防具_シリーズ_中装 のバックアップ(No.9)


無縁人の鎧(男性)

無縁人の鎧 無縁人の鎧(背面)

無縁人の鎧(むえんびとのよろい)は、あり合わせの材料で作られた防具。無縁人とは、家族を持たず、組織や集団にも属していない人のこと。
頭巾(ずきん)は、黒色の布製で、人相を隠すのにも適している。
胴(どう)は、厚手の布、毛皮、革などを継いで縫い合わせたもの。
籠手(こて)は、薄手の革による簡素なもの。片手のみ硬質の木材で補強されている。
膝甲(ひざよろい)は、頑丈な糸の刺繍で補強した布製。水を弾く毛皮と重ね着できる。
脛当(すねあて)は、革を筒型に整形し、脚部に巻いた脚絆。長距離移動の疲労も軽減する。

無縁人の鎧(女性)

無縁人の鎧 無縁人の鎧(背面)

無縁人の鎧(むえんびとのよろい)は、あり合わせの材料で作られた防具。無縁人とは、家族を持たず、組織や集団にも属していない人のこと。
頭巾(ずきん)は、黒色の布製で、人相を隠すのにも適している。
胴(どう)は、厚手の布、毛皮、革などを継いで縫い合わせたもの。
籠手(こて)は、薄手の革による簡素なもの。片手のみ硬質の木材で補強されている。
膝甲(ひざよろい)は、頑丈な糸の刺繍で補強した布製。水を弾く毛皮と重ね着できる。
脛当(すねあて)は、革を筒型に整形し、脚部に巻いた脚絆。長距離移動の疲労も軽減する。

足軽の中鎧

足軽の中鎧 足軽の中鎧(背面)

足軽の中鎧(あしがるのちゅうよろい)は、戦国時代の歩卒が着用した具足。
陣笠は兜の代用品であり。鍛鉄の板を加工して作られている。自前で防具を用意できない足軽や下級武士に支給された。
胴は、薄い鉄板を重ね合わせて作られている。見た目の派手さはないが実用性を重視し、集団戦用に数多く作られた。
籠手は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。見た目の派手さはないが実用性を重視し、集団戦用に数多く作られた。
膝甲は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。腰を守る草摺(くさずり)、太腿を守る佩楯(はいだて)は見た目より実用性を重視してある。
脛当は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。見た目の派手さはないが実用性を重視し、集団戦用に数多く作られた。

夜駆けの中鎧

夜駆けの中鎧 夜駆けの中鎧(背面)

夜駆けの中鎧(よがけのちゅうよろい)は、夜に適した暗色の当世具足。
兜(かぶと)は、大振りな吹返しを備えた頭形の鉢に、暗色の前立を打ってある。
胴(どう)は、軽量で堅牢な革小札を素懸威したもので、体の動きを妨げにくい。
籠手(こて)は、細身の板金鋼を多重に組み合わせたもので、組み紐を用いて固定する。
膝甲(ひざよろい)は、暗色の小札を組み合わせた佩楯。草摺と重ねることで膝までを保護する。
脛当(すねあて)は、金物と呼ばれる細い鉄板を、膝下から足首にかけて巻きつけて装着する。

浪人の中鎧

浪人の中鎧 浪人の中鎧(背面)

浪人の中鎧(ろうにんのちゅうよろい)は、仕える主を失った武士が数少ない財産として持ち歩いた具足。
面具は鍛鉄製で、このように額と頬を保護する形状のものは半首(はつぶり)と呼ばれる。
胴は腹部を守るために、頑強な鉄の板を紐で縛ってつないでいる。
籠手は鉄の板を革で覆ったもの。使い込まれ、鈍く光っている。
膝甲には鋲が打たれており、腰を守る草摺(くさずり)が長く、膝あたりまで届いている。
脛当は鉄の板を革で覆ったもの。使い込まれ、鈍く光っている。

端武者の中鎧

端武者の中鎧 端武者の中鎧(背面)

端武者の中鎧(はむしゃのちゅうよろい)は、身分の低い武士が着用した鎧。
兜は黒漆塗の頭形(ずなり)兜で、鍬形の前立が付いている。
胴は、桶側胴の表面の継ぎ目を黒漆を塗って平らにしたもので、仏胴と呼ばれる。
籠手は黒漆を塗って仕上げられている。
膝甲には腰を守る草摺(くさずり)、太腿を守る佩楯(はいだて)が付いており、黒漆を塗って仕上げられている。
脛当は黒漆を塗って仕上げられている。

