防具_シリーズ_重装 のバックアップ(No.7)


伝家の大鎧

伝家の大鎧 伝家の大鎧(背面)

伝家の大鎧(でんかのおおよろい)は、武門の家に代々伝えられてきた品と思われる甲冑。戦国時代には大量生産に適した甲冑である当世具足が主流となっていたが、先祖代々の鎧を持つ武士は誇りとともにそれを用いた。
兜(かぶと)は、長烏帽子形に日輪の前立があしらわれている。左右に跳ね上がるように付く吹返は、頭部の保護と共に威儀的な意味合いが強い。付属する白髭の面具は「烈勢面頬(れっせいめんぼお)」と呼ばれ、怒りに満ちた表情が見る者を威圧する。
胴(どう)は、紺糸を素懸威した四枚胴。腰に締められた朱色の太い緒が、着用者の力強さを誇示する。
籠手(こて)は、篠と呼ばれる細長い鉄板が隙間なく綴られ、見る者に堅牢な印象を与える。
膝甲(ひざよろい)は、前後六枚の草摺の下に大判の佩楯を垂らす。その重厚な佇まいは、見る者を畏怖させる。
脛当(すねあて)は、黒塗の小札を綴ったもので、当世具足ではあまり見られない様式。見る者が見れば、その価値に気づくことだろう。

野武士の大鎧

野武士の大鎧 野武士の大鎧(背面)

野武士の大鎧(のぶしのおおよろい)は、山野に潜伏して近隣から略奪を働いた、武士くずれのならず者が着用した鎧。
兜は、吹返のない簡素な形状の筋兜。手入れされておらず、細かい傷や汚れが付いている。
胴は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。手入れされておらず、細かい傷や汚れが付いている。
籠手は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。多くの戦を経て、細かい傷や返り血の痕跡がある。
膝甲は使い込まれているようで腰を守る草摺(くさずり)の鉄はくすんでおり、太腿を守る佩楯には古い血の跡がかすかに滲んでいる。
脛当は薄汚れており、束ねた鉄の板には泥や古い血の跡がこびりついている。

寄騎衆の鎧

寄騎衆の鎧 寄騎衆の鎧(背面)

寄騎衆の鎧(よりきしゅうのよろい)は、寄騎の立場にあった武士が着用した具足。寄騎とは「与力」とも書き、大名の直臣ながら特定の有力家臣(寄親)の指揮下に置かれた武将。戦場では一軍の将として騎乗していることが多いため、鎧も騎乗戦闘を想定した作りとなっている。
兜は、実用性を追求した越中頭形(えっちゅうずなり)兜。寄親を憚ってか前立は付けられていない。
胴は、鉄板を鋲留めした鉄錆地塗の桶川胴。余計な装飾を廃した堅牢な作りとなっている。
籠手は、左右の袖が繋がった篠籠手。上腕部は当世袖の下に、さらに篠金物が縫い付けてあり、重量はあるが堅牢な作り。
膝甲は、素懸の草摺(くさずり)の下に佩楯(はいだて)。騎乗時は腰下を徒歩武者に狙われることが多いため、特に重厚な作りとなっている。
脛当は、鉄製の筒脛当。重みはあるが強靭に作られている。

美濃宿老の鎧

美濃宿老の鎧 美濃宿老の鎧(背面)

美濃宿老の鎧(みのしゅくろうのよろい)は、斎藤家の重臣として遇されていた美濃国の有力土豪が着用したとされる当世具足。なかでも稲葉・安藤・氏家の三家が権勢を誇り、美濃三人衆と呼ばれた。
兜は、黒漆塗の筋兜。左右に巨大な角状の脇立てを設け、見る者を威圧する。後頭部と首を保護する錣(しころ)は、湾曲した五枚の板を黒糸で威した饅頭錣。
胴は、黒漆塗の桶川胴。わずかな装飾として、縁起の良いニ重叶(にじゅうかのう)に結んだ飾り紐を、胸部から二本下げている。
籠手は、篠金物を綴った籠手を、紫色の紐で締めている。肩から上腕の部分は、袖と合わせて二重に保護されている。
膝甲は、黒漆塗この短めの草摺(くさずり)と、板札を紫色の糸で威した佩楯(はいだて)。佩楯は激戦の破損を防ぐため、外枠に特殊な金具を用いて耐久性を強化している。
脛当は、鉄地黒漆塗の筒脛当。赤い縄で締め、足回りをすっきりとまとめることで、機動力を高めている。

