茶室_茶器_茶器 のバックアップ(No.7)


天目茶碗

天目茶碗

天目茶碗(てんもくちゃわん)は、茶碗の一種。すっぽん口と呼ばれる二段になった口造りに特徴があり、保温に優れていることから茶会で好んで用いられた。名前は、禅の中心地であった浙江の天目山に留学した禅僧が喫茶の習慣とともにこの形式の茶碗を持ち帰ったことに由来するという。

油滴天目

油滴天目

油滴天目(ゆてきてんもく)は天目茶碗の一種で、漆黒の器に油の滴のような銀色の斑点が多数現れたもの。天目茶碗のなかでは耀変天目についで希少であるとされる。

耀変天目

耀変天目

耀変天目(ようへんてんもく)は天目茶碗の一種で、漆黒の器に星のような光彩を持つ多数の斑点が現れたもの。「耀変」はもともとは「窯変」と書き、陶磁器を焼く際に窯の中で予期しない色の変化が生じたものを指したが、星のような紋様から輝きを意味する「耀」の字が当てられるようになった。

青天目茶碗

青天目茶碗

青天目茶碗(あおてんもくちゃわん)は、天目茶碗の一種。最初に伝来した天目茶碗は鉄釉により黒色を呈するもので、この鉄釉を天目釉とも言ったが、のちに形状のみを踏襲し青色の釉を使った品も作られた。

白天目茶碗

白天目茶碗

白天目茶碗(しろてんもくちゃわん)は、天目茶碗の一種。最初に伝来した天目茶碗は鉄釉により黒色を呈するもので、この鉄釉を天目釉とも言ったが、のちに形状のみを踏襲し白色の釉を使った品も作られた。

黄金天目茶碗

黄金天目茶碗

黄金天目茶碗(おうごんてんもくちゃわん)は、天目茶碗の一種。陶器ではなく木椀に金メッキを施したもので、豊臣秀吉が用いたと伝えられている。

高麗茶碗

高麗茶碗

高麗茶碗(こうらいちゃわん)は、朝鮮半島各地の窯で日常品として焼かれた器。その素朴でおおらかな風情が侘び茶に適しているとして日本の茶人に愛好され、室町時代末期以降大いに流行した。

井戸茶碗

井戸茶碗

井戸茶碗(いどちゃわん)は、高麗茶碗の一種。朝顔型の形状で、竹の節状の高台、カイラギと呼ばれる鮫肌状の釉が特色。「一井戸二楽三唐津」と言われ、茶碗の中では最高の評価を受けていた。

三島茶碗

三島茶碗

三島茶碗(みしまちゃわん)は高麗茶碗の一種で、白象嵌を特徴とする。鉄分が多い暗灰色の素地にへらや櫛等を使って紋様をつけ、白土の化粧土を塗った後、削ったり拭き取ったりして仕上げ、透明の釉を掛けて焼成する。

粉吹茶碗

粉吹茶碗

粉吹茶碗(こふきちゃわん)は、高麗茶碗の一種。鉄分を含む灰黒色の胎土に白土を薄く掛けた釉膚が、あたかも粉を刷いたように見えることから粉吹茶碗と呼ばれる。

斗々屋茶碗

斗々屋茶碗

斗々屋茶碗(ととやちゃわん)は、高麗茶碗の一種。魚屋とも書く。名の由来には二説あり、利休が堺の魚屋の棚から見出したからという説と、堺の商人・斗々屋が所持したからという説がある。

刷毛目茶碗

刷毛目茶碗

刷毛目茶碗(はけめちゃわん)は、高麗茶碗の一種。泥漿にした化粧土を、刷毛や藁を束ねたもので素地に塗って焼いた茶碗。生産地では白磁の碗を庶民が使用することが禁じられていたため、その代用品であったと考えられている。

柿の葉茶碗

柿の葉茶碗

柿の蔕茶碗(かきのへたちゃわん)は、高麗茶碗の一種。名前は、茶碗を伏せた形と色あいが柿の蔕のように見えるところに由来する。薄く掛けた釉を通して鉄分の多い土味が見える侘びた風情が、茶人に愛好された。

堅手茶碗

堅手茶碗

堅手茶碗(かたでちゃわん)は、高麗茶碗の一種。名は、手触りが堅く見た目の印象もいかにも堅そうであることによる。半磁器質で硬い灰白色の素地に、淡青色の釉をかけて焼かれている。