弓馬の中鎧

弓馬の中鎧 弓馬の中鎧(背面)

弓馬の中鎧(きゅうばのちゅうよろい)は、弓を射ることと乗馬の両方に適した当世具足。武士の家柄であることが「弓馬の家」と表現されるほど、弓術と馬術は武芸の代表であった。戦国時代には騎射は主要な戦法ではなくなったが、武士は騎射の訓練も怠らなかった。
兜(かぶと)は、折紙を模した頭立が付けられており、弓馬の腕前が「折紙付「き」であることを主張している。
胴(どう)は、小札を蓬(よもぎ)糸で威した桶側胴。袖口を切った小袖を片肌脱ぎに重ね、弓の巧者であることを主張している。
籠手(こて)は、細長い小鉄板を蓬(よもぎ)糸で綴じ付けた籠手。弓を扱いやすいよう、余計な装飾は排してある。
膝甲(ひざよろい)は、小札を蓬(よもぎ)糸で威した草摺を前後に下げている。佩楯の代わりに柄物の布を垂らしているのは、騎乗時の姿を美しく見せるため。
脛当(すねあて)は、細長い小鉄板を筒状につなげた篠脛当て。膝を守る立挙(たてあげ)は、鎖状の金具を縫い込んだ亀甲金包(きっこうがねつつみ)で、膝をついて弓を構えても邪魔にならないよう配慮されている

南蛮具足

南蛮具足 南蛮具足(背面)

南蛮具足(なんばんぐそく)は当世具足の一種。西洋の甲冑を輸入、またはそれに改良を加えて日本で製作された。
兜は鉄板が厚く重量があり、頭部に対する高い防御性能を誇る。古来の日本の華々しい鎧と比べ、機能美が追求されている。
胴は重厚な鉄板から成り、中央部が隆起するなど銃弾を通しにくい構造をしている。また、喉当(のどあて)も着用でき弱点を保護しやすい。
籠手は腕と手の甲を敵の攻撃から守る。西洋の籠手は日本での使用に適さず、南蛮兜や南蛮胴の意匠に釣り合うよう日本で製作した籠手を組み合わせている。
膝甲は下半身の膝上までを守る。西洋の膝甲は日本での使用に適さず、南蛮兜や南蛮胴の意匠に釣り合うよう日本で製作した膝甲を組み合わせている。
脛当は膝から下を保護する。西洋の脛当は日本での使用に適さず、南蛮兜や南蛮胴の意匠に釣り合うよう日本で製作した脛当を組み合わせている。

退魔師具足

退魔師具足 退魔師具足(背面)

退魔師具足(たいましぐそく)は、民間信仰的な悪霊退散の手法を用いて妖怪を追い払うことを生業とする者たちが着用した具足。用いられる手法は神道・陰陽道・修験道・密教などが習合したもので、実効性が疑わしいことも多かったが、妖怪の害に苦しむ人々は藁にもすがる思いで退魔師たちを頼った。
烏帽子は、麻布に黒漆を塗って仕立てられた立烏帽子(たてえぼし)。退魔の力を込めた護符が内側に何枚も貼られており、妖怪の攻撃から頭部を守る。
胴は、黒漆を塗った仏胴。さらに、黒と茶の縄で作った仁王襷(におうだすき)を掛け、しめ縄状に編んだイグサを首に巻くことで、妖怪の攻撃への耐性を高めている。
籠手は、湾曲した鉄板で肘から手の甲を覆う簡素なもの。印を組んだり、呪符を取り出したりしやすいよう、指先は露出している。
膝甲は、腰からぶら下げた六間の草摺(くさずり)と、大腿部を覆う二枚の佩楯(はいだて)。小札を糸で威した古風なものである。
脛当は、黒漆塗の筒脛当。軽いながらも頑丈に仕立ててある。

ソハヤ衆鎧

ソハヤ衆鎧 ソハヤ衆鎧(背面)