御供衆の鎧

御供衆の鎧 御供衆の鎧(背面)

御供衆の鎧(おともしゅうのよろい)は、室町時代の将軍の行列に随行する職責である御供衆の一人が使用したと伝わる甲冑。
兜(かぶと)は、黒漆塗の頭形兜(ずなりかぶと)。鉢の作りは頑丈で、実戦であまり意味がないとされる吹返を廃するなど、実用本位な作り。頭立に飾られた山鳥の尾は一見奇抜だが、軽量で邪魔にならない上に、広い戦場でもよく目立つため、合理的な装飾と言える。
胴(どう)は、鉄板を黒革で包んだ二枚胴。袖もつかず構造も簡略化されているが、軽量で動きやすい。また、見た目が地味な分、上に重ねる陣羽織が映えるのも特徴で、上質な陣羽織を着用することで家格の高さを顕示した。
籠手(こて)は、黒塗の鉄板三枚を繋いだ筒籠手。いざとなれば将軍を守る役目を負うため、十分な防御性能を持たせてある。
膝甲(ひざよろい)は、長めの草摺りを胴から下げる。作りは幅広の鉄小札を太めの緒で威した「大荒目(おおあらめ)」。古式の大鎧によく見られるもので、着用者の出自が由緒あする武家であることをさりげなく主張する。
脛当(すねあて)は、黒塗の鉄板四枚を繋いだ筒脛当。いざとなれば将軍を守る役目を負うため、十分な防御性能を持たせてある。

武将の大鎧

武将の大鎧 武将の大鎧(背面)

武将の大鎧(ぶしょうのおおよろい)は、一軍を率いるひとかどの武将が着用した鎧。
兜は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。獅子頭の前立と、水牛の角の脇立で飾られ、髭が付いた面具で顔を覆っている。
胴は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。一枚の鉄板で出来ており、重く頑丈で装飾性が高い。雪の下胴の名があり、仙台藩で多く使われたため仙台胴とも呼ばれた。
籠手は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。
膝甲は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。腰を守る草摺(くさずり)、太腿を守る佩楯(はいだて)が付いている。
膝当は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。腰を守る草摺(くさずり)、太腿を守る佩楯(はいだて)が付いている。

海道一の弓取の鎧

海道一の弓取の鎧 海道一の弓取の鎧(背面)

海道一の弓取の鎧(かいどういちのゆみとりのよろい)は、今川義元が着用したと伝えられる鎧。義元は駿河国を中心に東海道の大部分を支配下に収め、海道一の弓取と讃えられた。
烏帽子は、貴人が戦陣に出る際に着用する引立烏帽子と呼ばれるもの。足利将軍家に連なる今川家の格式の高さを物語る。
胴は、左胸の鳩尾(きゅうび)の板、右胸の栴檀(せんだん)の板を備えた伝統的な大鎧の形式を取るが、袖は小ぶりな当世袖するなど工夫が施されている。黒絹の陣羽織を重ねた装いは、足利一門の大将に相応しい気品と威厳を漂わせる。
籠手は、源義経に由来する義経籠手に似た様式。細部まで美しい意匠が施されている。
膝甲は、草摺(くさずり)、佩楯(はいだて)。札板の黒、威糸の赤、金物細工の金という配色が絶妙で、豪華に見せながら気品でも漂う。
脛当は、膝部に大立挙(おおたてあげ)のついた伝統的な様式で、今川家の家紋「赤鳥」が金蒔絵で描かれている。沓は貫(つらぬき)と呼ばれる毛沓。