御所丸茶碗

御所丸茶碗

御所丸茶碗(ごしょまるちゃわん)は、高麗茶碗の一種。茶人・古田織部が日本から切形(手本)を送って焼かせたもので、名はこれらの茶碗を運ぶ交易船が「御所丸船」と呼ばれていたことによる。

呉器茶碗

呉器茶碗

呉器茶碗(ごきちゃわん)は、高麗茶碗の一種。御器とも書き、形が禅院で用いる木椀の御器に似ていることからこう呼ばれる。

志野茶碗

志野茶碗

志野茶碗(しのちゃわん)は、美濃焼の茶碗の一種。薄紫色ないし薄桃色をした土を使い、白釉をかけて焼成される。茶道流派志野流の祖、志野宗信が美濃の陶工に依頼して作らせたのが始まりといわれており、名の由来ともなっている。

染付志野茶碗

染付志野茶碗

染付志野茶碗(そめつけしのちゃわん)は、志野茶碗の一種。白っぽい土を使い、鉄釉で絵を描いてそのうえから白釉をかけて焼成することで、日本で初めて茶碗に絵を焼き付けることに成功したという。

鼠志野茶碗

鼠志野茶碗

鼠志野茶碗(ねずみしのちゃわん)は、志野茶碗の一種。成型してから鬼板(おにいた)といわれる鉄泥を化粧掛けし、それを掻き落として文様を付け、白釉を掛けて焼き上げたものである。

黒楽茶碗

黒楽茶碗

黒楽茶碗(くろらくちゃわん)は、ろくろを使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形して焼き上げた黒い茶碗。手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴である。鉄釉を繰り返しかけてから窯に入れ、釉薬が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで深い黒色になる。黒を好む千利休に愛用されたことで有名。

禿

禿

禿(かむろ)は、黒楽茶碗の名品で、楽焼の創始者である長次郎の作。利休が愛用した品とされ、銘の由来は明らかでないが、二つの説がある。自らの頭髪が抜け落ちるまで長く愛用したゆえの名という説と、禿は禿髪という子供の髪型の意味から転じて子供を指し、我が子のように愛したためという説である。

俊寛

俊寛

俊寛(しゅんかん)は、黒楽茶碗の名品で、楽焼の創始者である長次郎の作。利休は薩摩国在住の門人から長次郎の茶碗を乞われ、三個送ったら二個が送り返され、門人が選んだ一つに銘を頼まれた。利休は平安時代後期の僧、俊寛の名を銘として与えた。平氏打倒を企てた俊寛ら三人は薩摩国の鬼界ヶ島に流刑され、二人は後に恩赦により都に帰ったが俊寛は許されず、その地で没したという。

赤楽茶碗

赤楽茶碗

赤楽茶碗(あからくちゃわん)は、ろくろを使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形して焼き上げた赤い茶碗。手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴である。赤土を使い、透明の釉をかけて焼成した本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作品が有名で、秀吉は黒楽茶碗より赤楽茶碗を好んだという。

雪峯

雪峯

雪峯(せっぽう)は赤楽茶碗の名品で、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作。名は、口縁から流し掛けられた白釉を、山の嶺に降り積もる雪にたとえて光悦が自ら名付けたものだという。

加賀光悦

加賀光悦

加賀光悦(かがこうえつ)は赤楽茶碗の名品で、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作。光悦は刀剣の鑑定や研磨を家業としていたが、茶人、陶芸家、書家としても活躍した。この品は光悦の作陶中、最も景色に富み見応えある茶碗と評価されている。

白楽茶碗

白楽茶碗

白楽茶碗(しろらくちゃわん)は、ろくろを使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形して焼き上げた白い茶碗。手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴である。この色を出すために、特別に選んだ白い土と白釉が使われている。

不二山

不二山

不二山(ふじさん)は白楽茶碗の名品で、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作。胴の中ほどから暗灰色に変化した色合いが特徴で、その風情を雪の掛かった富士山に見立てて名付けられたという。光悦作の茶碗の中で最高の出来とされている。

唐津茶碗

唐津茶碗

唐津茶碗(からつちゃわん)は、肥前国唐津の窯で生産された茶碗。独特の渋みを備えた素朴な作風が特徴で、「一井戸二楽三唐津」といわれて茶人の間では三本の指に入る評価を受けていた。