ソハヤ衆鎧(そはやしゅうよろい)は、妖怪を狩る特殊な集団が着用する鎧。妖怪退治の依頼以外で世俗と関わることがないためソハヤ衆の実態は謎に包まれている。噂では、隠れ里に棲み、妖怪を狩るために編み出した独自の武芸や武器を用いるという。
面は妖怪の頭骨を加工したもので、相対する妖怪を威圧し装着者の闘志を高める。
胴は鱗状の小札鎧を胸当てと妖怪の毛皮で補強したもの。胸当てに貼られた護符には妖怪の攻撃から身を守る効果があるという。
籠手は妖怪の骨を組み合わせて作られており、鋼を上回る強靭さを持つ。
膝甲は鱗状の小札鎧に佩楯(はいだて)を備えたもの。佩楯に貼られた護符は、牙や爪といった物理的な攻撃以外への対策であろう。
脛当は脛の前面を守る篠金物(しのがなもの)と巻脚絆を組み合わせたもので、長い距離を歩いても疲れにくいよう工夫されている。

三河衆の鎧

三河衆の鎧 三河衆の鎧(背面)

三河衆の鎧(みかわしゅうのよろい)は、今川家の支配を脱して織田信長と同盟を結び、織田軍に加勢して戦った三河国の兵が着用した鎧。三河衆は土豪たちの寄り合い所帯だったが、三河国平定後は徳川家康を主君として結束を強めていき、やがて忠実で精強な「三河武士」と称されるようになる。
兜は、家康着用の兜を模したもの。中央の板のような部分は、源平合戦で源義経が奇襲を成功させた一の谷を象っている。後立(あとだて)は縁起物とされる大釘(おおくぎ)。硬いものを貫く釘にあやかり、敵陣突破の願いを込めている。
胴は、伊予札を威した二枚胴。さらに、薄緑色と黒のニ色で分けて染められた筒袖羽織を重ね、荒縄で締めている。
籠手は、篠金物を綴った篠籠手。火縄銃を扱う際、照準を定める左手が動かしやすいよう、羽織の左袖は省かれ、籠手が露わになっている。
膝甲は、腰からぶら下げた伊予札の草摺(くさずり)と、右の大腿部を覆う佩楯(はいだて)。立膝で火縄銃を扱う際、立てる側になる左足の佩楯は省かれている
脛当は、革製の脚絆を、金具を用いて二カ所で留めている。立膝で火縄銃を扱う際、立てる側になる左足の立挙は省かれている。

一徹者の中鎧

一徹者の中鎧 一徹者の中鎧(背面)

一徹者の中鎧(いってつもののちゅうよろい)は、「三河武士の鑑」と評された徳川家の忠臣、鳥居元忠が所有した当世具足。元忠は、今川家の人質だった幼少期から徳川家康に仕え、三河統一を経て、浅井、朝倉、武田家などとも戦った。北条家との戦でも、家康を後背から攻めようとした敵勢を少数の兵で撃退するなど活躍。老年に至るまで変わらずこの具足を身に着けて戦に臨み、家康の信頼に応え続けた。
兜は、頂部の尖った突器形兜(とっぱいなりかぶと)で、鳥の翼を模した脇立を取り付けている。
胴は、小札(こざね)を黒糸で綴った二枚胴で、両袖にはやや古風な色々威(いろいろおどし)の袖鎧が付属する。
籠手は、平たい鉄板を組み合わせた単純なものだが実用性が高い。
膝甲は、家紋「鳥居笹」が入った佩楯(はいだて)に小札(こざね)の草摺(くさずり)を重ねて用いている。
脛当は、鉄板の端に並んだ穴へ、千鳥掛けに組み紐を通して固定する。

坊官の中鎧

坊官の中鎧 坊官の中鎧(背面)

坊官の中鎧(ぼうかんのちゅうよろい)は、坊官たちが戦時に着用した具足。坊官とは、皇族や公家が住職を務めた有力寺院において、住職に近侍してもろもろの実務を行った僧侶をいう。世襲化した例もあり、本願寺における下間(しもつま)氏が有名。
頭巾は、「兜頭巾」と呼ばれるもので、兜の錏(しころ)の代わりに羅紗を垂らして首元を守る。
胴は、黒漆塗の南蛮胴に陣羽織を重ねる。胴の中央に筋を立ててあり、被弾時の衝撃を緩和する。
籠手は、黒漆塗の籠手。簡素ながらも動きやすさと頑強さを兼ね備えた作り。手首に通した数珠がいかにも坊官らしい。
膝甲は、胴から下げた草摺(くさずり)のみだが、その下に穿く厚地の伊賀袴はかなり丈夫に作られており、ある程度の防御性能を期待できる。
脛当は、長い鉄板を並べて繋げた脛当。膝下に通した数珠がいかにも坊官らしい。