守護大名の鎧

守護大名の鎧 守護大名の鎧(背面)

守護大名の鎧(しゅごだいみょうのよろい)は、幕府より守護職に任じられるほどの名家の当主が着用した具足。下剋上の世になり、戦国大名が乱立するようになっても、守護大名の権威は別格だった。
面具は、鉄地漆塗の「隆武頬(りゅうぶほお)」で、勇ましくも気高い表情で敵を圧する。首元を守る垂れも赤漆塗で豪華な作り。
胴は、横矧(よこはぎ)の桶川胴。奇をてらわない堅牢な作り。
籠手は、黒漆塗の筒籠手。名工の手で丁寧に作られた逸品。
膝甲は、長さが異なる草摺(くさずり)を組み合わせて下げる。
脛当は、黒漆塗の筒脛当。足先まで隙なく作りこまれている。

玄龍の大鎧

玄龍の大鎧 玄龍の大鎧(背面)

玄龍の大鎧(げんりゅうのおおよろい)は、斎藤義龍所用と伝えられる大鎧。玄龍とは義龍の死後に授けられた戒名、「雲峯玄龍居
士」に由来する。
兜は、鉄板を繋ぐ鋲を鉢の表に見せる小星兜で、前面に獅噛(しかみ)の前立て、側面に山羊の角のような脇立てが付けられている。顔を覆う面頬と相まって禍々しい雰囲気を醸している。
胴は、黒漆塗の桶川胴。「二頭波(立波)」の家紋が金蒔絵で描かれており、斎藤家の嫡子に相応しい鎧となっている。
籠手は、鉄地黒漆塗の筒籠手。最前線で太刀を振るって戦うことを想定していたのか、手甲まで重厚な作りとなっている。
膝甲は、毛引威の佩楯(はいだて)の上に陣羽織を重ねる。陣羽織の裾にも小札を縫い付けてある。重量はあるが堅牢。
脛当は、鉄地黒漆塗の筒脛当。最前線での組打ちを想定していたのか、足先まで隙の無い重厚な作りとなっている。

漆黒の大鎧

漆黒の大鎧 漆黒の大鎧(背面)

漆黒の大鎧(しっこくのおおよろい)は、織田信長に仕えた黒人の侍、ヤスケが着用した大鎧。ヤスケは、布教のために来日したイタリア人宣教師に伴われて信長に謁見、気に入られて武将として取り立てられた。見上げるほどの大男で「十人力の剛力」を誇る。この鎧は、ヤスケの巨体に合うように信長が特別に作らせたもの。
兜は、厚手の鉄を打ち出した鉢に、重厚な錏(しころ)が下がる。目の下までを覆う面頬(めんぽお)は天狗を模したはずが、弥助が着用すると魔神を思わせる容貌となる。
胴は、発達した筋肉の動きを妨げないよう胸部が大きく開かれ、織田家の家紋が象嵌された南蛮胴が腹部を守る。袖は左右異形で、左肩には鉄製の長大な大袖が下がる。
籠手は、左右異形で、右手が西洋甲冑のガントレットを模した重厚なものであるのに対し、左手は軽装で指を露出させた作りとなっている
膝甲は、下半身を覆う厚手の麻布の上から鉄製の佩楯(はいだて)を左腰に下げ、右腰には霊力を宿す二連の数珠を垂らしている。
脛当は、二枚の鉄板を筒状に合わせて蝶番で留めたもの。膝を守る立挙(たてあげ)には、織田家の家紋が象嵌されている。

探題の大鎧

探題の大鎧 探題の大鎧(背面)

