武器_近接_刀 のバックアップ(No.9)
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- 1 (2023-07-04 (火) 01:46:51)
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- 4 (2023-07-05 (水) 00:37:34)
- 5 (2023-07-25 (火) 01:46:07)
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- 8 (2023-08-08 (火) 14:04:59)
- 9 (2023-08-09 (水) 04:23:17)
- 10 (2023-08-09 (水) 21:05:18)
- 11 (2023-08-09 (水) 23:36:57)
- 12 (2023-08-10 (木) 15:20:33)
- 13 (2023-08-10 (木) 20:01:04)
- 14 (2023-08-11 (金) 02:56:20)
- 15 (2024-06-30 (日) 00:22:02)
- 16 (2025-05-30 (金) 03:37:57)
木刀
木刀(ぼくとう)は、剣術の稽古に用いる木製の刀。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。
美濃伝打刀
美濃伝打刀(みのでんうちがたな)は、美濃国の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃のバランスに優れている。
備前伝太刀
備前伝太刀(びぜんでんたち)は、備前国の刀工が鍛えた太刀。反りが深く、突きよりも斬りの攻撃に向いている。
備前伝打刀
備前伝打刀(びぜんでんうちがたな)は、備前国の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃のバランスに優れている。
大和伝太刀
大和伝太刀(やまとでんたち)は、大和国の刀工が鍛えた太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。
大和伝打刀
大和伝打刀(やまとでんうちがたな)は、大和国の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。
蜥蜴丸
蜥蜴丸(とかげまる)は、信越地方の伝承で語られる妖刀。ある男がこの刀を携えて近隣の村を悩ませる妖怪退治に向かったところ、妖怪のねぐらで返り討ちに遭ったが、この刀がひとりでに鞘から抜け、一刀のもとに妖怪を斬り捨てたという。しかし、のちに大飢饉によりその村が滅びてしまったことから、刀に関わった者全てに災いを為すともいわれる。
千手院太刀
千手院太刀(せんじゅいんたち)は、大和国千手院派の刀工が鍛えた太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。
千手院打刀
千手院打刀(せんじゅいんうちがたな)は、大和国千手院派の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。
備前長船
備前長船(びぜんおさふね)は、備前国邑久郡長船を拠点とした刀工集団、長船派によって鍛えられた太刀。
備前一文字
備前一文字(びぜんいちもんじ)は、備前国の刀工集団である一文字派が鍛えた打刀。「一」と銘打たれている。
当麻国行
当麻国行(たいまくにゆき)は、大和国当麻派の刀工、国行が鍛えた太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。
菊一文字
菊一文字(きくいちもんじ)は、備前国の刀エで福岡一文字派の祖、則宗が鍛えた打刀。則宗は後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた功績により菊紋を銘に入れることを許された。
無常刀
無常刀(むじょうとう)は、斎藤道三が佩用した刀。刀工は不明だが、一説では妖怪を狩る特殊な集団の技術が用いられている、とも。号の無常とは万物が生滅変化して移り変わり、同じ状態で留まり続けるものはないという仏教の考え方を表している。道三は千変万化する水に人生の真理を見出し、家紋を波を意匠としたものに改めたという。
保昌貞吉
保昌貞吉(ほうしょうさだよし)は、大和国保昌派の刀工、貞吉が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。
長船兼光
長船兼光(おさふねかねみつ)は、備前国の刀工、備前長船兼光が鍛えた太刀。江戸時代、刀剣の試し斬り役を務めていた山田浅右衛門により日本刀の最上級とされる最上大業物に選ばれている。
有動刀
有動刀(うどうとう)は、斎藤義龍が所持していた名刀。有動刀という号の由来は明らかではないが、美濃国・関の刀工、兼常(かねつね)の作として知られる。兼常を名乗った刀匠は複数いるが、この刀を鍛えた兼常は「手棒兼常」の異名を持ち、切れ味の鋭さで高く評価された。のちに織田信長から関鍛冶総領事に任じられている。
古備前友成
古備前友成(こびぜんともなり)は、備前国の名匠、友成の作による太刀。友成は山城国の三条小鍛冶宗近、伯耆国の大原安綱と並ぶ三名匠のひとり。備前物のうち、特に友成、正恒(まさつね)、包平(かねひら)らによる初期の古刀は古備前と呼ばれ、多くの武将によって愛用されたほか、進物としても喜ばれた。
九字兼定
九字兼定(くじかねさだ)は、美濃国の関の刀匠、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)による銘入りの打刀。裏銘に「臨兵闘者皆陣烈在前」の九字が打たれており、この名がついた。室町時代に発祥した歴代兼定のうち特に二代目、通称「之定(のさだ)」の作は至高とされ、武田信虎ら多くの武将の愛刀となっている。
彦右衛門一文字
彦右衛門一文字(ひこえもんいちもんじ)は、備前国の福岡一文字派の刀工によって鍛えられた名刀。銘には「一」とのみあり作者は不明ながら、同じく備前の長船(おさふな)派の作と肩を並べる名刀である。彦右衛門は持ち主である鳥居元忠の通称。元忠は幼い頃から徳川家康に近侍し苦楽を共にした腹心。三方ヶ原や長篠に参加して武田家と死闘を演じたほか、上田では真田家と戦い、豊臣家への臣従後も小田原征伐中に家康の窮地を救うなどの活躍を見せた。
実休光忠
実休光忠(じっきゅうみつただ)は、備前国の刀工集団・長船派の刀匠、光忠(みつただ)による打刀。号は、愛刀家として知られる三好実体が所持していたことに由来する。実休が討ち死にした際に分捕られ、その後織田信長に献上された。信長はこの刀を特に好んで差料とし、最期の地である本能寺においてもこれを振るったと伝えられている。
星切の太刀
星切の太刀(ほしきりのたち)は織田信忠が家督相続の際、信長より譲り受けた伝来の名刀。もとは仇討ちで知られる曾我兄弟の弟・五郎時致(ときむね)が使用した太刀と伝わる。作り変えにより、星のような金銀七色の光を放つ刀身を持ち、この名で呼ばれた。本能寺の変の後、ヤスケは二条城の信忠のもとへ加勢に駆けつけ、この太刀を授かったという。







































































