上総介の鎧

上総介の鎧 上総介の鎧(背面)

上総介の鎧(かずさのすけのよろい)は、織田信長所用と伝わる当世具足。信長は今川家当主代々の名乗りである上総介を自らも称することで、今川家に立ち向かう決意を示したといわれる。
胴は、黒漆塗りの伊予札を黒糸で威した二枚胴に、筒袖羽織を重ねて荒縄で締め、火縄銃の口薬入れを下げる。さらに舶来品のビロードマントや革製の剣帯なども組み合わせ、若き日の信長の嗜好が如実に現れた装いとなっている
籠手は、黒漆塗りの金物(しのがなもの)を綴った篠籠手を、荒縄を巻いて締めている。火縄銃の扱いを踏まえ、手袋は片手のみ着用。
膝甲は、胴から吊るす伊予札の草摺(くさずり)のみ。遠乗りを好む信長にとって、乗馬の邪魔になる佩楯(はいだて)は無用だったのだろう。
脛当は、右足のみ立挙付きの篠脛当、右足は練り革を巻いた脚絆を、幅広の革紐で固定している。立膝で火縄銃を使うことを想定した実用的な組み合わせだが、傾奇者だった信長らしく見た目も粋である。

江北の雄の鎧

江北の雄の鎧 江北の雄の鎧(背面)

江北の雄の鎧(こうほくのゆうのよろい)は、浅井長政が着用した当世具足。長政は幼名の猿夜叉丸で呼ばれていたころから武勇に優れ、元服してからも見事な戦い振りを見せ領地を拡大。かつて江北の雄と呼ばれた浅井家の名声を取り戻した。
兜は、古風ながらも堅牢な筋兜で、その勇姿を鷹に例えられた長政らしく、鷹をモチーフとした前立となっている。
胴は、古風ながらも堅牢な胴丸に、藍染めの陣羽織を重ねる。各所に見られる亀甲柄は浅井家の家紋「三つ盛亀甲」にちなむ。
籠手は、鎖状の家地で左右が繋がれた指貫籠手で、やや重量があるが堅牢で着用しやすい構造となっている。
膝甲は、紺糸威の草摺(くさずり)に、同じく紺糸で威した大振りの佩楯(はいだて)を重ねる。小札は鉄地で重量があるが、近距離からの銃弾も防ぐ。
脛当は、黒漆塗の鉄板を筒状に合わせた筒脛当。立挙にも鉄が用いられ、膝まで守る。

燕尾の中鎧

燕尾の中鎧 燕尾の中鎧(背面)

燕尾の中鎧(えんびのちゅうよろい)は、近江国(現在の滋賀県)出身の戦国武将、蒲生氏郷(がもううじさと)が着用したという当世具足。氏郷は、幼少時に織田信長に見出されて重用され、各地で軍功をあげたほか、キリスト教に帰依し、レオンの洗礼名を授かった。
千利休(せんのりきゅう)に茶の湯を師事し、七哲(七人の高弟)の筆頭に列されている。戦場にあっても野山の趣に風流を感じ取り、たびたび筆を取ったとされる。審美眼に優れ、目の利く数寄者とは敵味方問わず心を通じたという。
兜は、数寄を凝らした燕尾形(えんぴなり)という変わり兜の一種。角のごときニ股の雄々しい尾が見る者を萎縮させる。
胴は、華美な装飾を極力廃した質素な桶側胴(おけがわどう)。重厚な細い鉄板を上下に並べて留めてある。
籠手は、装飾を施した薄い鉄板によるもの。筆や小物を扱いやすいよう容易に革手袋を着脱できる。
膝甲は、銀糸威の草摺(くさずり)。下端の飾りのみが本物の銀細工であるが目の肥えた者にしか判別できない。
脛当は、中折れ式の薄い鉄板札で、革当てと紐を使って裏側から固定する。

策士の鎧

策士の鎧 策士の鎧(背面)

策士の鎧(さくしのよろい)は、戦時に軍師や軍配者の役割を担った武士が着用した具足。本陣にあって大将に様々な献策をするのが常であり、最前線に立って戦うことは稀だった。
兜は、黒漆塗の瓜形兜。目の周りと鼻を覆う奇妙な面頬(めんぼお)は、本人かどうかを問者に判別させないための工夫である。
胴は、南蛮風の小袖の上に満智羅(まんちら)を重ねる。満智羅には亀甲金が縫い込まれており、並みの斬撃ならば刃を通さない。
籠手は、長い鉄板を並べて繋げた篠籠手。上腕には鎖帷子が縫い付けてあるが、全体としては軽量な作りになっている。
膝甲は、短い草摺(くさずり)のみで、床に腰掛ける際に邪魔にならないような作り。
脛当は、黒い伊賀袴に篠脛当。軽さと動きやすさを重視した作りではあるが、必要十分な防御性能も備えている。