探題の大鎧(たんだいのおおよろい)は、室町時代の重要な役職である探題の一人が使用したと伝わる大鎧。探題は中央から離れた地における政務の決定権・執行権を与えられた役職で、奥州・羽州・九州に置かれた。
兜(かぶと)は、椎実形の鉢に半月の前立。金箔地に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られており、探題の権威に相応しい美しくも品格のある外観を誇る。
胴(どう)は、浅葱糸を威した伝統的な腹巻の様式。小札は金箔の上に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られており、探題の権威に相応しい美しくも威厳に満ちた外観を誇る。
籠手(こて)は、黒漆塗の座盤に金箔が押され、美しくも凛とした外観を誇る。
膝甲(ひざよろい)は、草摺の下に大判の佩楯を垂らす。いずれも金箔の上に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られた小札を浅葱糸で威し、探題の権威に相応しい美しくも厳かな外観を誇る。
脛当(すねあて)は、七本の細い鉄板を綴った篠脛当で、金箔地に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られており、探題の権威に相応しい美しくも威風を備えた外観を誇る。

楯無

楯無 楯無(背面)

楯無(たてなし)は源氏一門が所持した伝説の鎧「源氏八領」の一領で、小桜韋威(こざくらがわおどし)の大鎧。盾が無用になるほど防御力が高く、この名が付いたとされる。甲斐武田家に伝わって家宝とされ、着用して出陣すれば決して傷を負わなかったという。
伝統的な形状の星兜は鉄板十枚を重ねて使用する堅牢なもので、金色の前立が猛々しい。左右の吹返しの表面には胴と対になる紋様があしらわれ、頬を守る面頬(めんぽう)も付属する。
胴は、複数の小さな鉄または革板を重ねて一枚の板状にした小札(こざね)の構造で、防御力は高いが重量は軽減される。肩から上腕部分を覆う大袖が付属し、飛来する矢などから身を守れる。
弓の多用を想定した片籠手(かたごて)で、左手に革製の大きな籠手を装着して接近戦に備え、右手には弓懸(ゆがけ)と呼ばれる革手袋を装備して弦を引く指を保護する。
膝甲は草摺とも呼ばれ、胴と同じ小札(こざね)の構造で動きを妨げにくい。徒歩で大鎧を着ると肩に大きな重量がかかるが、馬上だと馬鞍で重量を受け止められるよう設計されている。
脛当は革でできた筒状の長靴の上に薄い鉄板を重ね、紐で固定する。

東国無双の鎧

東国無双の鎧 東国無双の鎧(背面)

東国無双の鎧(とうごくむそうのよろい)は、徳川四天王のひとり、本多忠勝が所用した当世具足。忠勝は家康股肱の臣として熾烈な戦場を巡るが傷ひとつ負わず、豊臣秀吉にも東国無双の勇士と称えられた。黒糸で威(おど)した濃色の伊予札(いよざね)を基調に、要所を金飾りで覆って威風を高めてある。
兜は、脇立に雄々しい鹿角を配し、前立には獅噛(しかみ)と呼ばれる獅子の顔を置いた凄みのある意匠。古来、神聖な獣とされている鹿は俊敏さの象徴ともされ、その頑丈な角は決して折れぬ信念を表すという。
胴は、留め具を外して展開すると二枚の板状になる二枚胴。伊予の国の熟練工による小札(こざね)を素材とし、軽量頑丈で耐久性に優れた。袈裟懸けにした大数珠は戦場に散った将兵を弔うためだといわれる。
籠手は、胴と同色の鉄板二枚を湾曲させて手の甲まで覆う構造で、組み紐で固定し乱戦時などのずれを防ぐ。掌と指は露出するため、槍などを扱いやすくなっている。
膝甲は、熊の毛皮が垂れ下がった伊予札で、胴と同様の耐久力がありながら軽快。黒漆と金箔が大胆に用いられ、鮮やかな対比となっている。
脛当は、湾曲した鉄板を脛に押し当て、組み紐などで固定する形式。補強および緩衝のため、麻や革などの素材を組み合わせたもの。鉄板が足の甲に当たって歩行を妨げぬよう、最下部には浅く反りが入る。

重き大義の鎧

重き大義の鎧 重き大義の鎧(背面)