砧青磁茶碗

砧青磁茶碗

砧青磁茶碗(きぬたせいじちゃわん)は、青磁釉を施した磁器製の茶碗。碧玉に似た色合いの青磁器は唐代以降多くの文人に愛され、喫茶の習慣が日本に伝わって以来、日本でも珍重された。砧青磁は南宋から元代の品で、唐物青磁茶碗の五種の分類のうち最上とされる。

天龍寺青磁茶碗

天龍寺青磁茶碗

天龍寺青磁茶碗(てんりゅうじせいじちゃわん)は、青磁釉を施した磁器製の茶碗。碧玉に似た色合いの青磁器は唐代以降多くの文人に愛され、喫茶の習慣が日本に伝わって以来、日本でも珍重された。天龍寺青磁は元代から明初の品で、唐物青磁茶碗の五種の分類の一つ。

七官青磁茶碗

七官青磁茶碗

七官青磁茶碗(しちかんせいじちゃわん)は、青磁釉を施した磁器製の茶碗。碧玉に似た色合いの青磁器は唐代以降多くの文人に愛され、喫茶の習慣が日本に伝わって以来、日本でも珍重された。七官青磁は明代中期以降の粗製品で、唐物青磁茶碗の五種の分類の一つ。

珠光青磁茶碗

珠光青磁茶碗

珠光青磁茶碗(じゅこうせいじちゃわん)は、青磁釉を施した磁器製の茶碗。碧玉に似た色合いの青磁器は唐代以降多くの文人に愛されたが、これは淡黄褐色や灰緑色などくすんだ色合いであり、大陸では評価の低い品である。唐物青磁茶碗の五種の分類の一つで、侘び茶の祖・村田珠光は草庵で行う茶会により調和するこれらの青磁茶碗を愛用した。

黒織部茶碗

黒織部茶碗

黒織部茶碗(くろおりべちゃわん)は、利休亡きあと天下一の宗匠となった古田織部の指導により作られた茶碗。茶の湯に新風を吹き込むべく、侘び茶の好みから離れ、奇抜ともいえる斬新な形状や模様付けが施されている。

唐物肩衝茶入

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唐物肩衝茶入(からものかたつきちゃいれ)は、大陸から請来された陶磁器製の茶入で、肩の部分が角ばった形状のもの。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは唐物の茶器だけが茶会で用いられており、茶会自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

瀬戸肩衝茶入

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瀬戸肩衝茶入(せとかたつきちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、肩の部分が角ばった形状のもの。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。

唐物文琳茶入

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唐物文琳茶入(からものぶんりんちゃいれ)は、大陸から請来された陶磁器製の茶入で、リンゴに似た形状のもの。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは唐物の茶器だけが茶会で用いられており、茶会自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

瀬戸文琳茶入

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瀬戸文琳茶入(せとぶんりんちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、リンゴに似た形状のもの。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。

唐物瓢箪茶入

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唐物瓢箪茶入(からものひょうたんちゃいれ)は、大陸から請来された陶磁器製の茶入で、瓢箪に似た形状のもの。唐物にはこの形状のものは少なく、珍重された。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは唐物の茶器だけが茶会で用いられており、茶会自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

瀬戸瓢箪茶入

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瀬戸瓢箪茶入(せとひょうたんちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、瓢箪に似た形状のもの。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。

唐物茄子茶入

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唐物茄子茶入(からものなすちゃいれ)は、大陸から請来された陶磁器製の茶入で、丸形で口が細く茄子に似た形状のもの。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは唐物の茶器だけが茶会で用いられており、茶会自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

瀬戸茄子茶入

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瀬戸茄子茶入(せとなすちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、丸形で口が細く茄子に似た形状のもの。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。

唐物丸壷茶入

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唐物丸壷茶入(からものまるつぼちゃいれ)は、大陸から請来された陶磁器製の茶入で、胴がやや平目で少し肩が衝き、若干咽喉が長い形状のもの。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは唐物の茶器だけが茶会で用いられており、茶会自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

瀬戸丸壷茶入

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瀬戸丸壷茶入(せとまるつぼちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、胴がやや平目で少し肩が衝き、若干咽喉が長い形状のもの。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。

唐物内海茶入

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唐物内海茶入(からものないかいちゃいれ)は、大陸から請来された陶磁器製の茶入で、横広の形状のもの。同じ形状で口が大きいものは大海(たいかい)と呼ばれた。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは唐物の茶器だけが茶会で用いられており、茶会自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

瀬戸内海茶入

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瀬戸内海茶入(せとないかいちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、横広の形状のもの。同じ形状で口が大きいものは大海(たいかい)と呼ばれた。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。