板金の中鎧

板金の中鎧 板金の中鎧(背面)

板金の中鎧(いたがねのちゅうよろい)は、平らに加工した鉄材で作られた当世具足。
兜は、南蛮兜に改良を施した頭形兜で、後立に鳥毛の飾りが配されている。
胴は、西洋甲冑の構造に似せた重厚な南蛮胴で、前面中央を盛り上げた形状は鉄砲攻撃に対しても高い防御力を持つ。
籠手は、弓などを扱いやすい片籠手(かたごて)の形式をとり、重装の左腕に対して、右腕は軽装となっている。
膝甲は、西洋甲冑を模した重厚な草摺(くさずり)の下に、横長の鉄板を連ねた佩楯(はいだて)を重ね、腰周りから腿を保護する。
膝を保護する立挙(たてあげ)を含め、西洋甲冑を意識した意匠となっている。

覇王の着背長

覇王の着背長 覇王の着背長(背面)

覇王の着背長(はおうのきせなが)は、乱世の覇王の異名を取った織田信長所用の南蛮具足。着背長とは、有力大名が着用する豪華な鎧を讃えた言葉。信長は、天下布武を掲げて統一に乗り出すも配下の裏切りを受け志半ばで散った。その戦略は、西欧から来訪した宣教師を保護して交易を盛んにするなど先進性が高く、日本の歴史に大きな転換をもたらしたとされる。
胴は、欧州より持ち込まれた王侯用の甲冑を国内で再加工した南蛮胴。分厚い一枚の鉄板から成り、緻密な浮き彫が前背両面に施されている。
籠手は、二枚の半筒状の鉄板を蝶番で閉じたもの。鎖帷子と組み合わせ、指先までを保護できる。胴と同じ意匠の浮き彫が施されている。
膝甲は、胴の意匠に合わせて国内の職人が製作したもので、二色の糸を用いた素懸威(すかけおどし)。小札(こざね)および板札(いたざね)を隙間なく連結している。
脛当は、二枚の半筒状の鉄板を留め具で合わせたもの。前部に浮き彫がある他、立挙(たてあげ)には円形の金飾りが配置されている。

金吾の中鎧

金吾の中鎧 金吾の中鎧(背面)

金吾の中鎧(きんごのちゅうよろい)は、小早川秀秋が所有した当世具足。金吾とは秀秋の得た官位、左衛門督(さえもんのかみ)の別称。秀秋は豊臣秀吉の義理の甥で一時秀吉の養子となったが、のち小早川家に移された。生来、秀吉の親族であるため権勢は大きかったが、豊臣家に秀頼が誕生してからは中央から遠ざけられて人望を失い、不遇の身を嘆いていたとされる。
兜は、黒漆の鉢に、金色に輝く剣の立物。大きく広げた吹返しには白い筋模様が描かれ、鳥の翼または兎の耳を模したものとされている。
胴は、黒漆塗の鉄板による桶側胴(おけがわどう)で、西洋甲冑を参考にした喉輪(のどわ)には金飾りが施されている。
籠手は、二枚の半筒状の鉄板を組み合わせたもので、組み紐などで固定し、肘から手甲までを保護できる。
膝甲は、鉄板を敷き詰めた佩楯(はいだて)に、黄糸威(きいとおどし)の小札(こざね)の草摺(くさずり)を重ねている。
脛当は、黒漆塗の鉄板を重ねて紐で固定したもので、わらじや足袋の上に重ねて装着する。

西国無双の鎧

西国無双の鎧 西国無双の鎧(背面)