重き大義の鎧(おもきたいぎのよろい)は、豊臣政権下の五大老の筆頭、徳川家康が所用した当世具足。家康は三河の小大名に始まり、度重なる窮地を脱して勢力を伸長、重き大義を背負って天下泰平を目指し続けた。質実剛健な家康の性分にふさわしく深い黒漆塗りで覆われ、伊予札(いよざね)と呼ばれる合わせ小札で強度を高めてある。伊予札は厳選された鉄と革を用いた高級素材で美術的な価値も高い。
兜は、大黒頭巾形(だいこくずきんなり)の鉢を基に、大ぶりな歯朶(しだ)を模した前立を備える。歯朶は子孫繁栄の象徴とされ、長期の安定政権を築かんとする家康の決意がうかがえる。
胴は、右側を開いて着脱する胴丸の形式で、黒糸威(くろいとおどし)の意匠となっている。
籠手は、胴と対となる意匠の黒糸威(くろいとおどし)で頑丈な板札(いたざね)を組み合わせ、肘から腕までを保護する。
膝甲は、胴とは異なる紐糸を用いた小札造りになっている。
脛当は、胴の伊予札と同じ黒漆塗りの鉄板を用い、紐で結わえ付けただけの構造だが、着脱がしやすく機能性が高い。

四天王の大鎧

四天王の大鎧 四天王の大鎧(背面)

四天王の大鎧(してんのうのおおよろい)は、四天王と称されるほどの優秀な活躍をした四人の将に与えられる具足。
伝統的な形状の星兜は鉄板十枚を重ねて使用する堅牢なもので、実用性を重視し前立は省略されている。顔全面を守る面頬(めんぽう)も付属する。
胴は、二枚の分厚い鉄板を前後に置き、組み紐などで結合した肋骨胴(あばらどう)。男性の裸の上半身を模している。肩から上腕部分を覆う大袖が付属し、飛来する矢などから身を守れる。
籠手は、弓の使用より接近戦に適した両籠手(もろごて)で、肘から指先までを保護できる。
膝甲は、胴とは異なり、小札(こざね)の構造で動きを妨げにくい。徒歩で大鎧を着ると肩に大きな重量がかかるが、馬上だと馬鞍で重量を受け止められるよう設計されている。
脛当は、鉄と革でできた板状の防具。惟子(かたびら)などの上に紐で固定して装着する。

梟雄の鎧

梟雄の鎧 梟雄の鎧(背面)

梟雄の鎧(きょうゆうのよろい)は、松永久秀が着用した当世具足。久秀は将軍足利義輝を殺害し、主家である三好家を滅ぼし、東大寺の大仏殿を焼き討ちした「三悪を成した者」として、織田信長に一目置かれていたとされる。
兜は、蜘蛛の意匠を施した特異な外観。久秀が愛した茶釜「平蜘蛛(ひらくも)」に由来するが、人々から忌み嫌われる蜘蛛を敢えて戴く大胆さは、稀代の梟雄・久秀ならでは。
胴は、黒漆塗の横矧桶側胴(よこはぎおけがわどう)に陣羽織を重ねる。陣羽織は蜘蛛形兜に合わせた蜘蛛の巣柄で、袖飾りとして朱色に染めたヤクの毛が植えられている。
籠手は、白い家地に縫い付けた座盤(腕を保護するための鉄板)が独特の形状をしており、相手の刃を受け止めやすい構造となっている。
膝甲は、胴から下げた長い草摺(くさずり)が大腿部まで覆い、その上に山鳥の尾羽根を重ねている。ただし羽根に防具としての機能は期待できず、単に久秀の趣味と思われる。
脛当は、湾曲させた鉄板を縦に繋いだ珍しい筒脛当て、その外観は蜘蛛の足を思わせる。また、膝を保護するための立挙は鉄製で蜘蛛の巣が浮き彫りにされている。

豪放なる猛牛の鎧

豪放なる猛牛の鎧 豪放なる猛牛の鎧(背面)

