武器_近接_二刀 のバックアップ(No.8)


木刀二刀

木刀二刀 木刀二刀(納刀)

木刀二刀(ぼくとうにとう)は、剣術の稽古に用いられる、二振り一対の木製の刀。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。

美濃伝打刀二刀

美濃伝打刀二刀 美濃伝打刀二刀(納刀)

美濃伝打刀二刀(みのでんうちがたなにとう)は、美濃国の刀工が鍛えた、大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃のバランスに優れている。

美濃伝太刀二刀

美濃伝太刀二刀 美濃伝太刀二刀(納刀)

美濃伝太刀二刀(みのでんたちにとう)は、美濃国の刀工が鍛えた、大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、馬上から振り下ろすなど斬る攻撃に向いている。

相州伝打刀二刀

相州伝打刀二刀 相州伝打刀二刀(納刀)

相州伝打刀二刀(そうしゅうでんうちがたなにとう)は、相模国の刀工が鍛えた大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。

相州伝太刀二刀

相州伝太刀二刀 相州伝太刀二刀(納刀)

相州伝太刀二刀(そうしゅうでんたちにとう)は、相模国の刀工が鍛えた大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。

野晒し・白枝

野晒し・白枝 野晒し・白枝(納刀)

野晒し・白枝(のざらし・しろえだ)は大小一対の妖刀。剣理を求めて回国修行に出た男が、開眼できぬまま病を得て客死した。風雨に晒され続けて朽ちた刀と屍は、いつしか溶け合うがごとく一体となり妖刀と化したと伝えられる。妖刀に宿った念は、いまでも剣理を求め続けているという。

関物打刀二刀

関物打刀二刀 関物打刀二刀(納刀)

関物打刀二刀(せきものうちがたなにとう)は、美濃国関の刀工が鍛えた大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。

関物太刀二刀

関物太刀二刀 関物太刀二刀(納刀)

関物太刀二刀(せきものたちにとう)は、名刀工の多い美濃国の関で鍛えられた、大小一対の太刀。一般の美濃物より強度、切れ味に優れる。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、馬上から振り下ろすなど斬る攻撃に向いている。

山姥の包丁

山姥の包丁 山姥の包丁(納刀)

山姥の包丁(やまんばのほうちょう)は人を食らう老女の妖怪、山姥が携えていた一対の包丁。犠牲者のものと思われる血と錆で汚れており、見るからに恐ろしい。一見切れ味は悪そうだが、人間離れしたカで二丁を擦り合わせることで研ぎ上げられており、刃先は十分に鋭利である。

関兼則二刀

関兼則二刀 関兼則二刀(納刀)

関兼則二刀(せきかねのりにとう)は、美濃国関の刀工、兼則が鍛えた大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。

関兼吉二刀

関兼吉二刀 関兼吉二刀(納刀)

関兼吉二刀(せきかねよしにとう)は、美濃国関の刀工、兼吉が鍛えた大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。

宗三左文字・松倉江

宗三左文字・松倉江 宗三左文字・松倉江(納刀)

宗三左文字・松倉江(そうざさもんじ・まつくらごう)は、今川義元が愛用した一対の名刀。大刀の宗三左文字は筑前国の刀工・左衛門三郎安吉(やすよし)が鍛造した太刀。銘として「左」の一字が刻まれていたが、磨上げ時に失われた。もと三好宗三(政長)の所有であったためこの名がある。小刀の松倉江は、伝説的刀匠・正宗の高弟とされる「正宗十哲」の一人、郷義弘(ごうのよしひろ)の作。越中松倉に住んでいたことから「松倉住」の銘があり、また「郷」を「江」とも称したことから、この名がある。

来国次二刀

来国次二刀 来国次二刀(納刀)

来国次二刀(らいくにつぐにとう)は、山城国来派の刀工、国次が鍛えた大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。

血染めの二丁鉈

血染めの二丁鉈 血染めの二丁鉈(納刀)