西国無双の鎧(さいごくむそうのよろい)は、比類なき武勇を誇り、西国一の猛将とされた立花宗茂が着用した当世具足。宗茂は大友家臣として名を上げ、豊臣秀吉への臣従後も、島津、加藤、黒田家など強豪並み居る九州で数々の戦役に臨み、常にこの具足に身を包んで陣頭に立った。
兜は南蛮兜を元に改良を施された鉢を持ち、脇立に大振りな月輪(がちりん)が燦然と輝く。後立にも鳥毛の飾りが配されている。月輪の意匠は別名「輪貫(わぬき)」とも呼ばれ、護身を司る神・摩利支天(まりしてん)の象徴として立花家で尊ばれた。
籠手は方籠手(かたごて)の形式で、全体を鉄板で覆った重装の左手に対し、右手は動きを妨げない軽装にし、指抜きの構造にすることで弓などの武器を扱いやすくしている。
膝甲は、西洋の甲冑を参考にした重厚な板札(いたざね)の小具足と、紺糸と組み合わせた鉄小札(こざね)とから成り、腰周りから腿を保護する。
脛当は複数の鉄板を組み合わせた板札(いたざね)で脛の上に重ねて着用する。鉄板に鋲を通して裏側から組紐などで接合する構造になっており、紐が露出せず破損しにくい。

惟任日向守の鎧

惟任日向守の鎧 惟任日向守の鎧(背面)

惟任日向守の鎧(これとうひゅうがのかみのよろい)は、明智光秀所用と伝わる当世具足。光秀は朝廷より惟任の姓を賜り、官位とあわせて惟任日向守と呼ばれた。
兜は、長鳥帽子を模した形状の変わり兜で、前立ては三日月に明智家の定紋「桔梗」があしらわれている。
胴は、鉄地に黒漆塗りを施した南蛮胴で、中央に立てられた鎬(しのぎ)によって受けた衝撃を左右に逃がす構造となっている。
籠手は、鉄地に黒漆塗りを施した籠手。留め紐に細かな意匠が凝らされているあたり、文化人の光秀らしさが垣間見える。
膝甲は、鉄地の小札を素懸威した草摺(くさずり)のみ。南蛮胴が重い分、佩楯(はいだて)を廃して全体的な重量のバランスをとっている。
脛当は、黒漆塗りの金物(しのがなもの)を用いた篠脛当。留め紐に細かな意匠が凝らされているあたり、文化人の光秀らしさが垣間見える。

祈月の闘将の鎧

祈月の闘将の鎧 祈月の闘将の鎧(背面)

祈月の闘将の鎧(きげつのとうしょうのよろい)は、出雲国(現在の島根県東部)の尼子(あまご)家に仕えた山中幸盛(やまなかゆきもり)、通称鹿之助(しかのすけ)が所有したとされる当世具足。尼子家の毛利家への降伏後も幸盛は主家再興に闘志を燃やし、抜群の逸材を意味する麒麟児の異名で山陰に知れ渡った。我が身を顧みず「七難八苦(七種の災難と八種の苦難)を与えたまえ」と夜空の三日月に戦功を祈った逸話が残る。
兜は、滑らかな曲線の頭形兜(ずなりかぶと)に三日月の前立と、鹿角の脇立を打ったもの。古来月は太陽と同様に、光を司る摩利支天(まりしてん)の化身とされている
胴は、重厚な鉄板を用いた桶側胴(おけがわどう)で、胸当てを足して強度を増してある。黒漆塗りの小札から成る袖鎧が付属する。
籠手は、筒状の革小札と鉄板を組み合わせたもので、柔らかい鹿革の手袋が指先を保護する。
膝甲は、白糸威の黒小札の佩楯(はいだて)の上に、段階的に塗り色を切り替えた草摺(くさずり)を重ねて着用する。無数の星が輝く夜空が意匠の元になっている。
脛当は、黒漆で塗られた鉄板を山型に湾曲させ、革当てと組み合わせたもの。空色の紐糸による簡素な飾りが夜空の流星を思わせる。

侍大将の中鎧

侍大将の中鎧 侍大将の中鎧(背面)

侍大将の中鎧(さむらいだいしょうのちゅうよろい)は、さる大名家で武名を馳せた侍大将が所用したと伝わる当世具足。
兜は、鉄製の鉢に長毛を被せた乱髪兜(らんぱつかぶと)で、前立に鍬形(くわがた)を飾る。
胴は、鉄板を鋲で留め合わせた桶側胴(おけがわどう)。継ぎ目は黒漆で塗り固めてある。
籠手は、二枚の鉄板を蝶番で合わせたもので、装着後に紐で固定する。
膝甲は、鉄製の板札(いたざね)を五段に綴った草摺(くさずり)で、主に腰部を保護する。
脛当は、細長い鉄板を縦に並べて編み込んだ脛当(しのすねあて)。膝を守る立挙(たてあげ)は小さな鉄板を亀甲状に縫い包んである。