豪放なる猛牛の鎧(ごうほうなるもうぎゅうのよろい)は、豊臣家重臣の黒田長政が所有した当世具足。長政は賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いを皮切りに豊臣家の覇業を助けたが、秀吉死後に石田三成と対立し、徳川家康に与するようになる。
「豪放なる猛牛」の名の由来である兜は、桃形(ももなり)の鉢に水牛の巨大な角を模した脇立を打ったもの。水牛の角は古くから硬質の素材として武具などに多用され、不撓不屈の精神の象徴とされた。長政もこれを愛用して複数所有し、同僚の福島正則に贈った兜もあるという。
胴は、長方形の鉄板を繋ぎ合わせた桶側胴(おけがわどう)。継ぎ目が縦方向にあるため、縦矧胴(たてはぎどう)とも呼ばれる。漆などの塗料を用いず、南蛮胴のような素材の鉄地を活かした外観で、中央に黒田家の家紋「黒餅」がある。過去の戦いで受けた傷や汚れをあえて残すことにより、荒々しさが強調される。
籠手は、胴と同様に縦方向に長い鉄板を繋ぎ合わせた構造で、体形に沿うため腕の動きを妨げにくい。手の甲から肘までを保護できる。長時間着用すると鉄地と触れ合う肌が擦過傷を負いやすいため、長い革手袋などと組み合わせて装着する。
膝甲は、下衣に帷子を重ね着した上で、黄糸威(きいとおどし)による鉄小札(てっこざね)を革の小帯で吊るす形で装着する。腰から膝下までを保護できる。鉄地のままでは小札が摩耗などで劣化するため、浅い塗料で表面を保護してある。
脛当は、籠手と同様に縦方向に長い鉄板を繋ぎ合わせた構造で、体形に沿うため脚の動きを妨げにくい。伝統的な脛当より大きく、膝上から足首までを保護できる。下半身全体を覆う西洋の甲冑に着想を得て改良したもので、騎乗の際にも邪魔にならない。

唐皮の鎧

唐皮の鎧 唐皮の鎧(背面)

唐皮の鎧(からかわのよろい)は、不動明王が所有していたとされる大鎧で、朝廷より平貞盛に下賜されて以来、平家重代の家宝として受け継がれてきた。唐皮は虎の皮のこと。平家が壇ノ浦で滅亡したときに、唐皮の鎧も失われたとされていた。
兜は、堅牢な星兜で、重量がある。長大な鍬形(くわがた)の前立の下部には、牙をむく虎の顔が浮き彫りにされている。
胴は、大鎧の形式を取り、脇から胸部を守る栴檀板(せんだんのいた)と鳩尾板(きゅうびのいた)が付属。胸板には虎皮が貼られており、勇壮で美しい印象を与えている。
籠手は、弓などを扱いやすい片篭手(かたごて)の形式をとり、重装の左腕に対して、右腕は軽装。手甲は虎皮で覆われている。
膝甲は、草摺(くさずり)の下に佩楯(はいだて)を穿き、さらに大きな虎皮を巻いている。これにより腰から膝上までを広く保護しつつ、勇壮で美しい印象を与えている。
脛当は、半筒状に打ち出した二枚の鉄板を筒状に合わせる形で作られており、模様金物と虎皮で装飾されている。膝を守る立挙(たてあげ)は小さな鉄板を亀甲状に縫い包んである。

鬼柴田の鎧

鬼柴田の鎧 鬼柴田の鎧(背面)

鬼柴田の鎧(おにしばたのよろい)は、柴田勝家が着用した当世具足。柴田勝家はその勇猛さから鬼柴田と呼ばれ、ルイス・フロイスにも「信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将」と評されている。
兜は、実用性を重視した越中頭形(えっちゅうずなり)兜で、奇をてらわない天衝(てんつき)の前立が古武者然として勝家らしい。
胴は、継ぎ目の見えない仏胴で、柴田家の「丸に二雁金」紋が金蒔絵で描かれている。荒縄を両肩に懸け腰に回すのが勝家流の着こなし。
籠手は、実用性を重視した篠籠手で、重みはあるが強靭。
膝甲は、素懸の草摺(くさずり)の下に厚みのある佩楯(はいだて)を重ねたもの。半身を覆うシュロの樹皮は、防寒性と防水性に優れる。
脛当は、実用性を重視した篠脛当で、重みはあるが強靭。

