて話を戻すと、本書は、魔法が、エネルギー保存則とエントロピー増大則に従うものとして考えたい。何故なのか問われても困るが、敢えて理由を書くなら、この世界がそうであり、この世界に魔法があってほしいからだ。
では、マナが何であるか。最もわかりやすい機能として、任意の対象を熱することができなければならない。だからそれは、「エネルギー」か「エントロピー」である。
従来の作品でマナについて言及しているものがあれば、その大多数がエネルギーであると定義していると思う。だから逆をつく、というわけではないが、本書ではマナとは「負のエントロピー」であると考える。
理由を敢えて書くなら、マナのリチャージを考えてのことである。時間回復にせよ休息による回復にせよ、マナは回復可能であってほしい。ここでマナがエネルギーの場合、例えば空気中の何かを取り込んで自分のマナを生成していると考えると、空気中にその素、つまり高品質のエネルギーが存在していることになる。これは恐ろしい。
この場合、