血染めの二丁鉈(ちぞめのにちょうなた)は、なまはげが好んで使う大型の鉈。二丁で一対。作業用の一般的な鉈と異なり、切断よりも相手に打撃を与えることを重視している。牙のような鋭利な突起が複数つけられ、犠牲になった者の血が乾いてこびりついたままになっている。

和泉守兼定二刀

和泉守兼定二刀 和泉守兼定二刀(納刀)

和泉守兼定二刀(いずみのかみかねさだにとう)は、美濃国の関の刀匠、和泉守兼定による銘入りの打刀。大小一対。室町時代を発祥とする歴代の兼定のうち二代目、通称「之定(のさだ)」の作が高く評価され、武田信虎ら多くの武将の愛刀となっている。

長谷部国重二刀

長谷部国重二刀 長谷部国重二刀(納刀)

長谷部国重二刀(はせべくにしげにとう)は、山城国の刀工、長谷部国重の手による大小一対の名刀。国重は正宗(まさむね)十哲のひとりとして相州鍛冶の流れをくんでおり、織田信長から黒田官兵衛へ渡った名物、「圧切(へしきり)」の作者として特に著名である。

相州貞宗二刀

相州貞宗二刀 相州貞宗二刀(納刀)

相州貞宗二刀(そうしゅうさだむねにとう)は、相模国の刀工、真宗による大小一対の名刀。貞宗は、名匠・正宗(まさむね)の子とする説もあり、正宗から直に刀工の技術を学んだが正宗より早くに死去したといわれる。作風は正宗に近似して戦国武将らに好まれ、無銘の作が多いのも同じである。

大般若長光・鉋切

大般若長光・鉋切 大般若長光・鉋切(納刀)

大般若長光・鉋切(だいはんにゃながみつ・かんなぎり)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、長光が鍛えた大小一対の名剣。大刀の大般若長光には六百貫もの破格の値が付き、六百巻あるという「大般若経」になぞらえたのが名の由来。室町幕府十三代将軍、足利義輝から三好長慶(みよしながよし)に下賜され、織田信長、徳川家康を経て奥平信昌(おくだいらのぶまさ)の所有となる。小刀の鉋切は、近江国(滋賀県)の堅田又五郎(かたたまたごろう)という者が、伊吹山で乱心した大工に襲われ応戦すると、大工は鉋ごと真っ二つになリ姿を消したという伝説から名付けられた。六角(ろっかく)家に召し上げられ、織田信長を経て蒲生氏郷(がもううじさと)の手に渡った。

孫六兼元二刀

孫六兼元二刀 孫六兼元二刀(納刀)

孫六兼元二刀(まごろくかねもとにとう)は、美濃国の関の刀匠、兼元(かねもと)による銘入りの太刀。大小一対。戦国期に活躍した著名な二代目孫六(まごろく)兼元は初代和泉守兼定にも師事したとされ、彼の鍛えた刀は豊臣秀吉ら多くの武将に実用された。

不動国行・薬研藤四郎

不動国行・薬研藤四郎 不動国行・薬研藤四郎(納刀)

不動国行・薬研藤四郎(ふどうくにゆき・やげんとうしろう)は足利将軍家に伝来した、大小一対の名刀。足利義輝を謀殺した松永久秀が奪い愛刀とした。大刀の不動国行は来派(らいは)を代表する刀工・国行の作で不動明王の浮き彫りが施され、この名で呼ばれる。小刀の薬研藤四郎は粟田口(あわたぐち)派・藤四郎吉光(よしみつ)の作。かつてある大名がこの小刀で自害を試みたが腹に刺さらず、諦めて放り投げると硬い薬研を貫いて刺さったという伝説が残る。久秀の守護霊の糸繰(いとくり)を模した蜘蛛の飾りや鍔(つば)が付属する。

相州正宗二刀

相州正宗二刀 相州正宗二刀(納刀)