怪童の大鎧

怪童の大鎧 怪童の大鎧(背面)

怪童の大鎧(かいどうのおおよろい)は、源頼光に仕えた四天王の一人、坂田金時の所用と伝わる大鎧。坂田金時は昔話「金太郎」の題材となった武将で、怪童丸の異名を持つ豪傑。この大鎧は、頼光らと共に酒呑童子を退治した際の戦利品のひとつと伝えられている。
兜の代用となる鉢巻は、熊皮を巻き付けたものだが、秘められた霊力により戦場では矢弾が避けて飛ぶという。
胴は、朱塗で、腹部に日輪の金蒔絵(きんまきえ)があしらわれている。大鎧の形式を取りつつも、左肩の大袖は熊皮で代用されており、野性的で威圧感のある意匠となっている。
籠手は、大鎧の小具足としては珍しい両籠手(もろごて)で、手甲は指先までを覆う。弓は扱いにくくなるが、槍や槌などを得物とした際には、高い防御力を期待できる。
膝甲は、小札(こざね)構造の草摺(くさずり)を熊皮で覆っている。さらに太い注連縄(しめなわ)が腰部を飾り、力強く威圧感のある意匠となっている。
脛当は、胴の意匠と揃えた朱塗で、脛当の裏部と、膝を守る立挙(たてあげ)には金の日輪が描かれている。

剣豪将軍の大鎧

剣豪将軍の大鎧 剣豪将軍の大鎧(背面)

剣豪将軍の大鎧(けんごうしょうぐんのおおよろい)は、室町幕府第13代将軍、足利義輝が所有した大鎧。義輝は塚原卜伝の教えを受けた剣豪としても有名で、幕府再興を図って三好家と争い、志半ばで謀殺されたとされる。この大鎧は、尊氏以来、足利家に代々家宝として伝わった武具のひとつで、多彩な色糸を威(おどし)に用いている。選び抜かれた鋼と上質な革で構成されており、古風できらびやかな外観からは想像できない防御力を発揮する。
冠には、馬の毛を扇状に配した「おいかけ」と呼ばれる飾りが左右にある。
胴は、展開すると一枚の板状になる構造で、矢を防ぐ射向(いむけ)の袖鎧が左側にのみ付属している。
籠手は、弓よりも接近戦に適した、左右対称の両籠手(もろごて)になっている。
膝甲は、赤糸威。胴から垂れ下がる形式で、草摺(くさずり)とも呼ばれる。
脛当は、足袋などの上に重ねて装着する。一枚の鉄板と革から成る単純な造りだが、留め具にも豪華な金飾りが施されている。

源太産衣

源太産衣 源太産衣(背面)

源太産衣(げんたがうぶぎぬ)は、源氏一門が所持した伝説の鎧「源氏八領」の一領で、嫡男の鎧着初(よろいきぞめ)の儀式に使われたと伝わる大鎧。
兜(かぶと)は、重厚な鉄板を鋲で接いだ星兜で、白銀に輝く長鍬形この前立が武家の棟梁たる者の威厳をたたえる
胴(どう)は、右胸に栴檀板(せんだんのいた)、左胸に鳩尾板(きゅうびのいた)を備えた大鎧の伝統様式。袖や草摺は黒塗の小札を白糸で威し、豪壮ながらも神聖な雰囲気を醸している。
籠手(こて)は、両腕を保護する合籠手で、大鎧の袖に干渉しないよう上腕部は簡素な作りとなっているが、前腕部は堅固な座盤で守られている。
膝甲(ひざよろい)は、両脇に長めの佩楯を垂らすが、足捌きの妨げにならないよう、正面と背面は省略されており、動きやすい。
脛当(すねあて)は、膝を守る立挙(たてあげ)が大きく、着用者の威風を足元から引き立たせる。