古強者の中鎧

古強者の中鎧 古強者の中鎧(背面)

今孔明の鎧

今孔明の鎧 今孔明の鎧(背面)

大傾奇の鎧

大傾奇の鎧 大傾奇の鎧(背面)

陰陽武者具足

陰陽武者具足 陰陽武者具足(背面)

独眼竜の中鎧

独眼竜の中鎧 独眼竜の中鎧(背面)

清廉なる義の鎧

清廉なる義の鎧 清廉なる義の鎧(背面)

日本一の兵の鎧

日本一の兵の鎧 日本一の兵の鎧(背面)

肥後の虎の鎧

肥後の虎の鎧 肥後の虎の鎧(背面)

若武者の中鎧

若武者の中鎧 若武者の中鎧(背面)

大型八龍

大型八龍 大型八龍(背面)

討魔頭の鎧

討魔頭の鎧 討魔頭の鎧(背面)

討魔頭の鎧(とうまがしらのよろい)は数々の妖怪退治譚に名を残す英雄、源頼光が着用したとされる鎧。源頼光は家臣である頼光四天王を率いて京の平安を守るのに多大な貢献をした。そのため、朝廷に厚く信任され、後の源氏一門の隆盛へと繋がった。
烏帽子は、薄い絹の袋に黒漆を塗って仕立てた立烏帽子(たてえぼし)。巻きつけた紅白二本の紐を垂らして顎の位置で結んで留める。前頭部の辺りには金具を付け、急所を守っている。
胴は、濃い青の小札を黒糸で威してある。左胸の鳩尾板(きゅうびのいた)は丸みを帯びた珍しい形状で、邪を祓う効果がある特殊な文様を白色で入れてある。右肩は簡易的な大袖のみ。一方、左肩にはあやかしの素材を埋め込んだ、勇ましい意匠の大袖を装着する。
籠手は、両腕に装着する諸籠手(もろごて)。右腕は手首から肩にかけて、板金を装着して保護する。左腕はあやかしの皮で作った、特製の籠手ですっぽり覆って守る。左右で装備に差を設けているのは、左を敵に向けて半身で戦うことを想定しているからであろう。
膝甲は、腰回りを守る草摺(くさずり)の下に、右側のみ脛に届くほど長大な佩楯を重ね、護符を張り付けてあやかしの攻撃に耐性を持たせている。複数ぶら下げた革の帯は、先端に刃が取り付けられており、立ち回り次第で武器にもなる。
脛当は、丈夫な革製のものを橙の紐で締める。頼光が懇意にしていた陰陽師の手で退魔の祈祷が施してあり、半端なあやかしの攻撃は弾かれる。

討鬼猛勇の鎧

討鬼猛勇の鎧 討鬼猛勇の鎧(背面)

討鬼猛勇の鎧(とうきもうゆうのよろい)は源頼光に仕え四天王と呼ばれた四人の強者の筆頭、渡辺綱(わたなべのつな)が着用したとされる鎧。綱はその武勇と豪胆さで知られ、一条戻橋で襲ってきた鬼の腕を切り落とした逸話をはじめ、数々の鬼退治の伝承に登場している。
兜は、豪奢な金の鍬形を付けた星兜。前頭部の中央の前立は、渡辺氏の家紋である「渡辺星」を金でかたどっている。兜の左右の吹き返しにも本彫金が施され、堂々たる姿で敵を圧倒する。
胴は、朱漆と黒漆を塗った小札を列ごとに色が規則的に並ぶよう威してある。左肩を守る独特な形状の大袖は、頼光から下賜されたもの。あやかしの素材が埋め込んであり、軽くて頑丈。背中に小さく仕立てた外套をまとっているのは、伊達者として有名な綱ならではである。
籠手は、革と金属を組み合わせたもの。手先を覆う革製の手甲は、頼光から下賜された黒漆塗りの一品。手首から肩にかけては、複数の板を金具や紐で取り付けて保護する。
膝甲は朱漆塗りの小札を黒糸で威した草摺(くさずり)で、腰回りを守る。前後の草摺は足を動かしやすいよう、中央で二つに分かれている。
脛当は、鉄板を組み合わせて構成された筒脛当を、赤い紐で固定する。足先は正装の貫(つらぬき)ではなく、機動力を優先し、使いなれた下駄を履く。