相州正宗二刀(そうしゅうまさむねにとう)は、相模国の刀工、正宗による大小一対の名刀。正宗は、通称「五郎正宗」とも呼ばれ、相州正宗の名を日本の名刀の代名詞となるほどまでに高めた屈指の名匠である。鋭い切れ味や品位ある美観は戦国武将らの憧憬の的であったが、無銘の作が多いため贋作も少なからず出回った。

籠釣瓶村正・猪切

籠釣瓶村正・猪切 籠釣瓶村正・猪切(納刀)

籠釣瓶村正・猪切(かごつるべむらまさ・いのししぎり)は、伊勢国の刀工である村正派によって鍛えられた大小一対の名刀。大刀の籠釣瓶とは、特に切れ味に優れる業物に打った截断銘の一種で、籠で作った釣瓶では水が漏れてしまうことから、水滴さえも留めぬ切れ味を意味する。小刀の猪切は、徳川家の酒井忠次が狩りで使用し、猪を切ったためこの名が付いた。猪切の作者は村正派のうち三河国に渡った藤原正真であり、他にも本多忠勝の愛槍・蜻蛉切(とんぼきり)を製作している。

郷義弘二刀

郷義弘二刀 郷義弘二刀(納刀)

郷義弘二刀(ごうのよしひろにとう)は、越中国(現在の富山県)の名工、郷義弘が鍛えた大小一対の刀。郷義弘は伝説的刀匠・相州五郎正宗の高弟とされる「正宗十哲」の一人。彼の刀は非常に高く評価されており、師である正宗と、短刀の名手・藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)の二人とあわせて天下三作と称えられた。

二つ銘則宗・骨喰藤四郎

二つ銘則宗・骨喰藤四郎 二つ銘則宗・骨喰藤四郎(納刀)

二つ銘則宗・骨喰藤四郎(ふたつめいのりむね・ほねばみとうしろう)はともに足利尊氏の佩刀であったとされる大小一対の宝刀。足利将軍家に伝来し、足利義輝が所有する。大刀の二つ銘則宗は備前国一文字派・則宗による太刀だが、二つ銘の通称の由来は不明である。「小竹切り」とも。華々しい装飾が施され、外装は「笹丸拵え」「篠作り」の別号でも呼ばれる。小刀の骨喰藤四郎は山城国粟田口(あわたぐち)派の藤四郎吉光(よしみつ)による鍛造。薙刀の刃を切り詰めて小刀にしたもので、斬る真似をするだけで骨を砕くほどの傷を与えるため、この名が付いた。

獅子王・骨食

獅子王・骨食 獅子王・骨食(納刀)

獅子王・骨食(ししおう・ほねくい)は、ともに「平家物語」などで語られる源氏伝来の大小一対の名刀。宮中の警備を任された源頼政は黒雲から湧いて現れた怪鳥・鵺(ぬえ)を討ち、褒美として朝廷よりこの大刀・獅子王を下賜されたとされる。獅子王の号の由来は不明で無銘ながらも大和国の刀工による鍛造と思われる。また、源頼政が鵺を討つ際、配下に命じてとどめを刺すのに使ったのが小刀の骨食だとされている。

大包平・鶯丸

大包平・鶯丸 大包平・鶯丸(納刀)

大包平・鶯丸(おおかねひら・うぐいすまる)は、ともに備前国の刀工による大小一対の名刀。大刀の大包平を鍛えた包平は、助平(すけひら)、高平(たかひら)ともに「備前三平(さんひら)」と呼ばれる名工で古備前派に属する。この刀は包平の作のうち群を抜く傑作とされて「大」の字を冠され、池田輝政に渡った後、池田家に代々受け継がれた。小刀の鶯丸は、古備前の祖とされる友成(ともなり)の作とされ、ほのかな鶯色を模した刀身は美しいのみならず、妖しい霊気を孕んでいると考えられる。

大江・長銘正宗

大江・長銘正宗 大江・長銘正宗(納刀)