避来矢

避来矢 避来矢(背面)

避来矢(ひらいし)は、俵藤太(たわらのとうた)の異名でも知られる武将、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が所有したと伝わる大鎧。秀郷は、平将門(たいらのまさかど)を討ったほか、瀬田の唐橋(現在の滋賀県大津市)で龍神の依頼を受けて大百足を退治し、この大鎧を褒美として授かったという。着用すると飛来する矢にまったく当たらなかったためこの名がついた。また、後年、秀郷の子孫が河原に避来矢を放置すると平たい石に姿を変えたが、叩くと大鎧に戻ったという言い伝えから「平石(ひらいし)」の別名もある。
兜は、黄金色の鍬形が光る三十八間の星兜。星とは、鉢の表面に露出させた鋲を星に見立てたもの。
胴は、丈夫な小札を多数組み合わせて前後左右の板状に組み、繋ぎ合わせたもの。矢を避けるため肩左右の大袖(おおそで)が大きめに作られている。
籠手は、弓使用に特化された片籠手(かたごて)。右手は革手袋のみで弦を引きやすくしてある。
膝甲は、頑丈な革鎧で腿を包んだ上に、胴から垂らした小札の草摺(くさずり)を被せている。
脛当は、薄い鉄板と革が一枚の帯状に連なったもの。脛に巻くようして着ける。

過ぎたるものの鎧

過ぎたるものの鎧 過ぎたるものの鎧(背面)

過ぎたるものの鎧(すぎたるもののよろい)は、石田三成に仕えた軍師、島左近が所有した当世具足。左近は徳川家康を相手に一歩も退かぬ軍略の冴えを誇り、「三成に過ぎたるもの」と評された知勇兼備の将。黒漆塗りの小札(こざね)を重ねた、落ち着いた色合いの紺糸威(こんいとおどし)が、左近の知性の高さや誠実さをうかがわせる。
兜は、筆頭形(ふてがしらなり)に似た筋兜(すじかぶと)。伝統的な趣の錏(しころ)や吹返しとは対照となる、朱色の鍬形(くわがた)の前立や、冷徹な印象の面頬(めんぽう)が異彩を放ち、見た者を威圧する。
胴は、右脇に留め具のある二枚胴の形式。逆立つ鱗状の小札から成り、中央には島家の家紋「三つ柏(みつかしわ)」が描かれている。袖鎧は、体に沿う形の板札(いたざね)を用いて実用性を高める反面、大鎧を思わせる風格も残している。
籠手は、胴と同じく紺糸威の意匠で、芯となる薄い鉄板を硬い革で包んだもの。軽量で可動性も高く、手の甲から肘までを保護できる。掌はむき出しなので武器を扱いやすい。
膝甲は、紺糸に併せて白糸を用いた大ぶりなもの。背面は足首に届く長さがあり保護できる範囲が広い。背面の最下部には豪奢な金飾りが施されており、陣羽織を重ね着しても下から覗くよう工夫がされている。
脛当は、複数の鉄板を鋲で固定し、組み紐で脛に巻き付ける形式。ふくらはぎ側は柔らかい薄革が当たるため滑りにくく、足首以下は熊の毛皮を用いた飾りで保護できる。

日輪の子の鎧

日輪の子の鎧 日輪の子の鎧(背面)

百鬼の鎧

百鬼の鎧 百鬼の鎧(背面)

武蔵坊の鎧

武蔵坊の鎧 武蔵坊の鎧(背面)

悪七兵衛の鎧

悪七兵衛の鎧 悪七兵衛の鎧(背面)

万鬼の鎧

万鬼の鎧 万鬼の鎧(背面)

崇仏誠心の鎧

崇仏誠心の鎧 崇仏誠心の鎧(背面)

田村の裔の鎧

田村の裔の鎧 田村の裔の鎧(背面)

征夷大将軍の鎧

征夷大将軍の鎧 征夷大将軍の鎧(背面)

黄金の飾り鎧

黄金の飾り鎧 黄金の飾り鎧(背面)