夢見し鬼の鎧

夢見し鬼の鎧 夢見し鬼の鎧(背面)

夢見し鬼の鎧(ゆめみしおにのよろい)は、完全な荒魂となり人と決別する前の大嶽丸が着用した鎧。大嶽丸は人々のためを思って悪人どもを殺したが、それが誤解を生むきっかけとなったという。
面具は、鉄板を加工して作られた半首(はつぶり)で、額から両頬にかけてを保護する。両眉の上には大きな鬼の角の飾りがあり、敵を威圧する。
上衣は、薄紫と赤茶色の布を組み合わせた片身替り(かたみがわり)のもの。大嶽丸が人里にいたころ、彼の身体に合う上衣がなかったため、村人が2枚の別の上衣を仕立て直して作ってくれた。
籠手は、黒漆を塗った革の筒と金物を組み合わせたもの。大嶽丸は右手で刀を持ち、左腕はもっぱら防御に用いていた。
膝甲は、腰から下げた四間の草摺(くさずり)。表面は鉄がむき出しになっているが、一部には黒漆で火焔を思わせる意匠が入っている。もとは村を襲った武士崩れの賊が身に着けていた品。揃いの胴は大嶽丸が賊を返り討ちにした際、粉々に壊れ、膝甲だけが残った。
脛当は、黒漆塗りの半筒状の鉄板を黄色い紐で留め、脛の前面を守る。急所を保護しっつ、動きやすさも兼ね備えた防具。

鈴鹿の戦装束

鈴鹿の戦装束 鈴鹿の戦装束(背面)

鈴鹿の戦装束(すずかのいくさしょうぞく)は、大嶽丸の妹である鈴鹿が戦に臨むにあたって着用した防具。守護霊を失う前の鈴鹿は常人を超えた身体能力を持ち武芸にも秀でていたが、荒魂となった大嶽丸はそれ以上に強大であった。
額当は、紫と暗い赤色で意匠を入れた鉄板で額を保護する。両端にある赤い角のような装飾が、戦に臨む鈴鹿の覚悟と勇ましさを感じさせる。
胴は、鉄の表面がむき出しの小札を白糸で威してある。鎧の形を整えるため、通常は胸部に付ける絵韋(えがわ)を背面に装着する、珍しい形式の銅である。
籠手は、朱漆を塗った革の筒で手首から肘までを保護する。さらに、腕の外側には金物を取り付け、頑丈さを高めている。
膝甲は、鉄の表面がむき出しの小札をした四間の草摺(くさずり)。腰に巻いた薄紫の裳(も)からは、ほのかな香の匂いが漂う。
脛当は、黒漆を塗った半筒状の鉄板を組み合わせ、薄紫の紐で固定する。下端に、同じ薄紫の紐を短く切って束ねた飾りを付けているのが、鈴鹿らしい華やかさを感じさせる。

太初の侍の鎧

太初の侍の鎧 太初の侍の鎧(背面)

太初の侍の鎧(たいしょのさむらいのよろい)は、平安時代初期の伝説的武将、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の鎧を模して作られたとされる鎧。征夷大将軍に任じられ、大妖怪・大嶽丸(おおたけまる)の討伐をはじめとする数多の伝承に残る活躍をした忠臣・田村麻呂は、侍の理想像であり、精神的な祖といっても過言ではない。
兜は白塗に雲紋が施され、将軍の軍装に相応しい豪華な造り。頭立に飾られたヤクの毛が大軍の指揮官としての威厳を示す。前立は三鍬形(みつくわがた)に似るが、その形状は密教の法具「三鈷(さんこ)」を模している。
胴は、中国甲冑に似た様式で、革紐と甲釘で綴った鉄製の小札で胸部を覆う。細部に施された繊細な装飾や背面に下げた朱色のマントが、将軍としての威厳を滲ませている。
籠手は、なめした鹿革を筒状に巻いて固定したものに、厚地の黒袖を重ねる。手袋も鹿革製の丈夫な作り。
膝甲は、六間の草摺で(くさずり)腰部から大腿部を守る。腰から垂らした飾り布や飾り紐は高い官位を持つ貴人であることを示す。
脛当は、鹿革を重ねて筒状に巻いて固定したもの。ゆったりとした厚地の黒袴を重ね、足捌きの邪魔にならないよう裾の上を朱紐で結ぶ。威厳と実用性を兼ね備えた装い。