大江・長銘正宗(おおごう・ながめいまさむね)は、藤吉郎が一対で用いた名刀。秀吉は数多くの刀を収集したが、なかでも相州五郎正宗(そうしゅうごろうまさむね)、郷義弘(ごうのよしひろ)、藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)の作を好んだという。大刀の大江は郷義弘の手になるもので、彼の刀の中で最上の出来とされ、かつ磨り上げ前は長大であったことが名の由来となっている。小刀の長銘正宗は相州五郎正宗の作。住国・姓名・名乗り・製作年月日など詳細な情報を含んだ長い銘が刻まれていることからこの名がある。

髭切・膝丸

髭切・膝丸 髭切・膝丸(納刀)

髭切・膝丸(ひげきり・ひざまる)は源氏一門に伝わる、大小一対の伝説の太刀。刀工の名は不詳だが平安時代に源満仲の指示により製作されたと伝わる。敵を斬りつけた際、大刀の髭切はその髭をことごとく寸断し、小刀の膝丸は両膝を一刀で薙ぎ払うほどの、すさまじい切れ味を誇る。また、酒呑童子の征伐で有名な源頼光は膝丸で土蜘蛛を討ったとされている。のち甲斐武田家など複数の武家に家宝として伝承されたが、本物の二刀がどれであるか判明しないという。

七星剣・丙子椒林剣

七星剣・丙子椒林剣 七星剣・丙子椒林剣(納刀)

七星剣・丙子椒林剣(しちせいけん・へいししょうりんけん)は、ともに大坂の四天王寺に伝わる大小一対の宝刀。聖徳太子が愛用したと伝わる。大刀の七星剣の刀身には北斗七星が象られており、死を司る大いなる力が宿るとされている。小刀の丙子椒林剣には「丙子椒林」の四文字が象嵌されているためこの名があるが、丙子は制作された年の干支、椒林は作者名だと考えられる。大小ともに意匠には大陸伝来の道教が強く影響しており、使用者の力量に応じて強大な霊力を引き出せるといわれる。

敦賀正宗・包丁藤四郎

敦賀正宗・包丁藤四郎 敦賀正宗・包丁藤四郎(納刀)

敦賀正宗。包丁藤四郎(つるがまさむね・ほうちょうとうしろう)はともに足利将軍家に伝来する、大小一対の名刀。大小ともに刀身全体にわたって華麗な浮き彫りが施されている。豊臣家を経て大谷吉継が所有。大刀の敦賀正宗は相模国の刀匠・正宗による太刀で、敦賀城主であった吉継の差料であったためこの名が付いている。小刀の包丁藤四郎は山城国粟田口(あわたぐち)派の藤四郎吉光(よしみつ)の手による小刀。包丁のように極端に薄く鋭い刀身を持ち、かつて鬼女となって現れた楠木正成の怨霊の腕を斬り落としたとの伝説が残る。

燭台切光忠・鎬藤四郎

燭台切光忠・鎬藤四郎 燭台切光忠・鎬藤四郎(納刀)

燭台切光忠・鎬藤四郎(しょくだいきりみつただ・しのぎとうしろう)は、伊達政宗が愛用した大小一対の刀。大刀の燭台切光忠は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、光忠が鍛えた刀。政宗が家臣を斬った際に、燭台ごと切り落としたことからこの名がある。小刀の鎬藤四郎は、山城国(京都府)粟田口(あわたぐち)派の名工、吉光(よしみつ)が鍛えた短刀。鎬造りに特徴がある。

太郎坊兼光・レイピア

太郎坊兼光・レイピア 太郎坊兼光・レイピア(納刀)

太郎坊兼光(たろうぼうかねみつ)・レイピアは賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明(かとうよしあき)が一対で用いた日本刀と西洋細剣。どちらも豊臣秀吉からの拝領品で、ニつの武功によりそれぞれ一振りずつを授かった。太郎坊兼光は備前国長船派の名工として名高い兼光の作で、愛宕山に奉納されていたものを秀吉が別の刀を代わりに納めて取り出し、愛宕山を守護する大天狗の名にちなんで太郎坊と名付けたという。レイピアは西洋からの伝来品を刀鍛冶が調査し模作したもので、日本独自の技術が使われている。

一期一振・親子藤四郎

一期一振・親子藤四郎 一期一振・親子藤四郎(納刀)

一期一振・親子藤四郎(いちごひとふり・おやことうしろう)は、山城国(現在の京都府)粟田口(あわたぐち)派の名工、藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)が鍛え、藤吉郎が一対で用いた名刀。大刀の一期一振は、吉光が太刀をこの一振りしか作らなかったことが由来となっており、秀吉が最も愛した刀とされる。小刀の親子藤四郎は、昔より同作の短刀が添えられていたため親子と名付けられたという。ただし短刀は今では失われており、一期一振と対で用いることにより改めて親子と見立てたものと考えられる。

小烏丸・抜丸

小烏丸・抜丸 小烏丸・抜丸(納刀)

小烏丸・抜丸(こがらすまる・ぬけまる)は平家一門に伝わる、大小一対の伝説の名刀。大刀の小烏丸は、伝説の刀工天国(あまくに)により伊勢神宮の大鳥の羽から作られ、のち朝廷から平貞盛へ下賜された。小刀の抜丸は、童子切(どうじぎり)で有名な大原安綱の子の鍛造とされ、平清盛の父・忠盛が池の大蛇に襲われた際、自ら鞘から抜けて忠盛を守り、その名の由来となったという。また、大木の根元に立てかけると翌朝には大木が枯れるため、別名「木枯(こがらす)」とも。平家滅亡の際、二刀とも行方不明になった。

百鬼の二刀

百鬼の二刀 百鬼の二刀(納刀)

百鬼の二刀(ひゃっきのにとう)は、鬼の意匠が施された一対の刀。銘が刻まれていないため誰の作かは不明だが、鬼気迫る出来映えで見る者の目を奪う。鬼を冠する多くの言葉が示すとおり、日本において鬼とは強さの象徴である。この二刀は、力や技といった理を超えた鬼の強さにあやかろうとしたものであろう。

癡・あざ丸

癡・あざ丸 癡・あざ丸(納刀)

癡・あざ丸(ち・あざまる)は、平景清が所持したという大小一対の刀。軍記物語「太平記」によると、大刀の癡は仏教において克服すべき三つの煩悩のうち一つの名を持つ妖刀。その意味は、正しい教えを知らないがゆえの迷い、であるという。小刀のあざ丸は古備前助平(すけひら)の作とされる。景清が刀に顔を映すと、顔のあざと同様の影が刀身にも残ったという伝承からこの名がある。

血吸・蜘蛛切

血吸・蜘蛛切 血吸・蜘蛛切(納刀)

血吸・蜘蛛切(ちすい・くもきり)は、源頼光が所持したという一対の名刀。血吸は伯耆国の名工・大原安綱が打った刀で、伊勢神宮に奉納されていたが託宣により頼光に授けられたという。蜘蛛切は、多田源氏の祖、源満仲の命で作られた二振りの名刀の一つ。満仲の子、頼光に受け継がれ、この刀をもって土蜘蛛を討ったことから蜘蛛切の名で呼ばれるようになった。

大通連・小通連

大通連・小通連 大通連・小通連(納刀)

大通連・小通連(だいとうれん・しょうとうれん)は大嶽丸が所持していた三振りの宝剣「三明の剣」のうち、対になっている二振り。「田村の草子」によると三明の剣は阿修羅の王から大嶽丸に与えられたもので、それぞれが一薙ぎで千人を倒す殺傷力を持つという。大通連と小通連はもともとは文殊菩薩によって作り出されたもので、さまざまな神通力を備えているとされる。